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 こんばんは。伊藤です。暑くて倒れそうですね。明日から涼しくなるらしいですが、どうなんでしょう・・・。

 ただ、寒いよりも、相当体調はよいです。熱中症さえ気を付ければ、体の調子はすごーくいい。日々が楽しいです。

 さて、今日は求められる価値を出すためにがんばろうよ、というお話をTwitterでつぶやいた内容をまとめます。

①取引先に行くとき、特に業者さんのところに行くときには、必ずお土産を買っていったものです。建前的には、いつもがんばってくれているからで、邪悪な感じで言えば、気を抜いた仕事をしたらどうなるかわかってますよね?というお話。

②若手の新人君を、業者さんのところに行くときに同行させると、自分が何も貢献できていないことをなんとかしたいと思ったのか、「お土産は僕が買います!」と言い出す。いや、それは違うだろう・・・、と思うわけですが。まあ、貢献したいという前向きな思いは否定したくない。が、それは安易だ、と。

③お土産はいつも私の自腹でした。会社のカネを使ってもよかったのですが、ポリシー的に、そういうのは自腹でやるもんだと思っておりまして。新人が自分に与えられた職務で価値を出せない代わりにお金を出そう、というのは「逃げ」なわけです。君の給与への対価を出せないのをカネで解決ですか?と。

④価値を出さないといけないのに、出せない状態で苦闘し続ける日々を送らないと、できるようにはならない。でも、その苦しみから安易に逃れようとする。それではいかんのよ。苦しみの中で、自己否定の中で必死でやるからできるようになる。ワンタッチで簡単にできるんだったらロボットがやるさ。

⑤ロボット、機械にとってかわられる価値と、人間しか出せない価値とがある。人間しか出せない価値は、考え抜いて工夫するところにあるんじゃないの?まあ、仕事にもよるだろうけどね。本当のブラック企業で機械よりローコストで機械労働に使われるケースでは、違うかもしれないけどね。

⑥前向きに貢献したいのは是としよう。その時に、安易にテクニカルになんとかなる成功体験が受験勉強であったんだ、と勘違いしている人は、大学の勉強なんてできやしないし、社会に出てもクソの役にも立たんだろうね。せっかく前向きな思いは持っているのにね。

 新人だろうと、中堅だろうと、期待されている価値というものがあります。まあ、お土産持っていくのは、私は自分が期待する成果をあげるには必要だと判断した上で、お土産を買っていましたね。

 それでね、はじめはなかなか価値が出せているとは思えないでしょう。思えたら勘違いかよっぽどのスーパービジネスマンなのか。

 でね、なんとか期待される価値をまっとうに出したいな!と思って、辛抱強くやってほしいわけです。お土産を買うお金を、安い給料から出す必要などないのです。そんなのはまっとうな価値じゃないですから。

 ただ、辛抱ができない人が増えているように思います。これはね、全般的な傾向に見えます。まあ、ファクトで検証しようがないですが・・・。

 頭の回路ができるには、繰り返しが必要になる。しかも、安易な回路形成なんてしても意味がない。1対1対応の回路なんていらない。もっと複雑なつながりが必要なわけです。大きな情報量の処理を目指す必要がある。そんなのが一瞬でできるとでも思いますか?

 苦行は当然、必要です。

 もしも、一瞬でできるなら、機械化可能だと思いません?機械化可能な価値をわざわざあなたにお金を払ってお願いする理由はなんなのでしょう?

 普通に考えればわかるはずなんですが、わからない人が増えてきている。これは悲しい現実です。

 当然、安易に「すぐできるようになる!」と喧伝する商売は溢れています。そういうもんを一通りやって気づくのは、無駄だった、ということでしょう・・・。まあ、勉強量としては高すぎますよね・・・。

 地道に頑張ってほしいものです。当然、より正しいやり方はありますから、そういったやり方は踏まえた上で。辛抱強く頑張ってほしい。

 というメッセージだったんですけどね。あんまりちゃんと受け取ってくれる人もいないのかなあ、と。

 長くなってきたのでこのあたりで。それでは次回をお楽しみに。

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2012.08.05(20:00)|マネジメントコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 おはようございます。伊藤です。

 ゲーデルの不完全性定理について何か述べる人がいます。私はゲーデルの不完全性定理は何度も読みましたが、ちんぷんかんぷんです。

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 でも、何かしら言おうとするなら、命題論理と述語論理の基本的なことと、ゲーデルが何をしたか?ぐらいの簡単な勉強はしてほしいものです。野矢先生の論理学入門の最後にも、不完全性定理の解説があります。命題論理と述語論理の解説の後に来ています。

論理学論理学
(1994/02)
野矢 茂樹

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 私とて、大学時代にそういう授業を受け、自分で文献をあたっただけなので専門家ではありません。

 でもね、たまに「ゲーデルの不完全性定理で答えが1個しかないわけではないことが証明された」とおっしゃる方がいました。

 それ、本当ですか?

