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こんばんは。伊藤です。

今日は久しぶりに哲学の話を書いてみます。
前のメールマガジンでニーチェとウィトゲンシュタインの話を書きました。

それでね、文字、書き言葉の普及によって自分の存在が可能性の中にあることが自覚されるということは書きましたよね。

もっと違った人生があったはずだ、とか。こだったはずなのに、とか。
いろいろな可能性の中に自分がある。これをビジュアルにすると、ピカソの絵みたいな感じでしょうか。

その可能性の幅の中にある自分というものに、耐えるのは意外と難しいです。なぜかと言えば、過去の自分の判断がいろいろな現実をもたらしえたにも関わらず、現在の自分が実現しているというのは、けっこう耐え難いことである場合もありますよね。

人生大満足な人は、耐え難くないですよ。

しかし、人生大満足な人はそれほど多くはないでしょう。すると、後悔したりしますよね。今の現実ではない道があったはずで、それはすぐ隣にあるような気がする。でも、起きてしまったことは起きてしまった。

夏目漱石の「鉱夫」という小説は、選択を誤ることが自分の現実をもたらしてしまうことを突きつける小説ですよね・・・。

私の実家の犬は、腎不全で死んでしまいました。癲癇だったので、癲癇の薬を飲んでいて、その薬で腎臓がやられたわけです。癲癇の薬を飲むと、夜中にいつも鳴いていました。いかにも、どこか痛そうだったように私には見えましたが、腎不全だとはまさか思わないわけです。

そうするとね、そういうことに気づいていれば、とか思ったりするわけです。まだ生きていたかもしれないとかね。そういう思いは、強い認知的不協和を生みますし、センスがあれば可能性の中に自分の人生があることを自覚できるでしょう。自分の人生の通っている道のすぐ横に違った道があるような。そのブレ幅の中に自分がいるとか。

コンサルタントの仕事は、企業に対するオプションの提示ですから、まさにこういった感覚に近いわけです。私もブレ幅の中にいる感覚がすごくあるんですよね・・・。

そして、人や企業を見る場合には、幅というか、実現しなかったその人の可能性みたいなものの中にあるその人、その企業という見方をするわけです。

いわゆるパラレルワールド、哲学では可能世界論ですね。

しかし、そんな幅広い可能性の中に自分がいると思うと、落ち着きません。だから、人は安易に運命論を受け入れる。これは運命なんだ、自分はこういう定めなんだ、と。

でも、それを受け入れられない時に、創作みたいなもの、他にありえた可能性の表現のようなものが生まれることもあると思っています。私のコンサルティングのエネルギーも、他にありえる可能性の提示なわけです。

クライアントへのオプションの提示において、もっと悪いことだってありえると思うこともありますが、関係が深くないうちはあんまりハッピーでないことを言っても嫌がられるだけなので、あんまり提示はしませんね・・・。

しかし、前から書いておりますように、ビジネスはモノからコトへ、コトからサマへと移行しているように見えますので、顧客にありえる可能性の提示というのは、バリューの一部になってきてはいますよね。今やカスタムは当たり前ですし、複数プランの提示は当たり前になってきています。

ただね、個人のレベルでその可能性の中にある自分が馴染んできてしまうと、この可能世界から違う可能世界への移行みたいなもののポイントみたいなものも感じるようになってきたりはします。一瞬で移動する場合と、少しずつ移動している場合と両方あるように思います。ただ、こういった世界観の浸透はまだまだ分かる人とそうでない人の差が激しい部分ではあると思っています。

小説でも、芸術作品でも、私はそういうものを感じさせるものに惹かれたりはしますね。

このあたりはニーチェの「ツアラトウストラかく語りき」を読むと感じるような部分です。ご興味がある方は、意味不明ですがぜひお目通しください。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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2015.09.03(21:46)|読み物コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 久々のブログですが、映画の感想です。

