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こんにちは。伊藤です。

noteの方にブログを移行する実験をしています。お時間ある方は見てみてください。無料公開のものも増やしていく予定です。有料も100円までです。カンパみたいなもんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/m/m7a80a50faa56

YouTubeライブ等をやるかは検討中です。
プロジェクトだけだと、どんどん視野が狭くなっていくような気がするので。

勉強会はお金にはなりませんが、楽しい時間ではあります。
ほとんどの人は「分かりやすい」と言わないような話を聞いてくれる人が集まってくれますからね。

たぶん、ユーチューバーに私がなったところで、見てくれるのは10人とか20人なんでしょうけど、それでも私の話が役に立っている感じというのは大事かな、と思っています。

もうね、経営層の役に立つのは分かったので、それはそれでなんとか限界までやるわけですが、ただ、いわゆるビジネスパーソン全般がこれからどんどん置いて行かれるような気がするんですよね。

いわゆるビジネスの企画について言えば、「大きな企画から小さな企画へ」という流れの中にあると思っています。

いわゆるバブル以前は大きな企画をいかに実行するか?だけがいわゆるスタッフ部門に求められてきたように思います。

ただ、それがどんどん小さな企画に移行しています。小さな企画を自分たちで考えて実行する。そのPDCAサイクルをどう適切に回せるか?が問題になっているように思います。

しかし、ほとんどの人は企画って何?ロジカルって何だろう?というような状況だと思います。戦略ファームのレベルも落ちているので、そりゃあ、一般企業はきついでしょうね・・・。私の元上司がコンペで勝ちまくっているとたまに自慢しています・・・。「いやあ、ボスコンに駆っちゃったよ。」とかね・・・。

そして、いわゆる旧来のマーケティングの枠組みは間違いだらけです。行動経済学が既存の経済学の枠組みを批判した話がほぼそのまま当てはまるように思います。

いわゆるスタッフ部門の人間が属性をベースにマーケティングをしてしまう理由は行動経済学で言われる「代表性」の問題でしょうね。人間の思考のクセのようなものです。それに属性をベースとする考え方、ペルソナ概念などがあてはまるわけです。しかし、ビジネス上、合理的ではありません。

行動経済学の知見をまとめた勉強会でもしましょうかね?こういうのをYouTubeでだらだらしゃべったら聞いてくれるでしょうか?

さて、前置きが長くなりましたが、推薦図書をまとめてほしいという要望が来ていたので、今日はシンキングメソッド系のお話を書いていきます。

まずは安定の「意思決定のための分析の技術」です。これは素晴らしいので、買って何度も読んでみましょう。後ろの方は難度が高いと思いますが、書いてある練習問題の解答を写すだけでも意味があると思います。




あとは元ADLで東大と京大にいたという不思議な方の本です。噂では好きだった女性を追いかけて京都大学に入ったそうです・・・。「ロジカル・プレゼンテーション」ですね。これはシステム系の戦略グループと言われるところにいた人が、さも一般的なことかのようにこの内容をしゃべっていた記憶がありますね・・・。ただ、とてもとっつきやすい内容になっています。




そして、「イシューから始めよ」ですね。私はこのノウハウ自体は正しいと思いますが、これを提示されたとて、イシューアナリシスを使うプロジェクトを進められるようにはいきなりはならないと思っています。たぶん膨大な無駄な仕事を経て、このレベルにたどり着くと思います。効率を求めて仕事をしながら、結局は膨大な無駄を潜り抜けないと、このレベルには到達できないでしょうね。



あとは、仮説思考と論点思考でしょうね。ボスコンの方が書いています。論点と仮説は表裏一体ですが、そう簡単に分かることではないのですが、この2冊はセットで読んでみるといいでしょうね。





あとはフェルミ推計ですかね。これも書評で酷評したことがありますが、一応置いておきます。よくまとまっていると言えばまとまっている本です。



あんまり多くなってもあれなので、マニアックなものは除外します。この分野は相当読んだので、いくらでも思い浮かびますが、古典的にいいと言われるものは上記のようなものです。

