ビジネス社会はいまだに男社会、と信じている人もいると思います。
男が引っ張ってビジネスを動かしているんだ!という幻想を抱ける環境はまだ幸せかもしれません。女性の社会進出はもう、当たり前になって、実は女性の力で持っている組織ということに気がつかない人はいっぱいいるような気がします。
といっても、わたしはフェミニストでもないです。
そして、別に女性の歓心を買いたくてこんなことを書いているわけでもないです。
ただね、いるんです。たまに。
オフィスで女を出すやつはムカつくとか、そういう言動。
これ、やっぱりおかしいですよね。できる女性を見たことがない人がいうセリフだと思います。
できる人はできますよ。男の力が!とか言っている単純な人よりね。
そして、女を出すな?どこを見て女を出すなといっているのでしょうか?
いや、むしろもう少し男の幻想に付き合ってあげたら、と思います。
こういう人は、チームマネジメントの基本がわかっていません。チームは男性的な力だけでもまわらんし、女性的な力だけでも回らんのです。
でもね、これは必ずしも、女性だけのチームは回らない、男性だけのチームは回らないということではないんです。
いまや、男性も女性的に振舞う時代ですからね。お化粧をしている男性もけっこういます。そういう女性的とこれまで見られてきた力と、これまで男性的と見られてきた力の両方が要りますよ、ということです。
男性と女性という性差と、男性的といわれる力、女性的といわれる力の違い、この2つの違いは一致しないと思います。
一人の人間に宿っているものだし、チームの男女分け隔てなく宿っているものです。
よくある「甘え」を指して、これだから女性は、と言っているのなら、別に男女という性別の差は関係ないと思います。男も十分甘ったれてますよ。
もしくは、そのマネジャーが女性がいると、自分の物にしたくなるというシャドーを抑圧しているからでしょうか?だから女性的な部分を出すな!と言ったりするのでしょうか?
何度も書いていますが、心のセンターに至ることが大事です。バランスが大事です。
女性的な部分をオフィスで抑圧してもなんの意味もないです。いや、むしろクリエイティビティがそがれますよね。そして活気を失う。離脱が増える。いや、成長がなく停滞する。
こんなこと書いても伝わらないかもしれません。最近、まともに書きすぎでしょうか?「シュレディンガーの猫」とかを書いていたころの、誰もついてこれないブログに逆戻りしている感もありますけどね。
友人のコンサルタントに冷ややかに言われます。結果だけ教えてやりゃあいいんだよ。そのメカニズムなんて、誰も理解できないよ。そんなこと言ってどうする?と。
ただ、着実に世界は変わってきていて、そのスピードは早くて。
昔、90年代に岡田さんの「まじめな話」という本を読みました。
この本を読んで、先進的だな、と思ったのは、岡田さんは一億総クリエーター時代が到来するといっていて、そんなの、すごい先で、ぼくらは死んでいるよ、と言っていました。
でもね、もう、その時代に入りつつあるのは皆さんわかりますよね?98年と書いてあるので、10年前ですよ。10年前に、100年後ぐらいに思っていたことが、もう起こってきている。
これはすごいことですよ。本当に。
そのクリエイティブな力は、英米文学を専攻していた人間としては、ゲイ・レズビアン批評とか、クイア理論とか、そういうところに萌芽を見ます。
ちなみに、英文科の教授はフィギュアが大好きな、禿かかった、シェイクスピア研究の第一人者で変人だったと思います・・・。いや、あの人はすさまじかった・・・。
ただ、学生時代、勉強をぜんぜんしなかったわたしが、唯一必死で勉強して、優をもらってよろんこでいた講義でした。知れば知るほど、すごい教授でした・・・。ハリウッド映画の批評が楽しかったです。イングリッシュペイシャント、羊たちの沈黙、時計仕掛けのオレンジ。
ニーチェが言ったように、人は自らの価値を無意識的に表明し、人の価値を無意識的に落とす表現をしてしまう、ということがすごくわかる講義でした。
クイア理論とか、この辺の単語はわからなければ自分で検索してください。すぐに出てきます。というか、これからの時代を考えるときに必須だと思います。
考えないでいる時間はもうないような気がしていて、ちょっとわたしが焦っているのかな、と思います。このあたりのことを知らないことは致命的に手遅れになるのではないかな、と。
でも、相変わらず、ビジネスの講義では3Cがどう、STPがどうと言っている。本当にこんなんでいいのだろうか?と一人悩みつつ、資料を作り続ける今日この頃です。
あまりに爆発しそうな気がしたので、書きなぐってしまいました。目の前には資料の山。処理すべき作業は山ほど残っているのに。こんなことを書いている暇もないはずなのに、ついつい発散しているのかもしれません。
すっきりしたので、仕事にかかろうと思います。では、次回をお楽しみに。
男が引っ張ってビジネスを動かしているんだ!という幻想を抱ける環境はまだ幸せかもしれません。女性の社会進出はもう、当たり前になって、実は女性の力で持っている組織ということに気がつかない人はいっぱいいるような気がします。
といっても、わたしはフェミニストでもないです。
そして、別に女性の歓心を買いたくてこんなことを書いているわけでもないです。
ただね、いるんです。たまに。
オフィスで女を出すやつはムカつくとか、そういう言動。
これ、やっぱりおかしいですよね。できる女性を見たことがない人がいうセリフだと思います。
できる人はできますよ。男の力が!とか言っている単純な人よりね。
そして、女を出すな?どこを見て女を出すなといっているのでしょうか?
