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 こんばんは。伊藤です。

 ブログの更新は久々です。すいません。

 さて、今日は認知と操作のお話です。

 認知って何?と思う人も多いと思うので書きますと、人が外にあると思っている物事を視覚などで捉える場合に、必ず記憶の中で似ているものと付き合わせて、見ているという概念です。

 人面犬って大昔に流行りましたね。人面魚とかも。人は何かを認知するということは、記憶の中から似ているものを引っ張ってきて、見ている。だから、魚の顔でも、人に似ている要素があると、人の顔を記憶から引っ張ってきて見るから、人の顔の魚みたいに見えるんですね。

 人はリアルな世界をおそらく知覚して、その知覚したことと記憶と結びつけて、脳内でイメージを再構成して、視覚上に情報を上げているのです。

 でね、自分の生存に意味ある情報以外は、知覚してもおそらく、捨象しています。つまり、捨てています。だから、意識には上がらない。気づきません。こういう点で、認知主義は外在主義ですね。外のリアルワールドと人間の知覚と記憶が協力して、この見えている世界は見えているという考え方です。

 そうするとね、人は、新しいことを知ろうとしないと、見える世界が狭いまんまです・・・。こわいこわい。

 ただ、遺伝的に抽象的な概念が見えない人がいるようですね。他者のインテンション、意図に関して言えば、自閉症の人はわからないそうです。遺伝的にね。

 ただ、最近はあまりに他人と関わらない子供時代の人が多いのか、発達的に他人のインテンション認知能力が低い人がいるように見えます・・・。

 他人のインテンションがわからないと、自分のインテンションとか、わからないですよね・・・。

 では、操作に移ります。

 操作と言うのは、動かしたりすることです。

 前提条件を設定して、その条件内で何が言えるか?を言うために必要です。いわゆる演繹的推論というやつですね。

 これの原型は、目の前のモノを手で動かすということです。たとえばね、おはじきを使って、いろんな絵をかけたりするじゃないですか?積み木を使って、いろんな部品がある中で、その部品の制約の中で作れるものって決まっていますよね?

 そこのアナロジーで理解するとわかると思います。部品の組み合わせ次第でいろいろな物事はできるけど、制約はある。そういうものを組み合わせたりする能力が操作能力の原型ですね。

 それをベースにして、抽象的な情報の組み合わせで何が言えるか?を言ったりするのが操作能力ですね。

 この2つの能力を組み合わせると本当にいろんなことができるようになってくる。どう出来るようになるか?はまた別の機会に書きます・・・。

 操作能力が遺伝的に低い人もいますよね。もしくは、無意識的にしか操作能力を使えない人がいます。

 でね、私は「発想」とかいう人、嫌いです。

 そうすると、そういう人は、「発想」が降ってくるとか言い出したりすると思います。それは、自分のインテンションの動きを認知できず、それを操作もできないと言っているように、私には見えるわけです。

 それでね、また別に興味深いのがアスペルガーです。

 アスペルガーの人は、他者のインテンション認知能力は高くないのですが、それを圧倒的操作能力で補っている。その上で、社会適応しているわけです。でも、時折、エラーを起こします。笑っちゃいけないところで笑い出したり・・・。

 といったことを理論上は考えて、大学では、子供を遊ばせたり企画をしたりする今日この頃です。

 そういえば、ずっとやってきた思考に関する勉強会もそろそろ1年で、終わりです。やってみて面白かったですね。疲れましたが・・・。

 それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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2013.03.03(10:27)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
こんばんは。伊藤です。
暖かくなってきたのはいいのですが、
花粉がすごいですね・・・。

