fc2ブログ

**********************************************************************
メールマガジン「インサイト100」
週に1回配信中。
登録は⇒http://www.taii.jp/
**********************************************************************
 メールマガジンの読者さまにご案内しているセールス教材ですが、リンクからダウンロードできない、資料が表示されないなどの不手際がございました。

 誠に申し訳ありませんでした。

 今後はこういったオペレーションミスのないよう、鋭意努力してまいりますので、よろしくお願いいたします。
スポンサーサイト



2010.06.22(14:41)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 新聞やニュースで卒後3年間新卒扱いというのが、少し前に話題になりました。

 が、まじめにその報告書(100枚ぐらいあります・・・)を読むと、本質的には、それはオマケ的な話です。報告書は↓です。

 大学教育の分野別質保証の在り方について
 http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-k100-1.pdf

 で、読んだ感想としては、「うーむ」、です。本質的なことは、まともな識者の方はがいろいろ論じているので、私は論じません。

 最近、教育とか、労働とかそのあたりの専門書を仕事がらみで読むのですが、やたらとハンナアレントを引いていて、へー、と思っていたのですが、この報告書でもアレントの「人間の条件」の文言が引いてあります。

 で、今日はアレントについて考えてみます。

 「アレント」って誰?と思う人も多いですが、元々は哲学を勉強していた人ですが、「政治哲学」をやっていた人です。政治とは何か?みたいなことを考え続けた人です。有名な言葉で言うと、「思考停止」という言葉を作った人だと思います。

 なんで哲学をやっていたのに、政治哲学になったか?と言いますと、ナチスドイツ政権下で暮らしていたユダヤ人だったから、でしょうね・・・。ドイツからは逃げ、最終的には米国で暮らし、ほぼ寿命でなくなりました。心臓発作だったと記憶しています。

 それで、彼女はハイデガーの弟子だったということもあるのか、政治の系譜学というか、そういう研究をしています。そして、ハイデガー同様、やたらと古代ギリシアに触れます。

 これは、国民国家の政治を考える上では自然ではあります。そもそも、国民国家が範としている政治形態がギリシアの都市国家における政治、いわゆる市民による政治だから、ですね。

 その市民というのは、リベラルアーツを身につけた人、ということで、教育ともからんできます。面倒ですね。

 それで、報告書では、リベラルアーツ教育は、市民たるための教育、職業的レバランスではない、という話をしています。それで、アレントを引いたりしているのですが、それって、そんなに簡単じゃないよね、と私は思います。

 アレント的に言うと、リベラルアーツは「仕事」の職業的レバランスを有しているけど、「労働」の職業的レバランスを有していない、のではないかな、と思います。

 仕事と労働って違うの?と思うでしょう。アレント的には違います。

 アレント的には、古代ギリシアで、奴隷がやっていたのが労働です。いわゆる身の回りの世話仕事、雑用仕事、単純仕事です。仕事は自由市民がやっていた仕事です。いわゆるインテリや職人がやるような専門的なお仕事です。

 いわゆる、ホワイトカラーとブルーカラーの区分けとは少し違いますね・・・。そこがポイントです。

 アレントに言わせると、こういった元々違うものを、マルクスが労働の名のもとに統合した、それは間違いだ、とのことです。

 職に貴賎はない!が大義名分ですが、私はいろいろと、アレントの言う「労働的」な仕事関連のお仕事に関わって思いましたが、やっぱり違うんじゃないかな、と。

 建前として貴賎はないって言っても、「労働」に自己実現なんてあるの?といったことを思ったりしました。そして、その職についている人たちも、そういう意識はあるのがまた面倒なポイントだと思います・・・。

 アレント的に言えば、リベラルアーツは、ギリシア市民が市民の仕事につくベースではあります。バルバロイとは全く関係がありませんが・・・。

 なので、もろに「仕事的仕事」をしている人が、「全ての人が仕事で自己実現を!」と言ったりすると凍るし、「全ての人にマッチした仕事があるはずです!」と言ったりすると凍るし、「リベラルアーツに職業的レバランスはない」と言ったりすると凍ってしまいます。