そして、僭越ですが、私の本も置いておきます。いやあ、売れない悲しい本ですが・・・。



ベースとしている内容は高度過ぎますが、一応、上記の推薦図書の内容はすべて踏まえて書いています。が、たぶん、さらっと読んだだけでは全く理解できないでしょうね。本当にさらっと読めます。

結局、人間の当たり前の能力を如何に活かすか?が思考の問題になるということになります。ただ、それだと行動経済学が言うような落とし穴にはまる可能性があるのですが、そのあたりを踏まえたマーケティングやシンキングメソッド批判みたいなものは、今後、出てくるでしょうね。

それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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2018.09.01(18:18)|書籍コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
推薦図書のページのリンクが切れているとご指摘を受けてまして、見てみたら、Amazonのサービスが終了していたみたいで、リンク先が見れなくなっています。

ということで、推薦図書ページに代えて、ここに推薦図書を書こうと思います。

まずは、「営業の魔法」です。




この本は、営業の話法と言いますか、そういうものをまとめておりますので、営業をやるのであれば、一度、読んでおくことをお勧めします。

読み物色がやや濃くなりますが、続編もあります。




やや自己啓発よりのところが、あまりよろしくないのですが、そこを差し引いて読めばいいかな、と思っています。

次は、「凡人が最強セールスマンに変わる魔法のセールストーク」です。





これは、トーク設計の考え方を学ぶにもいいんじゃないかと思っています。上記の三冊を読めば、それなりに営業トークというものがコントロール技法的な側面もはらみつつ、ある程度のニーズを踏まえて売れていくということがなんとなくわかるんじゃないかと思います。

あとは、テレアポの本として、マジアポがあります。これも考え方が割といいですね。






以上の3冊ぐらいで十分ですが、私の営業の考え方をまとめたものをnoteで売ってます・・・。はっはっは。全部買ってくださいとは言いませんが、1つのアーティクル100円なので、カンパだと思って1つぐらい買ってください。

売りつけたくない君へ(1)/売りつけたくないんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/n6142f19b7d36

売りつけたくない君へ(2)/アポが全然取れないんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/nd4bfda702964

売りつけたくない君へ(3)/提案がいつもずれるんです
https://note.mu/tatsuo_ito/n/nfa86f1fc11b6

売りつけたくない君へ(4)/「やっぱり興味がない」って言われるんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/nf4c330656224

売りつけたくない君へ(5)/「上司を連れてこい」って言われたんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/n0614968d4116

売りつけたくない君へ(6)/「安くしてくれ」って言われるんです
https://note.mu/tatsuo_ito/n/n44e9526696d0

売りつけたくない君へ(7)/「話が違う」って言われるんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/nf7771f6886a3

売りつけたくない君へ(8)/「やっぱり今回はやめておきます」って言われるんです。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/nc22d2c85861e

売りつけたくない君へ(9)/契約できると思ったら・・・。
https://note.mu/tatsuo_ito/n/n7d343caecda0

売りつけたくない君へ(10)/あとがきにかえて
https://note.mu/tatsuo_ito/n/n8e4af6655dcc

になります。

少しずつ、営業編以外も増やしていこうと思いますので、お楽しみにお待ちください。

2018.08.23(16:56)|書籍コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
またもメルマガの転載です。
なかなか書く時間が確保できませんね。この記事はnoteの方にも転載します。

noteに移行したとしてどうなんだろうと思いますが、まあ、ものは試しです。常に試行錯誤は必要ですからね。

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おはようございます。伊藤です。
本当に暑いなか、いかがお過ごしでしょうか。
私は仕事にどっぷりつかっています。趣味みたいなものですからね。

さて、最近はどこの日本企業もEC化率がどうとか、うるさいですね。
そして、「売れる」「売れる」を連呼する。

もう、呆れてものが言えないですね。

米系のEC出自企業は、リアルへとどんどん進出しています。
彼らは「売る」ためにリアルへ進出していない。リアルでしかできないことを実現するために、店舗を持ち始めています。

