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 今日は久々に経営のことを書きます。

 今の日本は成熟市場です。成熟市場で有効と言われる手法は2つあります。ビジョン策定とCRMです。

 PPM的に言えば、成熟市場では顧客の獲得コストが上がりますが、それは逆にスイッチングが起こりにくくなっているということです。この時点で起こる顧客の離反はすなわち、その商品の需要の終わりを意味します。

 日本で終わっちゃった家電は新興国に出て行きつつ、日本では高級化をする必要がありますが、たいていの日本メーカーは、新興国でマスを相手にする方策を取らず、日本の現在の感覚で新興国を捉えて失敗したように見えます。グローバルニッチの集合体というコンセプト自体がそういうものに見えます。

 日本では、家電のメーカーも、ビジョン策定とCRMの方向性に向かうべきだったと思います。新興国ではそんなことはどうでもいいから、とにかく最低限の機能のモノを売ればよかったのだと思います。

 このあたりを車と混同した家電メーカーは多かったのではないか?と思っています。車はシグナリング効果を大きく発揮するものですが、家電はそういう要素があったとして、1つあたりから取れるマージンが小さすぎて、みあいません。シグナリングにカネを払うのか、機能にカネを払うのか、ちゃんと考えるべきだったと思います。

 日本では、家電もシグナリング効果を発揮すると思いますが、それは超成熟市場だからではなかろうか、と。

 中小企業の方がたくましく、ビジョン策定のような物語を使った手法を実践してきたように思います。しいたけですら、「しいたけ侍」みたいなものが出てきていますからね。単純に儲けのためにやっていないというメッセージを出すことが、結果的に儲けにつながるという割り切りをしっかり持てたところはごく少数だったように思います。

 家電の場合、機能の実現の仕方にも物語をもつべきではなかろうか、と。ダイソンはそんなに真面目に見ていませんが、あれも、ビジョン策定の亜種のように見ることができるように思います。

 成熟期において、次の時代に向かうケースにおいては、ある程度、独裁的な要素が必要なケースがあると思います。つまり強いやつが力を発揮してもらわないと困る。すると、大多数の人間は弱いが、そこに頼ることになります。でも、それは弱者にとってはしんどい時代だと思います。

 そうすると、やはりマス商材でも弱者へのメッセージが受容されやすくなるように思います。儲けのためじゃなく社会のためなんだ、というメッセージは前に向かう集団にとって免罪符の役割を果たすように思います。

 さすがに、缶コーヒーが語るような「上級」までチープになってはいけないと思いますが、もう少し洗練された物語が、家電あたりのマス商材には必要だし、企業経営という視点では、企業のビジョンとして必要じゃないかな、と。

 例えばね、NPOの職員が月給13万円で社会の役に立っているんだ!をやりがいにしていて、理事はいい暮らしをしている話は、社会システムから見れば、まっとうな視点から見れば社会悪ですが、それを成立させるロジックには、成熟期特有の、日本特有の興味深いものがあるように思います。

 それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。


 わかりやすく書くと怒られそうなことを書いているので、分かる人には分かるように書いていますね。ごめんなさい。

 
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2013.04.02(09:25)|ソーシャルコメント(1)トラックバック(0)TOP↑
 就職活動の時期も、今年ももう終わります。いろいろな学生が私のところに来ましたが、勘違いしている人がたくさんいたので、そういった痛い勘違いに向けて、つぶやいた内容をまとめます。


①好きなことをやればいいんだよ!で生き残った人と、そうでない人がいます。で、それはもうずっとずっと繰り返しで、手を変え品を変え日本に出現している現象で・・・。

②そういう、「好きなことをやろう」を勧める人が、カネにケチだったりするのを不思議に思わないのだろうか?極論、カネがないんだよ。

③カネは社会の役に立っている人のところに集まります。なぜなら、社会で人に必要とされることをやることの対価がカネだから。ただ、その対価を集団でやって独り占めするNPO理事などもいることは確かです。当然、そういうブラック企業社長もいます。

④社会は全体で生産活動をしているので、その歯車としてみんなの役に立っているヒトのところにカネが集まります。そのシステムから外れて、システムの恩恵にフリーライドするヒトもいますが、そういう人は信用されません・・・。

⑤好きなこと、やりたいこと、というのを考えた時、それが「供給サイド」を見て、発するものだというのがわかるでしょうか?あなた自身から、「需要サイド」から湧きあがっているんでしょうかね?「○○をやりたい!」は所詮、選ぶものでしかない。

⑥そこで、「内発的動機」などというものが、大嘘だということに気づけばまだいい。でも、多くの「やりたいことをやる」人は自分の抱えている矛盾に気づかずに、社会に参加できなくなっているように見えます。

⑦リクナビに陳列された企業から、「やりたいこと」を探し、それがあたかも自分の内側から発したものだと思い込む。それって痛くないですかね?

