**********************************************************************
メールマガジン「インサイト100」
週に1回配信中。
登録は⇒http://www.taii.jp/
**********************************************************************
こんにちは。伊藤です。
昨日は暖かく春のようでしたが、
今日は普通に冬ですね。

さて、今日は大学で学生を見ていて、
いわゆる自閉的な子供、コミュニケーションに問題がある子供をなんとかするのが一番大変なのですが、
そのステップを少し書いてみようと思います。

まずね、一番困るのは、しゃべれない人。

口がそもそも動かない人。
いわゆるインテンション認知能力が低い中で、
なんとかするのが最も困難なケースです。

ただ、これは週に1回、2回、音読を1時間半ぐらい
ぶっ続けでやってもらえば、解決します。
「口から出まかせ」で言葉が出るようになる。

こうなると、けっこう発話行為自体が楽しくなって、
誰かと話したくなります。これはいい傾向ではあります。

しかし、出るようになったところで、まだ壁は高い。

口から出まかせにしゃべれるようになったとして、
しゃべってはいけないこと、公共の場でしゃべるのが不適切なこと、
そのシチュエーションでしゃべるのが適切なことなどがわからないわけです。

確かに、子どもの頃は、いろいろと勝手にしゃべりますよね。
勝手にしゃべるから周りの子ども、大人の反応で学べる。

よい反応があることが残り、悪い反応があるものはやめていく。

こういう自然淘汰が、発話の内容、言い方で起こってくる。
しかし、しゃべれなかった人はこの量が圧倒的に足りない。

しゃべりまくる人で、空気が読めない人も同様ですね。
自分が話していることに他人がどのように反応しているかわからない。
だから、空気を読まずにしゃべり続けてしまう。

ここへの処方箋は、人を典型的にバカにする行為は全て指摘することです。
特に、「笑い方」がわかりやすい。鼻で笑う、乾いた笑いなどが自然に出たら、
それはダメだと指摘する。

その行為に結びつく内的表象自体がよろしいものではないことも指摘し、
そういうのを「上から目線」って言うんだよ、と教え、禁止しないといけない。

それと、他人に何かを言った時、嫌な顔をしたケースを覚えておいてもらって、
報告させる。それはこういうことだという解釈をロジックで教える。
これを繰り返すわけです。そうすると少しずつわかってくる。

ただ、この抑制はけっこう大変です。
この段階での学習が進むと、言おうと思ったことに対して、一歩立ち止まるようになる。

ただね、はじめに子供がやる推論は的外れです。
統合失調症じゃないかと思うような推論をしてきます。

社会適応できるタイプの人は、推論が「常識的」なのですが、
これまで、人の言っていることから、裏を読むとか、文脈を読むとか
そういったことをしてこなかった人に推論をさせないといけない。
これはとても難しい。

以前、Twitterで話題になっていましたが、とあるやばい人が自分のスポーツジムでの体験を
Twitterに書いていたんですね。とあるジムのインストラクターが自分に微笑みかけてきた話です。
その人は、そのインストラクターが自分のことを好きに違いないという推論をした。
そして、手紙を渡した。渡したけど反応がない。

おかしいと思って、もう一度渡した。別の人からそういうのは職場なのでご遠慮願いますと来た。
それがおかしいとTwitterにいっぱい書き込んだ。女の子はその話を私にする時に、「キモいですよね!!!」
と絶叫していましたが、でもそうでもないんです。

それは推論をする能力の問題だし、人によって程度問題で起こる。
恋愛というケースだから、女子にはキモいと感じられるのでしょうが、
恋愛でなければ、統合失調という診断になったりしますよ。

家の前をロシア人ぽい人が歩いていたら、KGBが自分を調査しているのではないか?
ウクライナ情勢が緊迫しているし・・・、という推論も、恋愛での女性への勘違いと同様にある話です。