 大島優子さん主演の『ロマンス』見ました。個人的には好きな部類の映画です。

 以下、あんまりストーリーラインの詳細は書きませんが、ネタバレ注意です。

 『100万円と苦虫女』をもうだいぶ前に見たのですが、似たような感じの雰囲気は醸しています。タナダユキさんの作品は、女性のリアリティーをとてもとても上手に描いていると思います。『100万円と苦虫女』では、最後のセリフ『来るわけねーか』がとても印象に残っています。

 90年代に宮台真司が終わりなき日常を生きろと言いましたが、その割に本人、日常の講義やゼミは放り出してどこかに大学とは違った日常を求めてらっしゃると思いますし、脱原発とかそういうほうに行ってしまいましたが、タナダさんはこのつまらんテーマと言いますか、みんなが根負けして放り出してしまうような日常を丁寧に丁寧に描きます。

 小田急全面バックアップで、ロマンスカーだから『ロマンス』というネーミングだとは思います。でも、いわゆる一般女子は全く求めていないロマンスがあります。だから、一般受けはしないと思います。しかし、そこがいい。

 普通の人が映画に求めるロマンスというのは、すごいイケメンとの恋と言いますか、ファンタジーと言いますか、日常の退屈さを吹っ飛ばしてくれるものだと思います。本当にスーパーな非日常の刺激です。きっと『ヒロイン失格』はそんな感じなのでしょうね。楽しみです。

 しかし、この映画はそんな甘い期待を許してはくれません。

 ロマンス?と言いますか、箱根の逃避行と言いますか、その相手はおっさんです。しかも、ダメな部類に属するおっさんです。全くかっこよくない。しかも怪しい。

 若い女の子がそんなダメなおっさんと非日常体験をする。そんなの普通の女子は求めてない。でも、現実はそんなもんですので、非日常体験をしに映画を見に行ったら、日常の延長を思わせられる。いやあ、ひどいですね。

 それでね、人間はとても弱い。どうしようもないというか、しょうもない。そういう部分を抱えている感じをうまーくうまーく触って出す。これはとても繊細な技術だと思います。CG使ってりゃいいだろ的な大雑把な映画には真似ができない芸当ですね。

 大島さん演じるハチコちゃんのお母さんはダメな女子の典型と言いますか、離婚して、次々と男を変えていき、その状況に依存してしまうダメな女です。娘の機嫌を取る時は、必ず男とうまく行っていないとき。本当にダメダメですよね。

 でも、ハチコちゃんの彼氏が一瞬出てきますが、これまたダメダメで、寝ざめに「1万円頂戴」と言うようなカスです。イケメンですけどね。ハチコちゃんはロマンスカーの販売員というカネがなさそうな女子ですが、3000円ぐらい置いて出て行ってしまう。これまたダメダメなわけですよ。

 この彼氏との未来に幸せな結婚なんておそらくないですよね。でも、ダラダラと続いてしまいそうな感じがある。ロマンスカーの販売員としてのハチコちゃんは販売成績はいい。ちゃんと仕事はできる。でも、幸せになれそうな雰囲気を醸しているわけではない。笑顔は常に営業用で、微妙な表情をずっと続けてる。

 そのダラダラした日常がロマンスの後にも続くかもしれない。でも、ひょっとしたら変われるかもしれない。おっさんとの箱根の逃避行は母からの手紙から始まる。

 ラストシーンのハチコちゃんの満面の笑みがとても印象に残ります。そこまであんまり笑わないから。心から、心の底から笑う感じじゃないから。この最後の笑顔に救われる感じになって映画は終わります。

 でも、『100万円と苦虫女』のラストシーンの「来るわけねーか」のさっぱりした救われる感じとは違って、母との関係が癒されるのか、満面の笑顔ができるようになったハチコちゃんがとってもいい。

 しかし、映画館はガラガラで、全く話題にならない感じの映画にはなっていますが、これぞ邦画と言いますか、日常と言いますか、クリエイティブと言いますか、描き切る難度が高い映画で、それを見事に描けている感じが最後にはします。ご興味があればぜひ。

 それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
2015.09.17(08:24)|ポエムコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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