 そんなに簡単じゃないでしょ、と思うんですね。

 制度設計をするような人は、みんな仕事的仕事をしている人です。そういう意味ではギリシア時代と変わってないと言えば変わってないのかもしれません・・・。

 それではまた。次回をお楽しみに。
2010.09.06(00:33)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 更新が遅れてすいません。例によって、論理学入門の解説です。

論理学入門―推論のセンスとテクニックのために (NHKブックス)論理学入門―推論のセンスとテクニックのために (NHKブックス)
(2000/09)
三浦 俊彦

商品詳細を見る


 P23~25:真理値の関係を真理表に探る

 または=∨、かつ=∧、ならば=⇒、に関する真理表の解説です。

 これらの記号は命題を接続するものです。なので、最小でも2つの命題がくっついた論理式に関しての真偽を問題にします。

 例として、P∨Q、P∧Q、P⇒Qについての真理表が出ています。

 そして、下にはその解説があります。

 ただ、あっさり書いてあるので、意味がわからんと思います。なので、ちょっと解説を書きます。

 この3つの真理表は本当は覚えたほうがいい基本的なものです。是非、覚えるぐらい眺めて考えましょう。

 まず、このPとQがそれぞれの真偽の組み合わせの時、全体としてどうなるのか?が論理学の言う、「真偽の構造」というもので、それを表現したのが真理表ですね。これまで、しつこく著者が言ってきたことです。こういった、文の論理構造を明らかにすることが論理学の関心である、と。

 で、その割に、P∨Q、P∧Q、P⇒Qの説明はあっさりしています。

 まず、P∨Qについて説明しましょう。

 Pが真である時、PまたはQは真であるか?と言われれば、Qの真偽に関わらず真ですね。これはイメージがわくでしょうか。

 「または」という記号は、「選択的でないがどちらかである」つまり「どちらでもよい」という意味で捉えるといいと思います。そうすると、Pが真なら、PとQのどちらかは真であるということですから、PまたはQは真です。

 これはQについても言うことができますね。Qが真ならPまたはQはPの真偽によらず真です。

 なので、PもQも偽である時だけ、PまたはQは偽となります。

 PかつQは、PとQの両方が、と読んでください。

 そうすると、P、Qのいずれかが偽であれば、全体も偽になってしまいますね。だから、PとQの両方が真の時に真。どちらかが偽である、または両方が偽である場合は全体も偽となります。

 それで、やや問題なのは、P⇒Qです。これは、Pが真でQが真の時は、真であることは納得できますし、Pが真でQが偽の時は、偽であることは納得できます。

 しかし、Pが偽で、Qが真の時に、全体が真になるのも違和感があるし、PもQも偽である時に全体が真になるのも、変な感じがします。

 例えば、

 P:子供がテストで100点を取る

 Q:親が子供に5000円を与える

 にしてみましょう。こういう約束をある親子がしたとしましょう。

 100点をもし子供が本当に取ったら、5000円あげないと親は嘘つきです。100点とったら5000円をあげるが実行されれば真です。子供が100点取ったのに、5000円をあげなければ、偽です。

 子供がもし、100点を取らなかった場合。

 普通に考えると、親は子供に5000円あげないことになります。つまり、100点を取るが偽だったら、5000円をあげるも偽になると、全体として真になる。真理表の最後は確かに成立しているように思います。

 問題は、100点を取るが偽の場合に、5000円をあげるが真だった場合。子供が100点とらなかったのに、5000円あげていいのか。

 頑張ったから5000円あげよう、となったら、約束をやぶったことになるのか?と考えると微妙になってきます。

 前提条件が崩壊した時に、結論の真偽はどちらでも、全体としては、正しいことになる、ぐらいに考えて、前提が偽の時に、結論は真でも、全体として真だ、とでも思っておきましょう。