 それを見て、ちょっとおかしいんじゃない?と下記のつぶやきを書きました。

①正解がないんじゃなくて、「証明、反証できない命題がある」という話と、「系の無矛盾性の証明ができない」だけだろ。正解がないだって?誰がほざいている?

②無矛盾性が証明できなくても、ある程度使えるモデルを使って、そのモデルの中で正解はこれ、というのはあるだろう。

③「正解はないんだ」とかほざくやつは、ある系における正しい解が出ることの恩恵にあずかるのを禁止にしてやりたい。

④素早く系を設定して、近似解というか、暫定解を出す能力は常に求められているんじゃない?

 それでね、ゲーデルの不完全性定理は、自然数を含むある系を設定した時に、証明もできず、反証もできない命題がその系の中に生じうる、ということを実際に示したんですね。そして、系の無矛盾性、つまり、ある系を想定した時に、その系の中に矛盾が起こらないという証明ができない、ということも証明しました。

 あとね、不完全性について言うよりも、ゲーデルは一階述語論理の完全性を証明しています。一階述語論理の体系は完全です。そのルールに従えば、正しい解が定まります。

 でも、自然数を系に含んでしまうと、そうではないよ、というのが不完全性定理です。

 高次の述語論理もそうですけどね。

 それでね、「正解はないんだ」とおっしゃる無知な方がたくさんいます。

 それは、問いの存在を前提としたお話です。

 でね、たいていの場合には問いすらないのです。問いを自分で立てないといけない。ただ、その問いを立てた時、正解を出す能力は、相当必要です。

 演繹的に、前提条件が正しいときにどういう結論が正しいのか?ということがわからなければ、正解は作れません。

 また、帰納的に、経験をベースに、推論を駆使しないと、使える正解は出せません。

 また、何を問うべきか?ということを考えるために、ある程度の答えのイメージを作れなければなりません。そのイメージを作るためには、アブダクションが必要です。

 これ、全部、正解を出すために人が使うことです。

 残念ながら、普通に正解を出す能力は必要です。「正解がない」という主張を好意的に解釈すると、系の設定も自分でせねばならず、問い立ても自分でせねばならず、その系の設定も、環境を完全に写し取るというより、近似で簡単なモデル化をせねばならない。

 これ、1つでも間違えると、見当違いな答えが出ます。

 正解を出すこと、出し方を学んでください。系が完全だろうと不完全だろうと、たいていの問題は、不完全性が問題になったりはしません。

 また、不完全性が問題になったとしても、1つ上の系を設定して、そこから認識すれば、上の系は不完全ですが、元の系は完全であると言えます。

 だから、くだらないことを言う暇があったら、勉強してほしいのです。いろいろなことを。遊んで欲しいのです。体を使って。そして、自分の能力を上げて欲しいのです。

 ため息が出てきます。まあ、それはそれでしょうがないですが。

 日々、絶望と闘い続けるのみです。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
2012.08.12(17:03)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 こんにちは。伊藤です。今日は首都大学に来ています。

 それで、今日は「輝いている」人について、つらつらと書きます。感覚論、経験論なので、あんまり説得力はないですが、お許しください。

 経営者も、会社がうまくいってくると、輝きを放つと言いますか、オーラみたいなものを出すと言いますか、魅力的になってきます。

 その輝きは、人を引き付けるわけですが、引き付けると同時に、近づきがたくしたり、恐れさせたり、いろいろなことがありますね。

 人を見ていて、輝いているのに、自信を今一つ持てないんだなあ、といったことを僭越ながら思ったりすることもあります。

 私は、経験論ですが、「自分の放つ輝きを自覚すること」は大事だと思っています。相手から、自分がどれぐらいまぶしく見えているかを自覚することで、周りの人々からの反応の解釈がすごく変わってきます。

 相手の恐れや、ひがみといった悪い面での反応もわかるし、純粋な好意などの反応もわかるようになるとすごく楽です。

 と言いつつ、私は自分が輝いているのかどうかは全くわからんのですが・・・。

 それでね、私の感覚では、自分の輝きを低く見積もってしまうと、変な人が寄ってきたりするし、自分の輝きを高く見積もりすぎると、人が去っていくと言いますか、そういう感じになるかなあ、と。

 当然、前提条件としては、人は、社会の中で生きている。みんながうまくいくために、社会を回している。そのための資源配分の学としての経済学である。そして、人は人と関わり合うからこそ、意味がある、ということがあります。

