小説は誰でも書けるのか?といわれて、書けるんじゃないですか?と答えました。
というか、書きたいか?というのがすごく大きいと思います。表現したければ、すればいいんです。踊りたければ踊ればいいし、歌いたければ歌う。それと同じだと思います。
ダンサーやっている人も増えましたが、やっぱり、うまいへたがありますよね。
カラオケも、みんな行くようになったけど、うまいひとはうまい。へたな人はへた。私は歌は下手ですが、好きですね。
小説を書くのが好きなら、趣味で書けばいいのです。
商業価値があるか、ないか?は全く別でしょうけどね。
昔、出版社さんに原稿出したことあります。
「自費なら、ありですけど」、と言われて、自分はそのぐらいのレベルなんだな、と思いました。
ただ、編集者さんに評価してもらうのは、いい経験だと思います。今時、原稿の審査なんてすぐやってくれますから、書きたい人は書けばいいのではないでしょうか?
ビジネス書なんて、当たっても、せいぜい数万部の世界ですが、文芸書はあたったら、100万部とか、そういう世界です。
「夢をかなえるゾウ」も100万部レベルですよね。素晴らしい。
小説を書くとき、私はどう書いているか?と言いますと、私が面白いな、と思うキャラクターが、こういう状況に放り込まれたら、どう動くのか?何が起こるのか?という興味で書くんですね。
だから、私の場合、モデルは必ずいます。面白い人を見つけると、ついついその人が、こんな世界にいたら、どんなことが起こるんだろう?と書き始めます。
なんというか、その人の魂だけ引っ張ってきて、後天的なことは多少変える。そうすると、モデル本人もこれわたし?というようなキャラクターになったりするんです。
まあ、偉そうなことが言えるほど、書き物を公表していませんので、説得力がないですけどね。
ただ、キャラクターが状況、他のキャラクターと出会い、ぶつかる。そこの面白さが大事ですよね。
なぜぶつかるのか?
人間的に成長するためです。
学生時代、ユングを一生懸命読んでいたんですが、シャドーという概念を知りました。その時、けっこう衝撃を受けましたね。
人が人を嫌いになるのは、自分の中の否定したい、認められない部分を相手の中に投影するから、嫌いになる。
これが、双方向的になると、すごく傷つけあう。
相手が嫌いなのは、相手に原因があると思うでしょ?でも違うんです。
自分に原因がある。
これを知って、困りましたね。私はけっこう、嫌いな人が多かったからです。なんと、自分はかくも多くの投影をしていたのか?と。
まあ、全てが全て、投影で説明をつけるのも、変ですが、憎しみあう、傷つけあうのは、似たもの同士がやりあっているんです。
そこで、相手に原因があると、お互いが思うから、相手を変えようとする。お前が変われ!、と。
自分は変わる必要がない!、と。
でも、成長するには、和解か、もしくはその憎しみを越えて自分を変えなくてはならない。
そう、まさにキャラクターの変容プロセスがストーリーなのです。その変容が成長であって欲しいのですが、成長を拒絶すると、悲劇になりやすい。成長を選択すると、次のステージが用意される。
成長の途上で変化を拒絶すると、悲劇になるんです。
というようなことを、インサイトナウさんにも書いたような、書いていないような。確か、ヨナコンプレックス辺りのお話しと一緒に書いたと思います。
私はこのメカニズムに意識的になった後も、人とぶつかってきました。バカですね。でも、その時、その時に真剣だからでしょうか・・・。ただ、人とぶつかりあうことで学ぶ、と捉えると、嫌いな相手も自分にとって、重要な役割を果たしているということがわかります。
ただ、まさに争っている相手に、こんなこと言ってもわかりませんよね・・・。はっはっは。自分が変わったことを相手が感じることが大事なのでは?と思います。
実際の世界でそうなると、しんどいですが、悲劇になりかけて、ぎりぎり成長を選ぶぐらいが、ハラハラしますよね。
人を変えようとしていると、やはり軋轢が出てくる。そこで、自分を変える方向にシフトする。そうすると、これまで激情に駆られるような感じがしていたのに、それが消滅してしまう。消えていってしまう。
その感情が盛り上がって、限界まで行って、解消されるというところで、読者は快感というか、スッキリ感を味わうんですね。
実際の仕事でも同じです。相手にぎりぎりまで成長を選んで欲しいと願いつつ、自分もここがいけない、そこは変えていこうと判断するんです。
そうすると、たいていは関係がよくなるか、その相手をそれほど意識しなくなります。仕事は仕事でうまくいくようになります。
これは、書いてあるほど、楽な作業ではないです。しんどい。本当にしんどい。現実世界で仕事をやってる最中は特にしんどい。
ストーリーを書くならいいんですけどね。まあ、プロはプロで書くという行為は、別の意味でしんどいと思いますが。
だから、実社会で、そういう乗り越えられた体験をしている人は、そういう体験を書いてみればいいんだと思います。誰でも書ける要素はあると思います。
さて、上手く伝えられているでしょうか?もう、眠いので今日は寝ます。それでは次回をお楽しみに。
というか、書きたいか?というのがすごく大きいと思います。表現したければ、すればいいんです。踊りたければ踊ればいいし、歌いたければ歌う。それと同じだと思います。
ダンサーやっている人も増えましたが、やっぱり、うまいへたがありますよね。
カラオケも、みんな行くようになったけど、うまいひとはうまい。へたな人はへた。私は歌は下手ですが、好きですね。
小説を書くのが好きなら、趣味で書けばいいのです。
商業価値があるか、ないか?は全く別でしょうけどね。
昔、出版社さんに原稿出したことあります。
「自費なら、ありですけど」、と言われて、自分はそのぐらいのレベルなんだな、と思いました。
ただ、編集者さんに評価してもらうのは、いい経験だと思います。今時、原稿の審査なんてすぐやってくれますから、書きたい人は書けばいいのではないでしょうか?