 こういったことを含めて、本書ではP25の中段で「はっきり偽でないことは、真とする」という説明の仕方をしているのだと思います。が、そんな結びつきは書いてありませんけどね・・・。

 そして、真理関数という概念を導入しています。

 P,Qの真偽を入力と捉えると、その入力の組み合わせによって、全体の真偽が出力されるという捉え方です。

 F(P,Q)= 真or偽 という関数だ、と言っているということです。

 関数だと捉えてしまえば、形式的な論理展開は全て機械的に変形していくことができてしまいます。これは非常に便利で楽です。意味を気にせずに「この形式の展開で、この部分が正しければ、この結論は正しい」といったことがわかるようになります。

 ビジネスをやっている人の感覚では、経営管理の管理指標のつながりのイメージをしてもらえばわかるでしょうか?

 すごく簡単な例を出すと、利益=売上-コストなので、「売上が増分がコストの増分より大きい」が真ならば「利益が増える」が真であるとかそういうイメージです。

 契約数=訪問数×定数であることがわかっているならば、「訪問数が増える」が真ならば「契約数が増える」が真なのは自然にイメージがつきますよね?

 KPIの設定などで、こういう形式的なロジックはすごく大事ですね。全体目標の指標を部分目標の指標にわけて、∧、∨、⇒、を組み合わせて、全体目標を真にするためには?と考える。

 等式変形的に文章を捉えるというのは、こういうことに力を発揮します。

 もう少し、事業会社の経営企画よりで考えると、市場における事象の因果関係を捉える時に使ったりもします。

 このマーケットの市場規模が増えているのに、自社のシェアが落ちているのはおかしいのではないか?とか。事象間の分析にも、こういう形式的な論理の真偽の組み合わせと全体の真偽の関係が力を発揮します。

 構造を捉えて、外部のどの状況が真だと言えて、そうすると、その部分の真偽を組み合わせて、どんな全体が真だと言えるのか?

 これはまさに市場の分析などにも使えます。

 当然、意味論的な確認は必要です。本当に事実としてそう言えるのか?

 まさにファクトベースですね。ただ、市場の分析から自社のアクションまでつなげる時には、事実対応としての意味論ではなく、主語にとっての意味論が絶対必要になってきます。研究としては語用論に近い領域ですが、今日はおいておきます。

 それで、最後についている練習問題は簡単ですので、自分でノートに書いてやってみることをオススメします。書かないとできるようにはならない。経営企画やマーケをやっている人は市場の状況をまじめにノートに書いたりしますよね?

 今日はちょっと長かったですが、こんな感じです。

 ようやく第2節まで解説が終わりましたね・・・。それでは次回をお楽しみに。


 
2010.10.06(12:10)|未分類コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
またもメルマガの転載です。
なかなか書く時間が確保できませんね。この記事はnoteの方にも転載します。

noteに移行したとしてどうなんだろうと思いますが、まあ、ものは試しです。常に試行錯誤は必要ですからね。

---------------------------------------------------------------------------
おはようございます。伊藤です。
本当に暑いなか、いかがお過ごしでしょうか。
私は仕事にどっぷりつかっています。趣味みたいなものですからね。

さて、最近はどこの日本企業もEC化率がどうとか、うるさいですね。
そして、「売れる」「売れる」を連呼する。

もう、呆れてものが言えないですね。

米系のEC出自企業は、リアルへとどんどん進出しています。
彼らは「売る」ためにリアルへ進出していない。リアルでしかできないことを実現するために、店舗を持ち始めています。

決済システムはモバイルでできて、試着のみ店舗でできるとかね。
アパレルだったら、試着とか、ファッションのコーディネート相談とか、そういうものに特化した店をEC出自の企業が出してきているわけですよ。

日本でおなじみの、売る気満々の店員などいません。
いいですか、大事なことなのでもう一度言います。
日本でおねじみの、売る気満々のうるさい邪魔な店員などいません。

決済システムをWebに移行すれば、誰にも邪魔されずに買えます。
いままで邪魔をしていた店員がいなければ、もっと売れるんですよ・・・。
そこを勘違いするのをやめましょう。販売員がマイナスを作っていたケースが多々あるわけです。
そのマイナスを消して、ストレスなく買える環境を作る方向に、モバイル決済の意味があります。情報空間上で自由に買えることの意味はそこにあるのです。

そして、売る気がなければ、使うことにフォーカスして、お客さんと接することができますよね。それが、いい商品ができることにつながるでしょうね。伝わりますか?

