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インサイト100マネジメント
> レクチャー形式は悪なのか?
 このブログの更新までゆるーくなっている今日この頃、これではいかん!と思いつつ、まあ、いいのかな、と思いつつ。

 今日もインサイトナウ転載企画です。私は好き嫌いがけっこう激しいのですが、いい加減にB2Bソリューションをやっている人が大嫌いなんですね・・・。で、そんな方々への批判を込めて、書いた記事です。

 アドレスは、http://www.insightnow.jp/article/1403ですね。

 未だにマスプロ教育批判が未だに甚だしい。レクチャー形式では、人は考えるようにならない!との主張をする方々が非常に多い。しかし、本当にそうだろうか?レクチャーの語源はアリストテレスが始めたリュケイオンという教育機関を語源とし、約2000年もの間、続いている。それが本当に効果が薄いものなのだろうか?

 人が本当に成長するためには、レクチャー的に教えてはいけないんだ!自分で考えるようになるには、敢えて言わないことが大事なんだ!学校で行われていたような詰め込み教育は間違っているんだ!と声高に主張する人々が未だに多いように思います。

 でも、そういう声を受けて、ゆとり教育が生まれたと思うのは私だけでしょうか?ゆとり教育の結果は、見るも無残なものだったと思います。

 そして、文部科学省は、逆に詰め込み型の教育指導要領に戻したのは記憶に新しいですね。

 それなのに、未だに職人的?な精神論?「考えさせるためには教えないほうがいいんだ!」と未だにおっしゃる方がいます・・・。

 確かに、教える内容にもよることは認めます。間違った内容を伝えるぐらいなら、「あなたはどう思うの?」と聞いていたほうがましではあります。もしくは、教えるものを持っていない場合にも、そのほうがいいかもしれません・・・。

 意外と、コーチを名乗る人は、こういう人が多いですね。まあ、コーチングの前提は、「知識はいらない」というものがありますから、それはそれでいいのかもしれませんが・・・。

 ただ、この議論で本当におかしいと思うことは、「考える」ことを教えるためには、「詰め込んで」はならないという、「考える」と「詰め込み」があたかもトレードオフのように語られていることです。

 別に、詰め込むトレーニングをしながら、考えるトレーニングをすればいいのでは?と主張する人があまりいないのはなぜなのでしょうか・・・。不思議ですね。

 それと、いわゆる詰め込み型というか、レクチャー形式の教えるということは、紀元前4世紀のアリストテレスが始めた教育機関、リュケイオンに端を発しています。

 リュケイオンでは、レクチャー形式で教えつつ、散歩道を歩きながら、議論を交わしたそうですね。一方的な情報伝達を教室でやりつつ、そのナレッジを前に進めるための議論を散歩道でしていたんですね・・・。

 レクチャーというのは、2000年もの間、脈々と続いている教育形式なんですね。人類にこれだけ長いこと続いているものには、やはりなんらかの有効性があるのでは?と私は思います。

 それと、「自分で考えなさい」といういわゆるコーチング的な投げかけで一番問題なのは、考えるという行為がなんなのかすら規定していないことです。

 言ってる本人も、考えるとは何か?を説明できないでしょうね。というか、私がこういった質問をして、まともに答えられた人は今までほぼいないですね。コンサルタントだろうと、経営者だろうと、コーチだろうと、ほぼいません・・・。

 「考える」というのはいったいどのような行為なのでしょうか?

 そして、情報を頭に詰め込むこととどのような関係があるのでしょうか?

 私なりの答えとしては、考えるとは「関係性を発見、検証する行為」だと思います。そして、関係性というものは、「情報を大量に得る」ことによってはじめて、自分で生み出せるようになるものだと思っています。

 関係性というのは、因果関係、相関関係、大小関係、包含関係といったものがあります。

 知見として、教えられるものは、関係性についてのルールを教えますよね?シンプルな例えで言うと、「これをやれば儲かる!」も関係性のルールです。

 Aをすると、Bになる。これが積み重なったものが、人類の知見の積み重ねのようなものですね。それが体系化される時に、大小関係や包含関係、そして、相関関係が緻密に組み上げられていくんですね。

 「Aをすると、Bになるけど、Bになると、Cが生じて、Aに影響を与える。」これは、いわゆるループ構造ですね。

 「しかし、Cは同時にBに影響を与えるが、Aに与える影響よりは非常に小さいので、この要素間の関係においては、無視できる程度である。」

 などの記述もありえますね・・・。

 つまり、先に述べた4つの関係性に代表されるようないろいろな関係性が積み重なって、「構造」が組みあがるんです。

 教えるというのは、この関係性のルール、大きく言えば「構造」を教えることです。大工さんだったら、「この種類の木材を削るときには、少し強めに削るほうが、家が長持ちする」とかでしょうか?ちょっといい加減な例ですけど。

 関係性がそこにあるなら、人はいつか気づくかも知れません。

 ただ、考えさせると時間がかかる。でも、そこで見出した関係性は強固だ、といったところでしょうか?そして、次の関係性を自分で生み出せるんだ!

 だから、敢えて教えない。といった理屈が、レクチャー批判派の方々の意見でしょうか。

 ただ、学会ってありますよね。あれは新しく得られた関係性に関する知見を発表する場ですよね。それに対し、いろんな学者が、「そうだ!」とか、「それは違う」とか、「それが本当なら、更にこうなるはずだ!」と言い合う場だと思うのですが、これ、レクチャー形式で発表しますよね。

 この方法で、サイエンスは発達してきたんですよね?そして、西洋的サイエンス以外の体系は敗れ去って来たんですよね?

 関係性について、大量の情報をまず得ないと、次の関係性の類推はなかなか難しいと思います。また、教える側が悩んだ問題で、教えられる側に同じ時間を求めるのでは、人類の知は発展しません。

 自分がたどり着いたことを効率よく伝えるからこそ、次の人は新たなこと、より高みにあることに到達できるんだと思います。

 上司は部下に自分を乗り越えることを望むべし、という奇麗事に近いことを私はいつも思っています・・・。まあ、少数派ですけどね。

 関係性を見出す訓練をしつつ、大量の関係性に関する記述を情報として教えてもらう。こういったことは人類の知というものが前に進んでいくのに、非常に有効な手段だと思います。

 いわゆる「職人的に」気づかせることの欠点は、圧倒的にスピードが遅い、もしくは教えられる側が一切前に進まない場合があることです。

 コーチングをしているつもりで、部下に接していても、部下が一切成長しない、というのは、非常に笑えないお話しです。

 まあ、折衷案としては、短期的に出さなければいけない成果に関しては、上司が教えることで成果を出し、時間的に余裕があることは、ある意味で、気づかせる、ということをやるといったところでしょうか。

 職人さんを妙に美化して、自分が教えられないことを棚に上げて、「私は気づかせているんだ」と言う人間ほど無責任なものはないのでは?と私は思います。

 レクチャー形式でもしっかり教えられるだけの知の体系を自分の中に持ち、それを教えつつ、対話しながら部下の考える能力を伸ばしつつ、それでいて、次々と新たな関係性、新たな構造を、ビジネスナレッジを次々に生み出していく。そういった経営者、リーダーが一番理想的ではありませんか?

 もし、理想的なら、そこを目指すのがいいのでは?と私は思います。

 知ることができれば、そこに近づける。目指すと決めれば、変わる。私はそう信じています。
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2008.05.23(10:10)|マネジメントコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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