他人が何を意図しているのか?に関して、一生懸命意味を読むのは、ケース数と正しいフィードバック数が
必要になるわけです。

ただ、他人の反応、意図を予測しつつ、話をするようになるのはいい傾向であることは間違いない。
何もしゃべらないより、確実に前に向かっている。

だから、何かしゃべろうとする時に口ごもる。

しゃべれない状態から始まった人が、以前に言葉が出なかった状態と、
症状は似ていますが、少し違うわけです。ここでは、言っていいのかを少し立ち止まりながら
しゃべるようになる。

そして、少しずつ、推論が正しくなる。

ここまで来れば、少しリアクションが微妙だけど、普通の人の仲間入りができます。
これをまじめにやって、半年から1年かかります。

ここから、コミュニケーターになっていくのに、情動を使うとか、論理を使うとか、
テクニカルなことを教えていくのですが、自閉傾向の人が一番困難を感じることがあります。

それは、「雑談を普通にすること」です。

「雑談で売ろう」とかいう本がありますけど、
これだけコミュニケーションがきつい人が増えているのに、そんな高度なことできるわけないでしょ・・・、
と思ったりします。

ただ、学習障害傾向で、インテンション認知能力が高いタイプは少数ですがいます。
そういう人には雑談セールスのほうがいい。変に理論を教えないほうがいいですね。

もう首都大に来て3年と少しですが、
とほほほほ、と思うような子供が本当に多いですね。
もうおなかいっぱいではあります。

それでは今日はこのあたりで。
次回をお楽しみに。
スポンサーサイト
2014.03.06(09:45)|マネジメントコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 いや、もうね。いろいろと若い人が別種族であることを実感する今日、この頃ですね。

 就活指導なんて下らんと思っていますが、衝撃を受け続けるので、今日も書いてみます。

 一問一答的に答えを覚えれば、なんとかなると思っている人が当たる壁が、低いレベルでは「一貫性」というやつがあります。

 例えばね、実際にあったケースですが、

 「〇〇業界の中でも当社を志望した理由はなんですか?」

 「説明会を見て思ったのですが、女性が活躍していることに非常に感銘を受けました!」

 「そうなんだ。では次の質問です。あなたが社会に出る際に重視することはなんですか?3つ挙げてみて下さい。」

 でね、この質問に対する答えに、女性が活躍できることが入ってないと、違和感がありますよね。違和感があったら、また確認してみるわけです。この人は女性が活躍しているということで、当社を志望していると言っているが、それは本当か?とかね。

 実際に、そういう一貫性が狂っていると思われるところに、その後の質問は集中していました。まともな面接官だとは思いました。はい、学生に面接を録音させて、聞いてるんですよ。私・・・。

 その面接全体で、言っていることが、一問一答的にはそれなりにわかるんだけど、一貫性を見ると、すごく違和感がある。そうすると、低いレベルですが、落ちるわけですよ。この人、どういう人だかわからない、と。

 それでね、これまた、実際にあったケースですが、大手通信企業で、東西大手の面接の際に、違うほうの状況を聞かれたらどう答えればいいか?と聞かれたことがあります。

 その人が言うには

 ①受かっているといったらウソだが、優秀だと思われるかもしれない。しかし、ウソがばれるとまずい

 ②落ちているといったら本当だが、優秀ではないと思われるかもしれない。しかし、通信に興味があるのは間違いないと思われるかもしれない

 ③受けていない。これも嘘だが、落ちたことを言わずに済む。しかし、通信に興味がないと判断されるかもしれない

 どれを答えるべきでしょう?と。

 私の答えとしては、正直に言いなさい、でした。なぜかと言うと、その人は、論理一貫性で問題が出るタイプではなく、頭は切れる。短い時間の交渉ではけっこう強そう、しかし、誠意や誠実さに問題がありそう、という印象になる学生でした。