いや、むしろもう少し男の幻想に付き合ってあげたら、と思います。
こういう人は、チームマネジメントの基本がわかっていません。チームは男性的な力だけでもまわらんし、女性的な力だけでも回らんのです。
でもね、これは必ずしも、女性だけのチームは回らない、男性だけのチームは回らないということではないんです。
いまや、男性も女性的に振舞う時代ですからね。お化粧をしている男性もけっこういます。そういう女性的とこれまで見られてきた力と、これまで男性的と見られてきた力の両方が要りますよ、ということです。
男性と女性という性差と、男性的といわれる力、女性的といわれる力の違い、この2つの違いは一致しないと思います。
一人の人間に宿っているものだし、チームの男女分け隔てなく宿っているものです。
よくある「甘え」を指して、これだから女性は、と言っているのなら、別に男女という性別の差は関係ないと思います。男も十分甘ったれてますよ。
もしくは、そのマネジャーが女性がいると、自分の物にしたくなるというシャドーを抑圧しているからでしょうか?だから女性的な部分を出すな!と言ったりするのでしょうか?
何度も書いていますが、心のセンターに至ることが大事です。バランスが大事です。
女性的な部分をオフィスで抑圧してもなんの意味もないです。いや、むしろクリエイティビティがそがれますよね。そして活気を失う。離脱が増える。いや、成長がなく停滞する。
こんなこと書いても伝わらないかもしれません。最近、まともに書きすぎでしょうか?「シュレディンガーの猫」とかを書いていたころの、誰もついてこれないブログに逆戻りしている感もありますけどね。
友人のコンサルタントに冷ややかに言われます。結果だけ教えてやりゃあいいんだよ。そのメカニズムなんて、誰も理解できないよ。そんなこと言ってどうする?と。
ただ、着実に世界は変わってきていて、そのスピードは早くて。
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この本を読んで、先進的だな、と思ったのは、岡田さんは一億総クリエーター時代が到来するといっていて、そんなの、すごい先で、ぼくらは死んでいるよ、と言っていました。
でもね、もう、その時代に入りつつあるのは皆さんわかりますよね?98年と書いてあるので、10年前ですよ。10年前に、100年後ぐらいに思っていたことが、もう起こってきている。
これはすごいことですよ。本当に。
そのクリエイティブな力は、英米文学を専攻していた人間としては、ゲイ・レズビアン批評とか、クイア理論とか、そういうところに萌芽を見ます。
ちなみに、英文科の教授はフィギュアが大好きな、禿かかった、シェイクスピア研究の第一人者で変人だったと思います・・・。いや、あの人はすさまじかった・・・。
ただ、学生時代、勉強をぜんぜんしなかったわたしが、唯一必死で勉強して、優をもらってよろんこでいた講義でした。知れば知るほど、すごい教授でした・・・。ハリウッド映画の批評が楽しかったです。イングリッシュペイシャント、羊たちの沈黙、時計仕掛けのオレンジ。
ニーチェが言ったように、人は自らの価値を無意識的に表明し、人の価値を無意識的に落とす表現をしてしまう、ということがすごくわかる講義でした。
クイア理論とか、この辺の単語はわからなければ自分で検索してください。すぐに出てきます。というか、これからの時代を考えるときに必須だと思います。
考えないでいる時間はもうないような気がしていて、ちょっとわたしが焦っているのかな、と思います。このあたりのことを知らないことは致命的に手遅れになるのではないかな、と。
でも、相変わらず、ビジネスの講義では3Cがどう、STPがどうと言っている。本当にこんなんでいいのだろうか?と一人悩みつつ、資料を作り続ける今日この頃です。
あまりに爆発しそうな気がしたので、書きなぐってしまいました。目の前には資料の山。処理すべき作業は山ほど残っているのに。こんなことを書いている暇もないはずなのに、ついつい発散しているのかもしれません。
すっきりしたので、仕事にかかろうと思います。では、次回をお楽しみに。
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