日本の場合、クソな商品を売り切る押し売りするパワーやナレッジが現場にしみついてきました。それは、いわゆる光系とかGMO系とか、何のナレッジもないアパレル系とか、そういう場所で売れるものを売れなくしてきたと思います。

そして、多くのハードクレームを生んできたと思います・・・。

ただ、押し込みというか、押し売りのようなことを1つの企業がやめるのは、ものすごく大変です。カルビーのケースが有名ですが、ポテチを問屋に押し込むのがまかり通っていた時代もありました。

しかし、ポテチは作りたてがやはりおいしいそうです。作って1か月たつと、美味しくなくなる。だから、問屋に押し込むのはやめろ、というのをだいぶ前ですが、中田さんという社長だったと思いますが、推進したわけですが、根絶するのに10年かかったそうですね。

当然、ある程度の商品の良さのようなものがなければ勝ち目はないので、クソな商品を押し売りするというモデルで生きている人たちには未来はないですけどね・・・

ただ、日本企業の多くの売り場では似たような押し売り、騙しが平然と行われていて、「営業なんて嫌だ」という若者を生むという悪循環があるように思います。

転換できた企業と、そうでない企業の差はものすごいことになるでしょうね。

旅行代理店も店舗は減らしていく方向性ですが、アップルを見て何かできるかもしれないとやってみて失敗したりしています。いわゆる体験型店舗の試みですね。設計がダメだと失敗を重ねるだけでしょう。

そもそも、旅行の体験は旅先にあります。体験型店舗を作るなら、売り場ではなく、旅先でしょう。売るための店舗ではなく、ホテルのコンシェルジェやガイドのようなサービスを旅の最中にできることが理想です。そのためには、体験価値を上げるための業務設計や、管理会計の仕組みから抜本的に変えないといけないわけですが、旧態依然とした日本企業だと、なかなかできませんね。

従来のツアコンじゃないの?と思うかもしれませんが、それを現代風にアップデートできれば大きな競争優位になるでしょうね。

というようなお話をすると、宇宙人を見るような顔をされるわけですね。

この程度の話は、20年前からクリステンセンが主張しています。誰もそういうふうにクリステンセンを読めないことが日本の問題なんだろうなあ、と思うわけです。みんな、「クリステンセン?イノベーションのジレンマ?」と言っているようなリテラシーが問題ですね。

それでは今日はこのあたりで。
暑さにお気をつけて、健康にお過ごしください。
2018.08.12(08:02)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
おはようございます。伊藤です。
ゴールデンウィークですね。私は世間は気にせずにちんまり仕事をしています。

さて、今日はコンセプトの説明にいい商品があったのでご紹介です。はっきりいって、機能としては最低ですが、コンセプトとしては面白いという商品です。

下記ですが、絶対に購入してはいけません。歯を磨けるはずなのですが、全く歯磨きとしては機能しません。


しかしですよ、こういった「怠け者向けに歯が磨ける商品」を具現化する際に、こういった具現化の方向性はなかなかないですよね。どうしも既存の歯ブラシの影響を受けますが、この商品は既存の歯ブラシの影響を全く受けていない形状になっています。

短時間で歯磨きを終えるには、すべての歯に磨くためのものを当てればいい、というシンプルな発想です。

これをデザインの問題として捉えてもいいのですが、「歯を一本一本丁寧に磨くとか面倒じゃない?」という考え方からも発想可能ですよね?別に言葉で考えようが、ビジュアルで考えようがどうでもいい。ただ、新たな枠組みを提供し、それが機能的にも進化すればいいのです。

それでね、この商品は普通の歯ブラシよりも、歯磨き能力はない。歯を磨く能力は皆無と言っていい。

しかし、日本の中小メーカーに、「この形状で歯を磨けるように作りこんでほしい」と言ったら、ちゃんとしたものができそうじゃないですか?