⑧とある、「やりたいことを仕事にする」論者で、累計百万部売っているような人が「マルチの神様」だったり、「これからは夫婦ともに働かない生活がいいよな。本が稼いでくれる」と言っているのを聞いて、けっこうシュールに感じました。

⑨企業の外に出たとして、結局、企業のシステムに依存してお仕事をもらう道が、社会貢献だと思いますよ。自分でお客さんを集めて、自分の教えを広めて、食っている人は、たいていは本音と建て前の使い分けがお上手です。ある意味、宗教の世界ですね。必要とされる気休めを生産しているだけです。

⑩お金と商品、サービスの交換が起こっている限りは、社会に必要とされることをやっているわけですが、それが、持続可能か?というのは、結局、社会に必要とされ続けるか否か?というところで。個人の教えなんて、所詮、上位数パーセントの人しか食えない強烈な争いの場所だし、宗教に勝てませんよ。

⑪たいていのことは、これまで生きてきた人が考えていて、自分が考えたことなんてちっぽけなものに過ぎないことが自覚できないのに、社会の役に立つような考えが次々と湧き出てくるんですかね?

⑫先人の知恵を学ぶ意味は、自分も大きな流れの中にあるに過ぎないし、でも、その大きな流れの中に確実にいることに気づくことじゃないですかね。所詮、たいしたことはないけど、それでも、連綿と続いてきた流れとのつながりの中にある。それが社会に出ることで、確認されるし、後に繋げていける。

⑬大学で出会う人間の数と、ある程度の規模の企業に入って出会う人間の数なんて、比較にならないですよ。同じ傘の下にこうも多くの人がいて、こんなにつながっていて、そして、社会に求められる物事を生産し続けていることに気づく。そうすると、社会人は薄っぺらかった学生時代など忘れてしまいます。

⑭その企業のつながりから完全に外れているように見える人たちが言う「社会」って何なんですかね?

⑮ネットの発達で、個人が企業から外れても食える時代にはなりましたが、大きな組織がなしていることに比べれば、小さい小さい。本当は社会の役に立ちたかったんじゃないんですか?

⑯自己啓発難民の行く末はせいぜい、「食えるノマド」ぐらいなもんですよ。やりたいこととか、社会の役に立つとか、そういうことを求めていたはずなのに、一番役に立たなさそうなところに立っていませんか?と問いたいわけですね。


 もう、言い尽くしている感がありますが、少しだけ解説します。

 やりたいことをやるんだ!と言って、実際にそれをできる人は少数です。もとい、カネの持続性と両立する人は少ないのです。

 たいていの人は、企業に属さないと生きていけません。貧しくなるだけです。

 企業の外に出て生きることができたとして、それは既存の企業システムにのっかっているだけです。広告系など、ヒエラルキーが確立している業界は、中小企業への所属とフリーの境目が少し曖昧だと思いますけど。

 で、自己啓発ビジネスに手を染めている人が、やりたいことを煽り、さして能力のない人の背中を押して、独立させちゃったりします。

 それ、ほぼ犯罪です・・・。

 やりたいことをやるんだ!と社会の役に立つんだ!を言い放つ人の属性はすごく似ています。ひどい言い方をすれば、自分が社会から見て無能だということに気づいていないという属性だと私は思います。

 そういうことに対する説教はやまとあったのですが、今は、そういう若者を意欲がある!と評価する建て前に変化しているので、また事情は複雑になっています。彼らに彼らの間違いを説くロジックより、意欲を評価するロジックが先に立つのです。これも、公教育にキャリア教育が入り込んだ罪だと思っていますけど。

 今、更にひどいのは、昔は独立を煽るような文句だったのが、就活の志望動機などにこの理屈が応用されていて、自分はこれがやりたいんです!と目をキラキラさせて語る手法を、さも企業が求めているかのように語る就活指導者みたいな人がいることです。

 これは大嘘なのですが、信じてしまうと、人生終わりますね。そんな胡散臭いやりたいことなんて企業側は求めていませんからね・・・。

 そもそも、社会は希少な資源を配分している。資源を使って、生産したものやサービスをみんなで分け合っている。その分け合うモノ、サービスが低コストで最大になるように、自由なマーケットが選択されている。中学校三年生で習うこの原則すら知らない人が、意欲に満ちて薄っぺらい「やりたいこと」を語ります。