 その上で、自分がどれぐらい輝いて人を引き付けているのでしょう?経営者が強烈な輝きを放っているのを見ると、ちょっと「あー、後光がさしてるなー」ぐらいに思ったりします。

 実名を出すと、私は高校の頃、桐蔭学園という学校だったのですが、今はもうお亡くなりになった鵜川先生という校長先生が、訓示を言う時は本当に輝いている感じがしたなあ、と思います。おじいちゃんでしたけどね。

 文字通り、キラキラして見えることもある。目の錯覚かと思って、目をこすったりしますけど。

 それでね、輝きに見合わない自信しか持っていないなあ、と思う方には、僭越ですが、もう少し自分が輝いていることを自覚した上で、行動したほうがいいんじゃないでしょうか?と申し上げます。折に触れてね。ボソッとね。そういう感じで言う。

 自分の輝きに見合う自信を持つと、付き合いがちょっと変わってくると言いますか、そういうことが起こるかなあ、と思っています。今まで寄ってきていた変な人も消えていくと言いますか・・・。

 感覚的にふわふわ書いておりますが、伝わりますでしょうか?

 まあ、ポエムみたいなもんです。そんなもんかなあ、ぐらいで思っておくといいかなあ、と。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。

 
2012.08.17(12:11)|ポエムコメント(1)トラックバック(0)TOP↑
 今日は、気遣いのお話です。バーバルなコミュニケーションばかりが強調されているようにも思いますが、ノンバーバルも大事です。

 それでね、「気の置けない友人」という言葉は、気を遣うのが当たり前の世界の中で、気を遣わなくてもずっと仲良くいられるという意味で貴重なわけです。

 ただ、近年のコミュニケーション密度の低下を見ていると、気を遣うことがそもそもよくわかっていない人が増加中だと思います。

 そんな中で無礼講、気の置けないなどという概念はその成立の前提条件を失いつつあるように思います。ただ、他人との関与の中で、磨かれていくコミュニケーションはずっとあり続けます。

 今日は、そんなお話です。
 

①俺は読まれることをコミュニケーション手段にしてきた面があるのだが、これほどわかりやすい表現がわからん人も増えていてびっくりする・・・。

②俺の考えが読みたければ、普通に見ていればいいのに、なぜわからんのだろう?と。

③読まれることを前提にしておくと、相手が自分に配慮した瞬間がすごくよくわかるようになる。あ、これは気を使って言ったんだな、ということがわかるようになって、相手の優しさがわかるようになる。

④その優しさを期待してばかりもいられないので、ちゃんと読める人には、顔に出す場合と出さない場合を使い分ける。こういうことがわかるだけで相当違うのだが。

⑤で、顔に出す、出さないを使い分けていることも相手がわかりはじめるところから、本当に信頼関係のあるというか、深いコミュニケーションが始まると思っていて。そういう相手となら安心していろいろなコミュニケーションが取れて。長い付き合いになるのかな、と思ったりする。

⑥口先でしか情報が受け取れない人とコミュニケーションしてても、なんか面白くないと思うんだけどね・・・。

⑦で、相互的に読み合うというか、配慮しあうというか、そういうところがコミュニケーションの機微というか、そういうもので。それが信頼関係というか、そういうもので。と思うのだが。

⑧そういう関係がたくさん構築できれば、充実した日々が送れているんじゃないかな、と。

 少し解説します。私は、多少の甘えをもって、社会を生きてきた面があります。顔に出すと失礼なことも、敢えて顔に出してきた面があります。

 そうするとね、言わなくても伝わることがあるわけです。言えないことは顔に出してわかってもらうというのは、相手の能力に期待する面で甘えています。いいことではない。

 しかし、出す、出さないを使い分けられると、いろいろとまたコミュニケーションが深くなってくる面がある。

 仲良くなる人、付き合いが深くなる人とは、こういうコミュニケーションが成立している場合だよなあ、と思うわけです。

 このレベル感で「わかる」の感覚が共有できないと付き合いに意味がないような感じになってくると言いますか・・・。

 言葉のコミュニケーションは当然、重要です。

 でもね、それよりも深い領域があることに気が付かず、中途半端にロジカルに言葉にすることだけが価値だと思うと、つまずくし、そういう人も増えているように思います。

 配慮しあう、相手を読み取り、思いやる。そういうことが減少してきているようにも思いますけど、若い人は気を遣うことってどういうこと、ということを少し考えてみてもいいかなあ、と。
2012.08.31(09:26)|マネジメントコメント(1)トラックバック(0)TOP↑
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