決済システムはモバイルでできて、試着のみ店舗でできるとかね。
アパレルだったら、試着とか、ファッションのコーディネート相談とか、そういうものに特化した店をEC出自の企業が出してきているわけですよ。

日本でおなじみの、売る気満々の店員などいません。
いいですか、大事なことなのでもう一度言います。
日本でおねじみの、売る気満々のうるさい邪魔な店員などいません。

決済システムをWebに移行すれば、誰にも邪魔されずに買えます。
いままで邪魔をしていた店員がいなければ、もっと売れるんですよ・・・。
そこを勘違いするのをやめましょう。販売員がマイナスを作っていたケースが多々あるわけです。
そのマイナスを消して、ストレスなく買える環境を作る方向に、モバイル決済の意味があります。情報空間上で自由に買えることの意味はそこにあるのです。

そして、売る気がなければ、使うことにフォーカスして、お客さんと接することができますよね。それが、いい商品ができることにつながるでしょうね。伝わりますか?

日本の場合、クソな商品を売り切る押し売りするパワーやナレッジが現場にしみついてきました。それは、いわゆる光系とかGMO系とか、何のナレッジもないアパレル系とか、そういう場所で売れるものを売れなくしてきたと思います。

そして、多くのハードクレームを生んできたと思います・・・。

ただ、押し込みというか、押し売りのようなことを1つの企業がやめるのは、ものすごく大変です。カルビーのケースが有名ですが、ポテチを問屋に押し込むのがまかり通っていた時代もありました。

しかし、ポテチは作りたてがやはりおいしいそうです。作って1か月たつと、美味しくなくなる。だから、問屋に押し込むのはやめろ、というのをだいぶ前ですが、中田さんという社長だったと思いますが、推進したわけですが、根絶するのに10年かかったそうですね。

当然、ある程度の商品の良さのようなものがなければ勝ち目はないので、クソな商品を押し売りするというモデルで生きている人たちには未来はないですけどね・・・

ただ、日本企業の多くの売り場では似たような押し売り、騙しが平然と行われていて、「営業なんて嫌だ」という若者を生むという悪循環があるように思います。

転換できた企業と、そうでない企業の差はものすごいことになるでしょうね。

旅行代理店も店舗は減らしていく方向性ですが、アップルを見て何かできるかもしれないとやってみて失敗したりしています。いわゆる体験型店舗の試みですね。設計がダメだと失敗を重ねるだけでしょう。

そもそも、旅行の体験は旅先にあります。体験型店舗を作るなら、売り場ではなく、旅先でしょう。売るための店舗ではなく、ホテルのコンシェルジェやガイドのようなサービスを旅の最中にできることが理想です。そのためには、体験価値を上げるための業務設計や、管理会計の仕組みから抜本的に変えないといけないわけですが、旧態依然とした日本企業だと、なかなかできませんね。

従来のツアコンじゃないの?と思うかもしれませんが、それを現代風にアップデートできれば大きな競争優位になるでしょうね。

というようなお話をすると、宇宙人を見るような顔をされるわけですね。

この程度の話は、20年前からクリステンセンが主張しています。誰もそういうふうにクリステンセンを読めないことが日本の問題なんだろうなあ、と思うわけです。みんな、「クリステンセン?イノベーションのジレンマ?」と言っているようなリテラシーが問題ですね。

それでは今日はこのあたりで。
暑さにお気をつけて、健康にお過ごしください。
2018.08.12(08:02)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
落合陽一さんの「デジタルネイチャー」という本が売れているということで、パラパラと読みました。↓です。




大雑把な感想としては、なんというか、近代の超克をこういうトーンというか、趣味でやるんですね、ということでしょうね。

言うまでもなく、モダンの超克はポストモダンによって延々と試みられてきているわけです。ニーチェに始まるかどうかは別として、「モダン」という近代合理主義と言いますか、そういうものが今でもそれなりに信じられています。