 大人の義務としては、そういった人を正しい道に諭すことではありますが、今の大人は自分のことで精いっぱいなので、無視するか、表面上良くしてあげるか、ひどい場合にはこういう子供からカネをとって自己啓発の道に進ませるぐらいしかできないでしょうね・・・。

 このひどい状況に対して、私ができることは、情報を発信することと、目の前に来た人に、「君は無能だよ」と言ってあげることぐらいです。そして、やりたいことがどうと言うより、どこに入れるか?を考えてみたら?とか言ったりします。なかなかせつないことではありますが・・・。

 だんだん、気が滅入ってきましたが、こういうことです。では、また次回をお楽しみに。

2013.04.14(19:08)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
こんばんは。伊藤です。

久しぶりのメルマガです。
すいません。午前の予定がぶっとんだので、
陸の孤島みたいなところにいるので、
ベンチに座ってメルマガ書いています。
喫茶店が探せないのです。

それでね、本を書くと、
文章を書く欲みたいなものが満たされちゃって、
書く気分が減退しますね。すいません。言い訳です。

村上春樹が、小説家はエッセーとか書くもんじゃない、
と言っているのが、そうかなあ、と思いましたが、
そうかもしれないと思うようになりました。
これも言い訳です。

で、今日は、ストラテジーへの正しいスタンスみたいなものを
書こうと思います。

それでね、人材がダメだから日本は成長しないんだ!みたいな
ことを言うのが流行っているみたいです。

うーむ。と思いますね。これはこれで、自分に戒めるなら、
その気概は買いますが、本当にそうなんですかね?

じゃあ、インドは人材がいいから成長するんですかね?
ちょっと前の中国は人材がいいから成長したんですかね?

先進国で衰退の気配を見せないのはアメリカぐらいな気がするのは
気のせいでしょうか?

確かに、ストラテジーを考える人材は常に欠乏しています。
世紀の大発明をするような人材も常に欠乏しています。
そりゃあ、ジョブズみたいな人間は常に欠乏していますわ。

でもね、そういう人が次々と生み出される必要があるか?というと、
それもどうなんだろうと思うわけです。

たいていの人は、組織で実行を支えています。
エグゼキューションはそれはそれで奥が深い領域です。

そこを支える人材は常に大量に必要ですが、それに比べれば、
ジョブズみたいな人が大量に必要ではないのではないかなあ、と。

そんな人が育てられるなら見てみたいですが。
そういう人を育てるかのように言う人もいますけど、
お前、そういう人を育てたことあるの?と聞いてみたいですね。

グローバル人材も似たようなもんだと思います・・・。
グローバルリーダーを作るんだ!とか言うと特にね、あれですね・・・。

その気概は買うけど、それは再現性がある方法であるわけがないわけですね。
「ジョブズに日本を任された」とかは聞きますけど、
「俺はジョブズを育てた」とかいう人は聞きませんよね。

当たり前です。

ジョブズは里親に出されて、肉体労働者の家庭で育って、
大学を中退してますよね。うーん。やはり真似するモデルでもなさそうな気がしますけど。

人間がギリギリの状態で試行錯誤を繰り返すと、確かに新たなものが稀に生まれたりしますし、
それが自由なマーケットの醍醐味でしょう。たいていの産業政策はゴミみたいなもんで、
利権だけを生み、産業を衰退させます。

ストラテジーを考える役割になっちゃったら、必死で考えるしかないわけです。
そして、正しいかわからないけど、試行錯誤をするしかないんです。
そして、そのストラテジーを実行する組織を支える人々も必要ですが、
彼らはその繰り返しの実行を支えてくれればそれでいいのです。

ホリエモンの出所インタビューで共感できたのは、
「無理して儲けようとして太っていた」というところでした。
私もサラリーマン最後の年は77キロでしたよ。

ストラテジーみたいなもんを考えるのは、体に良くない。
そんなことを健やかにやるやつはおかしいと思いますよ・・・。
それこそビジョナリーリーダーなんて私は病気みたいなもんだと思っています。

そういう難しいこと、不健康なことは、経営者が引き受ければいいんですよ。
そして、実行を支えてくれる人には、日々の繰り返し業務をやってくれているだけで
感謝すべきなんです。

人が成長をもたらすとか言い出すと、従業員がボロボロになっていきますよ。
そして、離脱が止まらないですよ。コンサルティングの離職率が高いのってそういうことじゃないですかね・・・。