アレグラ飲んで、マスクして、それでもなお、
頭が痛いぐらいです。

先日、大学の所属組織主催のシンポジウムがあって、
少しだけプレゼンをしました。その内容を少し書こうと思います。

まず、学力は確実に低下しています。
苅谷剛彦の学力調査がよく引き合いに出されますが、
学力は低下している。

89年と01年の子供の基礎学力調査から、
いろいろとわかったわけです。

学力は低下し、
基礎学力は階層差を如実に反映するようになってきている。

それでね、これの読み方がちゃんとわかっていない人もいるので、
ちゃんと書きますね。

ハイパーメリトクラシー的な手法が小学校にも80年代以降、導入され、
学びあい、コミュニケーション能力的なことが学校教育でも実施されるようになった。

ハイパーメリトクラシー的なものは既に学校教育に入り込んでいる。
それでもなお、学力は低下している。この現実をどうとらえるか?は大きな問題です。

学校教育にはリソースが投下されます。積極的に。税金が大量に突っ込まれます。
家庭教育でも、親はカネを子供のために使います。

これは、昔も今も、それほど変わっていないでしょう。
それでもなお、学力が低下しているとしたら、昔と今の違いで最も大きなものは何か?
という問いが有効です。

受験教育の洗練化によって、穴埋めばっかりをやるようになったことも原因の1つでは
あるとは思います。そして、それは、能力を低下させる可能性はある。でも、それだけで
説明しきれるとは思っていないのです。

少子化が学力低下の原因なのでしょうか?
確かに上位層は薄くなる傾向がありますので、
上位大学でのレベル低下は説明がつくかもしれません。

でもね、平均的に下がっているとしたら、
ゆとりが、非ゆとりに変わったとして低下を続けたとしたら、
他に原因があることになる。

でね、おそらく、私は一番大きな原因は、地域教育の崩壊ではないか?と
思っています。地域において、子供の集団において行われていた学びが
欠如し始めていることが大きいと思っています。

だって、誰も地域教育にリソース投下しませんからね・・・。

変わり者の篤志家でもない限り、子供の集団が野山で遊べるような環境を整備したりはしないでしょう。
今時は、危ない危ないといって、外に出さないほうが主流ですから。

そうするとね、学校教育に既にハイパーメリトクラシーが入り込んでいるならば、
大学で二流の社会人を呼んで、ハイパーメリトクラシー的な教育をやる必要はないんですよ。
もしも、学力低下がハイパーメリトクラシーによって解決されるなら、中学、高校でのカリキュラムに
そういった要素が入り込んで解決しているんですよ。

もし、そうなら、大学での就業力育成なんて、いらんのです。
上位大学でのキャリアセンターによる教育すら、いらんと思います。
レベル順に普通に就職が決まるだけです。

でね、地域教育がもしも、意味があって、それが学力にクリティカルに効くのならば、
その要素は学校には入り込んでいない。だから、やる意味はある、ということになるのです。

あとね、家庭階層がより如実に学力に効いてくるようになった、という苅谷の指摘も、
地域教育という家庭と学校をつなぐものが喪失しているということから、
説明がつくように思います。そして、そこから生じるスクールカーストや島宇宙の説明にも
なるのではないか?と。

大人になっちゃったら手遅れだよ、と思いますでしょうか?
でも、脳は年齢を重ねても可塑性があるので、
大人になって、地域教育で行われていた遊びをやっても、
ちゃんと刺激がなされて、発達が遅ればせながら起こります。

で、これは、前提条件から演繹的に決まることですね。
単に、同じ条件を操作したに過ぎないことです。
理解するのに特に難しい知識は要りません。

というようなことを、発表したのですね。

論文にして出す内容の要約版みたいなもんです。
実際の論文では遊び教育の実践について、もっと詳しく記述しますけどね。

私は大学での就業力の育成なるものはほぼ不要だと思っている派です。
公教育にはリソースが投下され続け、ハイパーメリトクラシー、メリトクラシーの両面で、
教育が行われ続けるわけですから。

ただ、意味があるとすればこれじゃない?ぐらいな感じです。

長くなってきたので、今日はこのあたりで。
それでは次回をお楽しみに。
2013.03.10(20:12)|シンキングメソッドコメント(1)トラックバック(0)TOP↑
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