この信じられているものが、実は人間の自然な感覚からだいぶずれてるんじゃないの?というのは、ポストモダンの論者も指摘し続けているわけです。

主体/客体の問題については、マッハ/フッサール/ハイデガーを引けばいいでしょうか。現象学はある意味で俯瞰的といいますか、図解化と言いますか、そういうふうに定式化された世界理解への反論だったと思うわけですよね。

心理主義もまた、いわゆる「脳科学」的な知見によってメタメタに批判されているはずなのですが、いまだに人間の心理でセグメンテーションすればいいんだ!とか言い出す頭の悪い自称マーケティング界隈の人々がいます。

メディア論にしても、メディアを人間の拡張装置としてみる考え方は衒学的ではありますがマクルーハン以降は当たり前ですし、接するメディアは人間の認知に影響を与えます。メディア自体がメッセージであるというのは、そういう意味合いで解釈されるべきバズワードでしょう・・・。

当然、リアリティの問題はメディア論を踏まえてルーマンも語っていることです。ただ、ルーマンはモノとモノのコミュニケーションをコミュニケーションとは言っていないところが、この本が言っていることと少しずれるところでしょうか。

ただ、メディアの環境化はポストヒューマンの問題を生み出すことはみんな分かっていることです。当然、液状化する個人、いわゆるフロー的個人についてはバウマンを引くべきでしょう。

世界が同時に流れていく感覚というのも、別に東洋思想を引かなくても、ドゥールーズがシネマで指摘していることですし、国民国家の崩壊というか、人の移動の自由がもたらす変革についてはネグリ・ハートが論じているでしょう。

言語的な思考の制約についても、ルース・ミリカンがリスが餌に飛びつく事例を用いて動物のイメージ思考の可能性について説明してくれていますし、もっと直接的にはウィトゲンシュタインも言語の限界を規定することで、イメージ的な思考の可能性については示唆してくれています。当然、言語の問題は論理の問題であり、最後には倫理の問題となり、「価値観」というものを射程に入れなくてはいけないことについても、ウィトゲンシュタインは分かっているわけです。

この本にわざわざ言われなくてもポストモダンの思想家たちが対峙してきた問題が近代の超克であるわけです。ただ、ほかの近代の超克について書いた本は売れず、この本は売れているわけです。それが大きいでしょうね。

編集者は宇野常寛さんで、彼の特徴が出ているような気がしました。

近代の超克は確かに必要ではあるわけです。でもね、近代が想定した個を確立した人間なんて本当にいたんですか?という問いがあります。答えはノーですよね。ただ、いわゆる「近代」のイメージがあり、制度やら人々の行動がそのイメージを前提に作られてしまう面がある。それによる齟齬はいろいろなところで起きる。

それを解明することで、超克を目指す。このスタンス自体は悪くはないですよね。ただ、このポストモダンをデジタライゼーションで語る試みについて、また同じ問題は発生しうるでしょう。

この本を読んだとしても、「人間の心理でセグメンテーションを行ってマーケティングをすればうまくいくんだ!」みたいなことを言う人は減らないでしょう。

デジタルネイチャーという書籍はその誤解のイメージでいろいろと突き進む面があり、「モダン」のイメージを多少破壊できる面もないとは言いませんが、結局は現状を変えることはできないんだろうなあ、と思うわけです。それだけモダンパラダイムは強烈だと思うわけです。

そして、インターネットでは脊髄反射みたいなことをする人たちがたくさんいて、それっていわゆる「愚民」であって、啓蒙によって超克が試みられてきた人々なわけです。近代、モダンはそういった愚民の超克、ポピュリズムの超克に失敗していることは、最近の国会を見ていても、いわゆる極右政党のヨーロッパでの台頭やら、トランプ大統領を見ても明らかでしょう。