ビジネス書なんて、当たっても、せいぜい数万部の世界ですが、文芸書はあたったら、100万部とか、そういう世界です。
「夢をかなえるゾウ」も100万部レベルですよね。素晴らしい。
小説を書くとき、私はどう書いているか?と言いますと、私が面白いな、と思うキャラクターが、こういう状況に放り込まれたら、どう動くのか?何が起こるのか?という興味で書くんですね。
だから、私の場合、モデルは必ずいます。面白い人を見つけると、ついついその人が、こんな世界にいたら、どんなことが起こるんだろう?と書き始めます。
なんというか、その人の魂だけ引っ張ってきて、後天的なことは多少変える。そうすると、モデル本人もこれわたし?というようなキャラクターになったりするんです。
まあ、偉そうなことが言えるほど、書き物を公表していませんので、説得力がないですけどね。
ただ、キャラクターが状況、他のキャラクターと出会い、ぶつかる。そこの面白さが大事ですよね。
なぜぶつかるのか?
人間的に成長するためです。
学生時代、ユングを一生懸命読んでいたんですが、シャドーという概念を知りました。その時、けっこう衝撃を受けましたね。
人が人を嫌いになるのは、自分の中の否定したい、認められない部分を相手の中に投影するから、嫌いになる。
これが、双方向的になると、すごく傷つけあう。
相手が嫌いなのは、相手に原因があると思うでしょ?でも違うんです。
自分に原因がある。
これを知って、困りましたね。私はけっこう、嫌いな人が多かったからです。なんと、自分はかくも多くの投影をしていたのか?と。
まあ、全てが全て、投影で説明をつけるのも、変ですが、憎しみあう、傷つけあうのは、似たもの同士がやりあっているんです。
そこで、相手に原因があると、お互いが思うから、相手を変えようとする。お前が変われ!、と。
自分は変わる必要がない!、と。
でも、成長するには、和解か、もしくはその憎しみを越えて自分を変えなくてはならない。
そう、まさにキャラクターの変容プロセスがストーリーなのです。その変容が成長であって欲しいのですが、成長を拒絶すると、悲劇になりやすい。成長を選択すると、次のステージが用意される。
成長の途上で変化を拒絶すると、悲劇になるんです。
というようなことを、インサイトナウさんにも書いたような、書いていないような。確か、ヨナコンプレックス辺りのお話しと一緒に書いたと思います。
私はこのメカニズムに意識的になった後も、人とぶつかってきました。バカですね。でも、その時、その時に真剣だからでしょうか・・・。ただ、人とぶつかりあうことで学ぶ、と捉えると、嫌いな相手も自分にとって、重要な役割を果たしているということがわかります。
ただ、まさに争っている相手に、こんなこと言ってもわかりませんよね・・・。はっはっは。自分が変わったことを相手が感じることが大事なのでは?と思います。
実際の世界でそうなると、しんどいですが、悲劇になりかけて、ぎりぎり成長を選ぶぐらいが、ハラハラしますよね。
人を変えようとしていると、やはり軋轢が出てくる。そこで、自分を変える方向にシフトする。そうすると、これまで激情に駆られるような感じがしていたのに、それが消滅してしまう。消えていってしまう。
その感情が盛り上がって、限界まで行って、解消されるというところで、読者は快感というか、スッキリ感を味わうんですね。
実際の仕事でも同じです。相手にぎりぎりまで成長を選んで欲しいと願いつつ、自分もここがいけない、そこは変えていこうと判断するんです。
そうすると、たいていは関係がよくなるか、その相手をそれほど意識しなくなります。仕事は仕事でうまくいくようになります。
これは、書いてあるほど、楽な作業ではないです。しんどい。本当にしんどい。現実世界で仕事をやってる最中は特にしんどい。
ストーリーを書くならいいんですけどね。まあ、プロはプロで書くという行為は、別の意味でしんどいと思いますが。
だから、実社会で、そういう乗り越えられた体験をしている人は、そういう体験を書いてみればいいんだと思います。誰でも書ける要素はあると思います。
さて、上手く伝えられているでしょうか?もう、眠いので今日は寝ます。それでは次回をお楽しみに。
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