日本企業からはこういう発想は出てこない。しかし、機能的に進化させるのは得意である。私はそう思います。

つまりは、日本人はコンセプトワークは向かないってことですね。日本人というより、「日本組織は」と言った方がいいかもしれません。

それでね、マンガのコンテンツが優れているから、日本人はコンセプト発想ができるとか言い出す人がいて、ちょっとどうかなあと思うわけです。漫画家って、日本的組織に入れないタイプの人ばっかりじゃないかな、と。

日本的組織は、そういう新たな発想ができる人を排除します。いわゆる共感によって、同質化によって、同調圧力によって。そういう人はいじめまくって、組織から消していきます。

ベンチャーで実績が出ていれば別ですけどね。日本企業はどちらかというと、同調圧力が強い。その同調圧力をものともしないタイプの人が出世するケースもあるのですが、そういった人は敵も多くて、なかなか経営者にはならない。

だから、中国人やらアメリカ人が考えたことを一生懸命作りこむには向いているような気もします。ただ、最近の市況を見る限り、日本の消費者も外資の商品が大好きな感じですけどね。日本企業のプロダクト・サービスはどんどんシェアを落としています。

まあ、押し売り発想な会社が多すぎてダメですね。上は分かっていても、現場のマネジャーあたりはとにかくノルマで押し込むことしか考えていないですから。カスタマーサクセスなんて程遠く、カスタマーに響くコンセプトワークも程遠いですね。

現状では、コンセプトは社外の人が作ることばかりです。コンサルタントとかね。ええ、私もコンセプトワークは得意ですよ。カネは取りますが・・・。

今日は歯磨きのインチキ商材を見ることで、コンセプトが新しい商品ってこんな感じですが伝わります?ということを書いてみました。

それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
2019.04.28(11:02)|未分類コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
Twitter
メールマガジン登録
メールマガジン「インサイト100」週に1回配信中。登録は⇒http://taii.jp/の登録窓から
プロフィール
推薦図書
経営理念
弊社のコンサルティングのポリシーです。

・過去に人類が考えてきたこと(Thought)を蓄積し、そこから鋭い洞察(Insight)を生み出し、その洞察がまた、Thoughtの一部になっていくプロセスを回していくこと。そのプロセスが社会のナレッジ量を増加させ、全ての価値を生み出すことを認識すること

・先人の知恵に対する敬意を払い、学び続けること。ナレッジの自己への入力量が自身の考える能力を向上させ、社会のナレッジ量を増加させることを知ること

・社会のビジネスナレッジの偏在を正すことを目指すこと。そのために社会の構成員であるクライアントに対してビジネスナレッジを提供すること

・ビジネスナレッジの偏在を利用する悪貨たる企業を駆逐する良貨たらんとすること。そのために偏在を利用する企業以上のマーケティング力を持つこと。そして、提供したナレッジに見合った対価をクライアントから頂き収益を上げ、成長していくこと

・社会に対する志を持つ企業、個人をクライアントとすること。例え儲かるとしても、志を持たない企業、個人をクライアントとしないこと

・クライアントの成長を望むこと。具体的な解の提示よりも、その解を出すプロセスをシェアすることにより、クライアント自身がプロセスを組みなおし、異なった解を出す力を増加させることに重きを置くこと

・抽象的な理論のレイヤから、クライアントサイドの具体へと寄っていくこと。ただし、その過程でクライアントにも具体のレイヤから抽象のレイヤに寄ってもらうこと。その上で、中間のレイヤでクライアントと共に新しいナレッジを生み出していくこと
カテゴリー
月別アーカイブ
RSSフィード
ブロとも申請フォーム