最近、これまでお世話になったかたがたと、ご飯を食べる機会がけっこうありました。
「こういうことあると傷つきますよね?」とわたしがしんどい旨を言うと、みなさんおっしゃっていたのは・・・。
「人をさんざっぱら傷つけまくってきたお前がそんなことを言うようになったか。成長したもんだ」
とのこと。そうか、わたしも人を傷つけまくってきたんだ。
いや、確かに。
目的の遂行のためには手段を選ばないタイプでした・・・。いや、単にぶつかって相手を吹き飛ばすのが好きだったのかもしれませんけどね・・・。
恥ずかしいお話しを書きます。
昔、わたしは空手をやっていました。ちょうど、干されていた時期だったので、暇だったのです。まあ、上司とぶつかりましてね。日々、干されていることを実感していました。
そんなつらさを空手にぶつけていました。毎日夜中まで、サンドバックをたたき続ける毎日でした。戦う場を求めて地方の試合によく行きました。茨城、静岡、大阪、山梨。よくあんなに行ったもんです。千葉の試合で優勝した時は、すごく嬉しかった。本当に。
そんな時、外人にからまれました。
六本木の交差点を歩いていたら、肩がぶつかった外人がいた。そして、彼を見ると、携帯で電話中でした。彼はやたらとでかい声で英語でがなりたてていました。
「目の前にクソヤロウがいて、俺に挑んでいるぞ、お前も来いよ。この生意気な野郎をぶちのめしてやろうぜ」、と英語で言っていました・・・。
20代のある時期、仕事はうまくいかず、空手に明け暮れる毎日だったわたしは、非常に喧嘩早かったと思います。
相手の背は180ぐらいのでした。わたしの目の前に、その白人の胸板がありました。彼がファイティングポーズをとり、軽くジャブを出してくるので、バッグを片手にわたしは軽く鼻に突きを入れました。
鼻血がツーっと垂れました。彼は「殴りやがったな」と英語で言いましたが、彼が素人なのは明らかでした。
彼が右手で顔を抑えているので、わたしは左手で彼の右手をつかんで、そのままひたすらローキックをかれの左足に入れ続けました。キックミットを蹴るように。
稽古していない人は、ローキックのブロックはできないですよね・・・。
20発ぐらい、ローキックを入れたころでしょうか。彼はうずくまって、必死で手を振りほどいて逃げようとしていました。
そろそろいいか、と思って、渾身の右ローキックを彼のももに入れ、手を放すと、彼は足を引きずりながら交番のほうに逃げていきました。そうだ、ここは六本木の交差点。交番の真向かいじゃないか・・・。とその時われに返りました。
彼が逃げていくと、わたしは外人さんたち、ギャラリーに囲まれていることに気がつきました。みんな、わたしに拍手を送っていました・・・。中には握手を求めてくる人もいました。
170ぐらいの小さな男が、180を超えそうな白人をたたきのめすのは、見ていて面白かったかもしれません・・・。
そんな暮らしだったので、わたしの右こぶしの皮はいつも剥けていました。
会社で、営業系の人とミーティングをすると、彼ら視線はわたしの右手に集中します。こいつ喧嘩しているなというのは、そりゃ、営業部門の人はわかるでしょうね・・・。
ある意味、そういったアドバンテージを、干されなくなった後にも使っていました。すぐに暴力的な言葉遣いをする。怖い目をする。
きっと、傷ついた人はいっぱいいたでしょうね。
わたしとぶつかって、やめた人間もいましたし。
そんな時代を知る、お世話になっていた方々は、あれ、何そんなこと言ってるんだろう?と思ったでしょう。
よくよく思い出してみれば、わたしはひどい人でした。自分が無感覚、痛みを感じないから、人にひどいことができたんでしょうね。
今は、痛みがわかってきました。ただ、人に優しくできているかはわかりません。
ただ、目の前で傷つく人はみたくないですよね。
そんな普通の感覚になったのは、つい最近のことで、ずっとわたしは荒くれ者でした。理性の刀で人をバッタバッタと切っていたのでしょう。きっと。
きっとね。
目の前の苦しむ人は助けたい。痛そうにしている人には手を差し伸べたい。自分が何ができるかわからないけど、差し伸べてあげたい。
人を守れるならば、守ってあげたい。
ようやく、そんな普通のことを思うようになった今日、この頃。
いや、まだ普通の感覚に達していないかもしれない今日、この頃。
ゆるーくない日々が目の前に押し寄せ続けていますね。
