忙しいですが、リア充?な日々です。
まあ、大変だ、と。
でも、Twitter上には知の巨人がたくさんいますね。一般受けはしないかもしれませんが、すごい人々がたくさんいるなあ、と。そういう人がいることをリアルに感じられる時代もすごいですよね・・・。
さて、私はコンサルタントという仕事をやっているせいか、ロジカルシンキング的なことに厳しいと思われているみたいです。そんな感じのことを言われます。
でもね、そんなんでもないのです。
ある、感覚的にとても鋭い経営者の方がいて。表面的には確かにその人の言動を捉えるロジックを持つのは難しいだろうな、という人がいます。
でも、その人の言っているロジック、動いているロジックは非常によくわかります。言葉では、なんか変な表現なのですが、場を共有しているといろいろ伝わってくる感じがします。
でも、ほかの人から見ると、あの人ロジカルじゃないですよねー、みたいに見えるようです。
でね、自分が理解できないと、人は意外と非論理的とか、そういうラベルを貼ってしまいがちですよね。でも、外に出た言葉を外のままいじくってるほど不毛な論理性もないんだけどね、と思います。
で、初対面の人と、共同作業をするわけでもなく、情報を正確に伝え合わなくてはならない状況だと、ロジックは大事です。言葉通りにしか伝わらないからです。
でもね、共同作業をする場合や、その相手との付き合いがある程度ある場合は、そんなに言葉に頼る必要もないと思うのです。
純粋に世界を言葉で厳密に正確に表現したい!みたいな欲求がある方は完全に別ですよ。念のため。
で、共同作業の場合は、場を共有しますので、非言語のコミュニケーションが相当発生します。だから、伝わるのです。いろいろなことが。
言葉に頼っていると、そういう感覚的な部分が鈍ると思います。当然、言葉は大事なんですよ。でもね、言葉以外に伝え合っているものがたくさんあるんです。
少し前までは、言葉がメインで、言葉以外のコミュニケーションは、言葉を補完するイメージでいました。でも、最近は、言葉以外のコミュニケーションがメインで、言葉はそれを補っているだけではないか?と思うようになりました。
そういうモデルだと、人と一緒にいるとき、口数が減ります。そして、余計なことを言わなくなりますね。言葉にしないと伝わらないこともありますけど、そういうモデルもいいかな、と。
まあ、書いて、伝えるには言葉しかないんですけどね。
前にも、禅問答みたいなお話しを書きましたが、わざと言葉だけではわからなくしているような言葉もありますよね・・・。非言語の部分でわかってないとわからない。
で、自転車の乗り方がいくら文章でリアルに書いてあっても、乗れないとわからんよね・・・。
で、いくら空手の通信教育受けても、強くならないですよね・・・。
場を共有しないと伝わらないことが山ほどあって。
場を共有していても、言葉に頼っていると受け取れないものも山ほどあって。
そういうことをすごく感じる今日、このごろ。
言葉と言う不完全な器をしっかり加工して、誤解なきように操ることも1つの素晴らしき試みではあるけど・・・。
非言語で伝わるものという、本当にそんなもんあるのか?と思うようなことに、耳を澄ましてみる、体の感覚を研ぎ澄ますことも、同様に素晴らしき試みではないか、と思うのです。
まあ、またまた意味不明なことを書いてしまいましたね。ごめんなさい。
それでは次回をお楽しみに。おやすみなさい。
まあ、大変だ、と。
でも、Twitter上には知の巨人がたくさんいますね。一般受けはしないかもしれませんが、すごい人々がたくさんいるなあ、と。そういう人がいることをリアルに感じられる時代もすごいですよね・・・。
さて、私はコンサルタントという仕事をやっているせいか、ロジカルシンキング的なことに厳しいと思われているみたいです。そんな感じのことを言われます。
でもね、そんなんでもないのです。
ある、感覚的にとても鋭い経営者の方がいて。表面的には確かにその人の言動を捉えるロジックを持つのは難しいだろうな、という人がいます。
でも、その人の言っているロジック、動いているロジックは非常によくわかります。言葉では、なんか変な表現なのですが、場を共有しているといろいろ伝わってくる感じがします。
でも、ほかの人から見ると、あの人ロジカルじゃないですよねー、みたいに見えるようです。
でね、自分が理解できないと、人は意外と非論理的とか、そういうラベルを貼ってしまいがちですよね。でも、外に出た言葉を外のままいじくってるほど不毛な論理性もないんだけどね、と思います。
で、初対面の人と、共同作業をするわけでもなく、情報を正確に伝え合わなくてはならない状況だと、ロジックは大事です。言葉通りにしか伝わらないからです。
でもね、共同作業をする場合や、その相手との付き合いがある程度ある場合は、そんなに言葉に頼る必要もないと思うのです。
純粋に世界を言葉で厳密に正確に表現したい!みたいな欲求がある方は完全に別ですよ。念のため。
で、共同作業の場合は、場を共有しますので、非言語のコミュニケーションが相当発生します。だから、伝わるのです。いろいろなことが。
言葉に頼っていると、そういう感覚的な部分が鈍ると思います。当然、言葉は大事なんですよ。でもね、言葉以外に伝え合っているものがたくさんあるんです。
少し前までは、言葉がメインで、言葉以外のコミュニケーションは、言葉を補完するイメージでいました。でも、最近は、言葉以外のコミュニケーションがメインで、言葉はそれを補っているだけではないか?と思うようになりました。
そういうモデルだと、人と一緒にいるとき、口数が減ります。そして、余計なことを言わなくなりますね。言葉にしないと伝わらないこともありますけど、そういうモデルもいいかな、と。
まあ、書いて、伝えるには言葉しかないんですけどね。
前にも、禅問答みたいなお話しを書きましたが、わざと言葉だけではわからなくしているような言葉もありますよね・・・。非言語の部分でわかってないとわからない。
で、自転車の乗り方がいくら文章でリアルに書いてあっても、乗れないとわからんよね・・・。
で、いくら空手の通信教育受けても、強くならないですよね・・・。
場を共有しないと伝わらないことが山ほどあって。
場を共有していても、言葉に頼っていると受け取れないものも山ほどあって。
そういうことをすごく感じる今日、このごろ。
言葉と言う不完全な器をしっかり加工して、誤解なきように操ることも1つの素晴らしき試みではあるけど・・・。
非言語で伝わるものという、本当にそんなもんあるのか?と思うようなことに、耳を澄ましてみる、体の感覚を研ぎ澄ますことも、同様に素晴らしき試みではないか、と思うのです。
まあ、またまた意味不明なことを書いてしまいましたね。ごめんなさい。
それでは次回をお楽しみに。おやすみなさい。
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