ストラテジーにかなった施策を考えることなどは、プランニングのスタッフにやらせてもいいとは思います。
でも、そこに耐えうる人も少数派ですよ・・・。

「やりたい」って言うならやらせてみればいいですけど、
たいていはすぐに根を上げます・・・。

そんなもんでいいんじゃないでしょうか?
今の日本では、新たな産業が生まれないこと、新たなストラテジーを考えられないことが問題ではありますが、
そこは、志があって、そこにクオリファイな人が頑張ればいいんじゃないかなあ、と。

それでは今日はこのあたりで。
次回をお楽しみに。
2013.04.22(11:10)|戦略コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 さて、今日はなんとなく、目の前のことが見えているか?的な話です。

 おじさんが若い人にこういうことを言う場合、たいていハッタリだったりするわけですが、積極的な意味合いも考えてみます。

 それでね、仕事ってすっげー退屈な作業の積み重ねだったりするわけですよ。長期的にスーパーになりたいと思ったところで、それは地道な作業の繰り返しによって可能となるわけです。

 その地道な作業というのは、目の前にあることを粛々とこなすことですよね。

 大きな志があるのはいいけれど、細かいことはやだ、と言われると困ってしまうのです。所詮、大きなことも具体的な細かい作業の積み重ねなわけですから。

 しかもね、作業というのが、大企業の場合は細やかな人間関係を構築することも含まれたりするわけです。いやー、めんどうですね。

 周囲の人間とうまくやれないと、結局、仕事はうまくいかない。

 協力を依頼されたら快く引き受けるし、逆に協力を依頼してもいいわけです。このへんを爽やかにやれる人間が望まれる。

 でも、たいていは人間関係には問題が出ます。どんなに人材のセレクションをしようとも、人間関係に問題が全くない職場なんて存在しないわけですよ。

 大企業で何かしらの企画をやる時、ある部門が他の部門に協力するかの基準は、その部門のリーダーとかが好きか嫌いかだ、というのはよくある話です。気に入ればやるし、気に入らなければやらない。

 誰からも嫌われないことは、仕事が円滑に動くためにはすごく大事なんですね。

 ある役員まで昇進した人は、新人の頃は、お客さんのために仕事をするんだ、なんで会社のやつに気を使って仕事をしないといけないんだ、と思っていたそうです。でも、異動になってから仲がいいふりをしてみたら、すごく仕事が円滑に進んで、あれよあれよと出世したそうです。

 そういうことです。

 大きなこと、将来を見ること、そういうことは大事ですが、目の前の地道なこと、作業や人間関係構築から逃げてはいけませんよ、ということでした。

 組織を動かそうとしたら、大きなことをしようとしたら、それぐらいのことが必要だってことですね。

 それでは、また。次回をお楽しみに。


 
2013.04.23(15:08)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 おはようございます。最近、ブログがあまり更新できていないですね。

 思ったことがあっても、忘れるんですね。書く時間がない。言い訳ですね。いけません。

 今日は説教くさいことを書きます。大学で教えていて思うのは、学生が「勉強」という言葉で表現していることは私が思う「勉強」ではないことが多いんだなあ、ということです。

 今時は、テストで点をちょこちょこ取れるようにすることが勉強のようです。そうするとね、ちょっとしたことを知れば、ちょっとわかって、それでいい、という感覚になっている人が多いんですよね。

 安易な「ビジネス文書の書き方」や「ものの言い方」みたいなものが売れる時代ですので、学生を笑えません。これはビジネスマンの多くにも共通する傾向となってきているようです。

 たいていの人は、人に言われたことをこなすだけのオペレーションをやるだけの人ですので、いいのかもしれません。ただね、上位大学に通っている人はこれでは困ってしまうのです。

 自分で何をすべきか?考えられる人になることが望まれています。これは自分勝手に何をすべきか?を決めるということではなく、既にある物事、他人、組織などが影響し合って成立している社会の中で、何をすれば自分の目的にかなう結果となるか?を考えられる人になることを望まれているということです。

 そのためには、目に見える物事、安直なことだけでなく、目に見えないことが人間に影響していることを知らねばなりません。

 理性万能主義で、一生懸命世界を理性の力で探求してきた西欧人が、「構造主義」「無意識」のようなものに出会って受けた衝撃というものは大きいのですね。

 人間は理性ですべてを決めているわけでもない。見えないもの、気づかないことに大きな影響を受けている。

 今では、その構造主義や無意識は、行動経済学や認知主義といったものに置き換わっているように思います。人は、そのレベルによって、見えるもの、気づくことが完全に違い、その見える領域、気づく領域を増やしていくことが望まれる。