「こういうことあると傷つきますよね?」とわたしがしんどい旨を言うと、みなさんおっしゃっていたのは・・・。
「人をさんざっぱら傷つけまくってきたお前がそんなことを言うようになったか。成長したもんだ」
とのこと。そうか、わたしも人を傷つけまくってきたんだ。
いや、確かに。
目的の遂行のためには手段を選ばないタイプでした・・・。いや、単にぶつかって相手を吹き飛ばすのが好きだったのかもしれませんけどね・・・。
恥ずかしいお話しを書きます。
昔、わたしは空手をやっていました。ちょうど、干されていた時期だったので、暇だったのです。まあ、上司とぶつかりましてね。日々、干されていることを実感していました。
そんなつらさを空手にぶつけていました。毎日夜中まで、サンドバックをたたき続ける毎日でした。戦う場を求めて地方の試合によく行きました。茨城、静岡、大阪、山梨。よくあんなに行ったもんです。千葉の試合で優勝した時は、すごく嬉しかった。本当に。
そんな時、外人にからまれました。
六本木の交差点を歩いていたら、肩がぶつかった外人がいた。そして、彼を見ると、携帯で電話中でした。彼はやたらとでかい声で英語でがなりたてていました。
「目の前にクソヤロウがいて、俺に挑んでいるぞ、お前も来いよ。この生意気な野郎をぶちのめしてやろうぜ」、と英語で言っていました・・・。
20代のある時期、仕事はうまくいかず、空手に明け暮れる毎日だったわたしは、非常に喧嘩早かったと思います。
相手の背は180ぐらいのでした。わたしの目の前に、その白人の胸板がありました。彼がファイティングポーズをとり、軽くジャブを出してくるので、バッグを片手にわたしは軽く鼻に突きを入れました。
鼻血がツーっと垂れました。彼は「殴りやがったな」と英語で言いましたが、彼が素人なのは明らかでした。
彼が右手で顔を抑えているので、わたしは左手で彼の右手をつかんで、そのままひたすらローキックをかれの左足に入れ続けました。キックミットを蹴るように。
稽古していない人は、ローキックのブロックはできないですよね・・・。
20発ぐらい、ローキックを入れたころでしょうか。彼はうずくまって、必死で手を振りほどいて逃げようとしていました。
そろそろいいか、と思って、渾身の右ローキックを彼のももに入れ、手を放すと、彼は足を引きずりながら交番のほうに逃げていきました。そうだ、ここは六本木の交差点。交番の真向かいじゃないか・・・。とその時われに返りました。
彼が逃げていくと、わたしは外人さんたち、ギャラリーに囲まれていることに気がつきました。みんな、わたしに拍手を送っていました・・・。中には握手を求めてくる人もいました。
170ぐらいの小さな男が、180を超えそうな白人をたたきのめすのは、見ていて面白かったかもしれません・・・。
そんな暮らしだったので、わたしの右こぶしの皮はいつも剥けていました。
会社で、営業系の人とミーティングをすると、彼ら視線はわたしの右手に集中します。こいつ喧嘩しているなというのは、そりゃ、営業部門の人はわかるでしょうね・・・。
ある意味、そういったアドバンテージを、干されなくなった後にも使っていました。すぐに暴力的な言葉遣いをする。怖い目をする。
きっと、傷ついた人はいっぱいいたでしょうね。
わたしとぶつかって、やめた人間もいましたし。
そんな時代を知る、お世話になっていた方々は、あれ、何そんなこと言ってるんだろう?と思ったでしょう。
よくよく思い出してみれば、わたしはひどい人でした。自分が無感覚、痛みを感じないから、人にひどいことができたんでしょうね。
今は、痛みがわかってきました。ただ、人に優しくできているかはわかりません。
ただ、目の前で傷つく人はみたくないですよね。
そんな普通の感覚になったのは、つい最近のことで、ずっとわたしは荒くれ者でした。理性の刀で人をバッタバッタと切っていたのでしょう。きっと。
きっとね。
目の前の苦しむ人は助けたい。痛そうにしている人には手を差し伸べたい。自分が何ができるかわからないけど、差し伸べてあげたい。
人を守れるならば、守ってあげたい。
ようやく、そんな普通のことを思うようになった今日、この頃。
いや、まだ普通の感覚に達していないかもしれない今日、この頃。
ゆるーくない日々が目の前に押し寄せ続けていますね。
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