 超大手企業で最終面接に出てくる役員は、ただのタヌキおやじではありません。頭が切れても、切れることをみじんもみせないでにこやかにいられる人たちです。

 バレます・・・。正確にばれなくても、誠実さに問題があって、企業に悪影響を与えるレベルと思われればとりません・・・。

 だから、「腹をくくって正直に行け、お前程度の詐欺師では騙し切れん連中だ」ということで、正直に腹を割ったそうです。一応、受かりました。

 で、先日、こういう話を頭が切れる学生にしたら、「えー、じゃあ、選択肢のどれを言えば正解とかそういうロジックじゃないんですか?」という恐ろしいことを言いました。

 当たり前だろ・・・、と皆さん思いますか?でも、その人が言うには、「ずっと一夜漬けで答えを覚えて何とかしてきたので、そんなの対応できません」とおっしゃいます。

 しかし、これが言える時点で、この子のレベルはけっこう高いんですよね・・・。

 「嘘ついてもばれるんですか?」というので、

 「確実にばれるとは言えないけど、違和感は感じるよ。そしたら、本当にうちに来るの?とか、そういう意地悪な質問ばかりになってくよ。」と言うと、

 「でもそれ、行きます、しか答えがないじゃないですか。」

 「そりゃそうだよ。でも、その言い方とか、その時の雰囲気とかでいろいろわかるんだよ。礼儀としては、行きますしか言えないけど、その時の言い方と全体の印象で判断するの。何回か似たようなことを聞いて、その言い方を見てればわかるよ・・・。」

 「それだと、対策が効かないじゃないですか!面接の練習とかしても意味がないですよね・・・。」

 もう、喜劇ですが、この子は頭がいいほうですね。

 ただ、これに対してかっこよく、「答えはないんだ!」という薄っぺらさにも私は辟易しています。大人のほうにね。頭悪すぎです。

 結局、これまで必死で頭を使うほうに勉強をしてきたか?といったことが問われるわけですよ。何をするにも、頭を使ってきたの?と。上位大学に入っていたとして、一問一答マシーンは要らないんです・・・。

 自然にできることは別にいいです。できないなあと思うことは必ず出てきます。それに対して自分なりに考え、できるようにしてきたか?

 本当にそれだけです。その積み重ねですよ・・・。上位大学にせっかく入っているんだから、ホワイトカラーで就職するんでしょ?それだけの教育投資をしたんでしょ?と。

 その時、言う答えは、それなりの領域で定まりますよ。コンテクストがありますからね。聞く側がコンテクストから逸脱するケースもありますが、それは人間の営みですからね・・・。

 ぐらいですが、伝わりますか。

 いちいち、口頭で全員に同じことを言うのが疲れるので、一応書いておきます。

 それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
2014.03.07(09:09)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 今日は少しだけ明治維新以降の国民国家としての日本について書きます。

 江戸時代、日本において、「くに」とは、各大名が治める地域をさしていました。越後のくに、会津のくに、肥後のくに、などですね。

 それが、明治維新以降、日本全体をくにという言葉が指すようになる。

 版籍奉還と廃藩置県は、非常に不思議な結果をもたらしました。

 まず、各大名がもっている「くに」を突如として「藩」と呼び始める・・・。そして、それを天皇に帰すように、とやる。そうすると、徳川家が倒れ、薩長土肥の連合軍が勝ち、明治政府を作ったので、まあ、全国的にそれに従う。

 このあと、いわゆる秦のような「郡県制」的に、中央集権化するのか、漢のような「郡国制」的に、分権的に行くのかという選択肢があって、おそらく大名がすんなり所領を天皇に帰しているところを見ると、みんな分権的にやるもんだと思っていたんじゃないか、と考えるわけです。

 普通、領地を召し上げられると抵抗しますよね。

 ところが、廃藩置県を行い、政府が役人を送って支配するようになった。

 そして、まともに内戦は起こらずに、西南戦争が起こったぐらいで済んだ。

 そして、各地域というくにに所属していた人々は、日本という「くに」に統合されていく。これはとても奇異なことです。

 そして、それ以降、あたかも、「くに」がずっとあった「かのように」、みんな伝統的にずっと「日本人」だったかのように振る舞う。

 小学校の焼き討ちなども初期はあったようですが、政府は各地に学校を建て、国民を創り出していく。

 良いか悪いかを論じるというよりは、体制の転換がすんなり行ったという意味で、得られる示唆は多いんじゃないかと。

 いわゆる革命的なものは、現在の中東やらウクライナやらを見ればわかりますけれども、全土を巻き込んだ戦乱というものを経るだろう、と。

 フランス革命の三部会は全人口から見ればたいした割合ではなく、テニスコートの誓いというやつも、テニスコートに納まるぐらいの人間しか関係していなかったと考えると、ちっちゃなものです。