 まさに、その活動こそが勉強なんですね。

 人の認知はスカスカで、一部だけが強調され、見ていないのに見ているかのような気になっていることが指摘され始めたのは90年代ぐらいでしょうか。有名なフレーム理論とかそれを現実的に支える脳機能がわかった。「つぎはぎだらけの意識」という指摘がなされました。

 月はでかく見えますよね。でも、見た感じほどのでかさではないのです。みかんを1メートル先に置いた時と、2メートル先に置いた時で、見た目の大きさはほとんど変わらずに見えます。本当はすごく小さくなって網膜に映っているはずなのに。

 自分が見ている世界がすごく恣意的であることに気づく瞬間は、まさに衝撃的です。こんなことを知らなくても、自分の研究対象をひたすら考えていれば、いつか到達するのですが、大抵の人は気づかないままに制限時間を迎えます。

 そして、自分の行動が、見えないものに誘引されている。経済学部であれば誰でも知っているインセンティブです。これも、社会が研究に入ってくる人であれば、ずーっと社会現象を見ていれば、いつかは気づきますが、今は教科書のはじめの方に書いてありますから、そんなん当たり前だと思うでしょう。

 見えないものを見えるようになり、自分たちの行動をいつの間にか決めている外部の力に気づくこと。これに気づくことが初等教育ぐらいの目的に入れてもいいぐらいなんですが、実感をもってわかる人は少数派です。

 でも、ここに到達するために学ぶんですよ。第一段階ぐらいですけど。

 どうもね、初等教育の教育に携わっている人が、あまりに学問から遠い方々が多いせいか、誤った理性主義や、誤った情緒主義みたいなものに毒された子供が目の前にたくさんやってくるんですね。

 その解毒から始めないといけない人の身になってよ、と思うわけですが、なかなか困ったことです。

 確かに、毎週毎週小テストがあって、その穴埋めをやることが勉強だと思い込まされた人たちには、見えないものがあり、いつの間にか自分の行動は決められていることに気づきもしないでしょう。

 そして、自分の能力を上げ、見えないものが見えるようになると、自分の「考え」が完全に変わって行ってしまうことにも気づきもしないでしょう。

 固定的な価値観を情緒的に素晴らしいものだ、固有なものだと言う人が最近では大学にすらいますよね。笑ってしまいますが、仕方のないことなのでしょう。

 人は学ぶと、価値観は流れていく。流転するのです。人の「個性」などというものは固定的ではないのです。何かしらの固定を子供に強いる人が多くて困ります。俗流心理学の弊害でしょうね。

 人が見えるものが変われば行動が変わります。行動が変われば、成果が変わります。

 見えるものを規定しているのが、価値観です。

 何かしら新しい物事があることを言語で提示されれば、人は見える物事が変わっていく。自分が変わっていく。

 それが勉強ですよね。

 そして、自分を制約する周囲との関係や、もっと大きな物事との関係に気づいていく。構造やシステムに気づいていく。

 そうすると、何かしらの「やりたいこと」が固定的に自分の中にあるとおっしゃる方もすさまじいわけですが、今日は長くなったのでやめましょう。

 自分が変わらずに済む勉強なんて勉強ではありません。自分は変わらずに何かの武器を身に着けるとおっしゃる勉強は、どうしようもない大人を生産しているように見えますが、大丈夫ですか?

 今日は多少強烈な表現で書きましたが、こんな感じで。

 それでは次回をお楽しみに。
2013.04.28(09:34)|教育コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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・過去に人類が考えてきたこと(Thought)を蓄積し、そこから鋭い洞察(Insight)を生み出し、その洞察がまた、Thoughtの一部になっていくプロセスを回していくこと。そのプロセスが社会のナレッジ量を増加させ、全ての価値を生み出すことを認識すること

・先人の知恵に対する敬意を払い、学び続けること。ナレッジの自己への入力量が自身の考える能力を向上させ、社会のナレッジ量を増加させることを知ること

・社会のビジネスナレッジの偏在を正すことを目指すこと。そのために社会の構成員であるクライアントに対してビジネスナレッジを提供すること

・ビジネスナレッジの偏在を利用する悪貨たる企業を駆逐する良貨たらんとすること。そのために偏在を利用する企業以上のマーケティング力を持つこと。そして、提供したナレッジに見合った対価をクライアントから頂き収益を上げ、成長していくこと

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・クライアントの成長を望むこと。具体的な解の提示よりも、その解を出すプロセスをシェアすることにより、クライアント自身がプロセスを組みなおし、異なった解を出す力を増加させることに重きを置くこと

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