ただね、これに対する超克を、一応、ポストモダニストに数えられるデリダは大学教育で行おうとしました。出力を抑制し、ひたすら入力をすることによって、ある意味で近代的な自立した個人、膨大なストック的知識を背景とした個人を作ろうとした面があるわけです。

これは、編集者の宇野氏が言う「遅いインターネット」、要は脊髄反射しないで、出力、というか反応の前にちょっと考えてみよう、という話とすごく似ているように思うんですよね・・・。それって、ある意味でモダニズムの徹底のような気もするんですけどね。違うんでしょうか。

大雑把には、今風のポストモダン入門みたいな本と言えばいいんですかね。ポストモダンがデジタライゼーションという切り口で語られているわけです。

ただ、圧倒的にメディア技術が目に見えて進んでおり、メディアアートという形で人間と環境のインタラクションの可能性が探求されているので、具体的に語ることができる面もあることが、現代の書き手の有利なところであり、メディアアートをバックグラウンドにする著者がこういうことを書く意味はあるといったところでしょうか。

ざっくりした感想なので、詳細についてはまた別の機会に書けたら書きますね。こんなことを書いているとクライアントに仕事しろと言われてしまいそうですので。

それでは、次回をお楽しみに。
2018.06.19(20:17)|書籍コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
ブログが放置になって申し訳ありません。久しぶりの更新です。
しかも、メルマガの転載です。マジで書けません。

そしてnoteへの移行を検討しています。fc2のコンテンツは残しつつ、noteへと移行していくイメージです。実施時期はちょっと未定ですが、自社サイトのリニューアルに合わせて実行できればと思っています。

忙しいですが、楽しみにしてくださっている方がいるようなので、頑張って更新していければと思っております。
以下、メールマガジンの転載になります。

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こんにちは。伊藤です。

発行頻度が落ちてしまいまして、申し訳ありません。
いろいろありますが、私は元気です。

体調管理にはいろいろ気を付けていますが、
背中ににきびなどができる問題がしばらくあったのですが、
あかすりでなんとかしていましたが対処療法的でした。

それで、あかすりのおばちゃんに「ニンニクと玉ねぎの皮を食べればできものなんてできないよ」
と言われ、試してみたところ、できなくなりました。
肌の調子がすごくよくなりました。驚きです・・・。こんなもんなんでしょうか。
私はたまたまあっただけかもしれませんが、自分なりの健康維持のやり方を見つけたいものですね。

さて、今日は最近のマンガやアニメから考える現代、みたいなことを書こうと思います。
柔らかすぎますので、こういうのが嫌いな方は申し訳ないです。

割とヒットしたマンガに「終わりのセラフ」があります。
シリーズ累計700万部ですので、それなりのヒットでしょう。

この話は吸血鬼に支配された世界のお話なのですが、
主人公の「優」は孤児院で育ち、少年期に世界の大人がほぼ死亡するという出来事を経験するわけです。

設定としては吸血鬼、鬼、刀、天使、人間の神に近づく実験、みたいな、ありがちな厨二設定です。

ただ、裏にある大きなテーマとして「家族、仲間」といったものがあります。生死がかかる利害やら、過去のつながりやらで仲間がいて、その仲間のために一人一人が頑張るという話なわけです。

この仲間を妙なレベルで大事にし、仲間のため、大切な人間のためなら自分を犠牲にするというのが具体のレイヤのみで描かれます。

見えないものは信じない。信頼できる具体的な仲間のために頑張る。そういう感じでしょうか。

マス・メディアが発達した時代には、ルーマンがいう「第二の現実」が重視されました。世界のどこかで誰かが苦しんでいるんだ!みたいなことが重要視された時代もあるわけです。

ただね、終わりのセラフではルーマンが言う「第一の現実」、自分が体験して見えている現実が重視されます。滅亡した社会でマスメディアなんてないですからね・・・。

この第一の現実と第二の現実の比重みたいなものが変わってきていることは捉えないといけないと思います。具体的に体験できていない「第二の現実」よりも目に見える何かを信じ、そのために生きる感覚が強くなっているということですね。