 上からの近代化というものをイデオロギー的に批判するものが、たくさんあったように思いますが、それは「上から」だから失敗したのではないのでは?というような読み直し、パースペクティブの転換が必要なように思います。

 むしろ、下から何かしらやることによって、混沌状態が訪れるというほうが、全体論としては正しそうです。

 ただ、日本の場合は、そもそも現場に丸投げという伝統があるので、下が何かやるのが当たり前なわけです。ただ、これもグローバルという要因が入ってきた時の持続可能性は疑わしいわけですが・・・。

 あったかのように思うことが実はあったか疑わしいけれど、昔からずっとあったかのようにそこにある。それは日本的な変革やプレゼンスの作り方を考えた時にすごく大事なことです。

 改革をするんだ!と言って変えるのではなく、あれ、いつの間にか変わったような気がするけど何が変わったんだろう?という感じで変わるほうが正しいんじゃないかな、と。

 日本的な連続性があるケースですよ。あくまで。

 と、まとまらないことを書きました。それでは今日はこのあたりで。

 次回をお楽しみに。
2014.03.09(10:03)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
おはようございます。伊藤です。

さて、今日はコミュニケーションについて少し書きます。
主にトマセロの↓をベースに書いてみます。

コミュニケーションの起源を探る (ジャン・ニコ講義セレクション 7)コミュニケーションの起源を探る (ジャン・ニコ講義セレクション 7)
(2013/11/27)
マイケル トマセロ

商品詳細を見る


今の認知言語学の流行りでは、
音声コミュニケーションは人間固有だ、という考え方になっています。

動物の音声コミュニケーションは相互的でないケースが多そうだ、と。

私はどちらかというと、犬がわんわん吠えあうのは、相互的なケースがあるように思うんですけどね・・・。

ただ、類人猿などに顕著ですが、鳴き声は相互に情報のキャッチボールをするというよりは、危険を一方的に知らせるような役割が大きいようです。

それよりも、身振り、手振りなどによるコミュニケーションがコンテクストを伴って、意味合いを理解するのに重要だ、と。

いつも言う話で言うと、指差しや物まねが、
文脈を伴う情報交換では重要になる。

それでね、自閉症児への着目というものが、この文脈的コミュニケーションの研究では大事になってきているのですが、身振り、手振りを更に抽象化しないと、言語を使った相互コミュニケーションで文脈を読み合うような形は難しいんですよね。

自閉症の人は、オウムのように言葉は覚えられますが、
言葉が示すもの、示さないものの組み合わせから文脈を読むといったことができないわけです。

それは、他者が意図を持った主体であることがわからないことに起因する。意図があると思えば、言っていること、身振りから意図を読み取るという努力を自然とするわけですからね。

それでね、発達環境が一人っ子が多くなって厳しくなってきている。地域の子供集団も崩壊してきているので、他者とのコミュニケーション量が圧倒的に低下している。そうすると、他人の意図を読む能力は衰えている。

それによって社会としては、同調圧力が維持できなくなる面があります。日本は他人の意図をしっかり読み合って、「察する」社会です。察してなるべく争いを起こさない。そういう社会ですが、それがいいか悪いかは別にして持続可能ではなくなる。まあ、企業としては一大事ですけどね。日本的コードに満ち満ちた企業が多いですから。

また、能力開発としては、人の意図を読む訓練をさせないといけないことになる。結局、意図を認知する能力と、操作能力の大きく2つが人間の社会適応能力です。そもそも、意図が読めないと、人の考えを察することができないと社会適応できないわけです。これも企業としては大問題です・・・。

でね、ここまで言っていることが意味するのは、人の意図を読む訓練をするとして、言語を伴って行うと高度になってしまう。今の若者はそんな高度なことはできない。だから、能力を伸ばすとして、言語を使わずに行う意図を読む訓練をしたほうが、やりやすいということがわかってくる。

つまり、身振り、手振りで文脈を読むと言う訓練をひたすらやったほうが、いわゆる「コミュニケーションの能力」を上げるには意味がありますよ、というお話です。

発話は発話で、また別の行為という側面があるので、発話を伴ってコミュニケーションの訓練をするのは、ちょっと高度だから、ついてこれない人も増えてるだろうなあ、と。

発話はコミュニケーションと分離できてしまう面があるので、発話に問題がある時にはまた別のことをしないといけない。

だから、別建てで、音読をひたすらやらせて発話の楽しさみたいなものは教えて、文脈を読むようなコミュニケーションの訓練とは切り離してみる。

そういった考え方でやったほうがいいだろうなあ、でも、普通の企業の人事の人は、ここまで若い人が社会適応上やばくなっているなんてわからんだろうなあ、と思う今日この頃です。

それでは次回をお楽しみに。
2014.03.16(08:39)|マネジメントコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
おはようございます。伊藤です。
花粉がしんどいですが、暖かくなってきて一安心だったのですが、
また今日は寒いようですね。

さて、今日は久しぶりに哲学よりの話を書きます。

ウィトゲンシュタインの著作は遺稿集を含めて
全部読んだのですが、とても示唆に富んでいます。

ええ、厳密な意味が完全にわかったら狂人ですからね。
示唆に留める形で読むもんですよ。はい。

「論理哲学論考」で言語の限界について考えます。

最後の言葉があまりに有名ですね。

「語り得ぬものには沈黙しなくてはならない。」

世界を記述する言語の限界が人間の思考の限界だと
考えるわけです。そして、倫理などの価値判断はその外にある、と。

普通に考えてこれは明らかに間違っていますが、ウィトゲンシュタインはその奇行から言って、明らかにアスペルガーですよね・・・。

彼は空気を読めるタイプではない。文脈もうまく読めない。言葉は言葉通りにしか解釈できない。その世界が居心地がよいわけです。

良寛法師もアスペルガーだったということで、
その奇行が有名です。

子どもとかくれんぼをしたら、「見つかるまで隠れていないとだめだ」と言われ、次の日も隠れていたというお話です。まさに言葉通りに解釈していたのですね。

で、その彼が「語り得ぬものには沈黙しなければならない」と言うから、また、面白いわけです。
しかし、彼のすごいところは、語り得ることと思考の関係を徹底して考えたことです。

私がよく使う「事実と事態の関係」、「思考とは事態の想定」も
ウィトゲンシュタインから持ってきています。

論考を書き終えて、全ての哲学問題は疑似命題だという結論をもとに、
ウィトゲンシュタインは哲学をいったんやめるわけですが、また哲学の世界に戻ります。

「論考」において、倫理の問題、つまり価値判断などの問題は世界の外にあるから、言語で扱えない。無駄な命題だから、ナンセンスな答えしかないと言ったわけですが、やっぱり言語を使って、その世界の外側に挑もうとして、いろいろやり始めるわけです。

ここで、後期ウィトゲンシュタインは文法を問題にしたと言う人もいますが、
文法を問題にしたのは、言葉が暗黙に想定する言葉通りの意味以上の情報を含むことを論点にするためだと思います。「論考」で演繹的に答えが出ること以外、無駄だと言ったわけですが、それを無駄にすると日常の人間の理解自体が、ナンセンスなものに支えられていることになってしまいますからね。

ここから、語用論の領域に踏み込んでいきます。
いわゆる文脈、コンテクスト、意味合いというものがあるということを
検討するのです。

こんなもん、健常者にとっては当たり前なのですが、
言葉を言葉通りに捉えるウィトゲンシュタインにしてみれば、極めて奇異なのです。
かくれんぼで見つかるまで隠れていなくてはいけないという言葉を文字通りにとるのが
自閉症、アスペルガーですが、「時間がたったら出てきてもいいだろう」と捉えるのが健常者です。