また、最近大ヒットしている漫画・アニメとして「僕のヒーローアカデミア」があります。こちらは楽に1000万部をオーバーしていまだに完結していませんので、まさに大ヒットです。

これは「個性」という超常の能力をみんなが生まれながらに持っていたとしたら、という物語です。主人公はもともと「無個性」で個性がないとされます。

いわゆる「個性」を生かしてヒーローとして、警察の外注を受けて個性を悪用する犯罪者を取り締まる仕事が人気を集める社会で、彼は落ちこぼれだったのですが、ひょんなことから個性を与えられ、ヒーローになっていくという物語です。

このアナロジーはすごいセンスだと思いました。

この物語では個性とは能力です。いえ、現実の社会でも個性は能力と不可分なのですが、それがビジュアル化され、嫌でも個性とは能力であり実力のベースであるということが分かってしまいます。この作品で育った子供には、そんなことは常識となっているでしょう。

「それぞれの個性があるから能力なんて関係なく素晴らしいんだ」みたいなことを言う教育者な方々がいましたが、この作品はそんな言葉の説得力を完全に奪っていきます。

また、「公共性」についても考えさせられます。パブリックな場での個性使用は固く禁じられています。過度な個性を主張したり、個性を悪用する人間が「犯罪者=ヴィラン」として取り締まられるわけです。

行き過ぎた個性の主張、誤った形での個性の使用は公共性を脅かすということが前提になっているのです。

この作品で育った人たちにとって、「個性=能力のベース」であり、そこに努力が加わって、成長するというイメージは共有されるでしょうね。うすら甘い「素晴らしき個性」みたいな主張がいかに中身がないかということを深く理解しているでしょう。

行動の前提というか理解の共通基盤というか、そういうものになる物語を福島亮大は「神話」と言っています。ハイデガー的にはそれによって「世人」が形成されるのでしょうか。

共通理解のベースは「物語」です。広く共有される物語です。

それを神話と言います。その神話は、古くは口伝の物語でしょうし、戦後は本や新聞でしたでしょうし、テレビが担った時期もありましたし、今はAmazonビデオ等のダウンロードで見るアニメーションでしょうか。

そういう意味で、広く受容される物語が何か?というのを時代・世代を捉えるために抑えておくのは重要ですね。

コンセプトワークに際しても重要なのですが、それはまた別の機会に書いていきましょう。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
2018.06.11(15:29)|ストーリーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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・過去に人類が考えてきたこと(Thought)を蓄積し、そこから鋭い洞察(Insight)を生み出し、その洞察がまた、Thoughtの一部になっていくプロセスを回していくこと。そのプロセスが社会のナレッジ量を増加させ、全ての価値を生み出すことを認識すること

・先人の知恵に対する敬意を払い、学び続けること。ナレッジの自己への入力量が自身の考える能力を向上させ、社会のナレッジ量を増加させることを知ること

・社会のビジネスナレッジの偏在を正すことを目指すこと。そのために社会の構成員であるクライアントに対してビジネスナレッジを提供すること

・ビジネスナレッジの偏在を利用する悪貨たる企業を駆逐する良貨たらんとすること。そのために偏在を利用する企業以上のマーケティング力を持つこと。そして、提供したナレッジに見合った対価をクライアントから頂き収益を上げ、成長していくこと

・社会に対する志を持つ企業、個人をクライアントとすること。例え儲かるとしても、志を持たない企業、個人をクライアントとしないこと

・クライアントの成長を望むこと。具体的な解の提示よりも、その解を出すプロセスをシェアすることにより、クライアント自身がプロセスを組みなおし、異なった解を出す力を増加させることに重きを置くこと

・抽象的な理論のレイヤから、クライアントサイドの具体へと寄っていくこと。ただし、その過程でクライアントにも具体のレイヤから抽象のレイヤに寄ってもらうこと。その上で、中間のレイヤでクライアントと共に新しいナレッジを生み出していくこと
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