この時間がたったら出てきてもいいという推論は、言葉の中からだけでは出てきません。
暗黙の了解というやつです。

この考える枠組みを見てみると、非常に示唆的です。

怒られそうですが、気分的にサマリーを書くと、

世界は事実でできていて、我々は事実理解のために像を形成し、その像の写し取り方に論理という形式があって、像の可能性を検討するのが思考であり、現実との対応で正しいか間違っているかが定まる。自分が考えうる事実から演繹的に世界の全体像が定まる。その外側に価値判断の問題、人間の生の問題などは存在するが、それは正しくは語り得ない。語り得ぬものには沈黙しなくてはならない。

・・・、ぐらいでしょうか。

後期の最後は「言語ゲーム」という言語観にウィトゲンシュタインは至ります。
言語が意味する物事は、人々の経験によって、言語の使用の意味の変化に基づいて
変わっていく、参加者の合意が全体ルールの変更をもたらすと言うのです。

これは、マーケットが変わっていくのに非常に似ています。

人々は日々言語を使用しているけど、使用しているうちに意味がずれてくる。変わってくる。
人々は日々商品を使用しているけど、使用しているうちに意味がずれてくる。変わってくる。

商品が欲しい、使いたいと思って買ったけど、使っているうちに人が変わってくる。
そうすると、欲しいと思う商品が変わってくる。

これは価値判断の変化です。

商品の使用経験、所有経験によって、全体の価値判断が変わり、個別商品の意味合いがどんどん変わってくる。
だから、売れるものは移り変わる。

私の感覚では、この枠組みが見えているか見えていないかが、
企画ができる人か、そうでない人かの違いだと思います。

別に哲学的な言葉遣いで理解している必要はないですが、
感覚的に人の価値判断が変わってくる、その変化は商品使用経験、所有経験、購買経験などに依存している。
ということが見えているかが大事です。

ウィトゲンシュタインは言語の考察からこういうことを問題にしますし、
マルクスは商品価値の考察からこういうことを問題にしますね。

長く書いてしまったので今日はこのあたりで。
次回をお楽しみに。
2014.03.21(08:24)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
Twitter
メールマガジン登録
メールマガジン「インサイト100」週に1回配信中。登録は⇒http://taii.jp/の登録窓から
プロフィール
推薦図書
経営理念
弊社のコンサルティングのポリシーです。

・過去に人類が考えてきたこと(Thought)を蓄積し、そこから鋭い洞察(Insight)を生み出し、その洞察がまた、Thoughtの一部になっていくプロセスを回していくこと。そのプロセスが社会のナレッジ量を増加させ、全ての価値を生み出すことを認識すること

・先人の知恵に対する敬意を払い、学び続けること。ナレッジの自己への入力量が自身の考える能力を向上させ、社会のナレッジ量を増加させることを知ること

・社会のビジネスナレッジの偏在を正すことを目指すこと。そのために社会の構成員であるクライアントに対してビジネスナレッジを提供すること

・ビジネスナレッジの偏在を利用する悪貨たる企業を駆逐する良貨たらんとすること。そのために偏在を利用する企業以上のマーケティング力を持つこと。そして、提供したナレッジに見合った対価をクライアントから頂き収益を上げ、成長していくこと

・社会に対する志を持つ企業、個人をクライアントとすること。例え儲かるとしても、志を持たない企業、個人をクライアントとしないこと

・クライアントの成長を望むこと。具体的な解の提示よりも、その解を出すプロセスをシェアすることにより、クライアント自身がプロセスを組みなおし、異なった解を出す力を増加させることに重きを置くこと

・抽象的な理論のレイヤから、クライアントサイドの具体へと寄っていくこと。ただし、その過程でクライアントにも具体のレイヤから抽象のレイヤに寄ってもらうこと。その上で、中間のレイヤでクライアントと共に新しいナレッジを生み出していくこと
カテゴリー
月別アーカイブ
RSSフィード
ブロとも申請フォーム