最近のTwitterのつぶやきを振り返ってみようかな、と。
Tweetしまくってます。Tweetというと、やや甘い感じがしますね。つぶやきというと、ボソボソという擬音語がぴったりですが、Tweetというと、Sweet Tweetみたいな感じがします。
さて、Tweetを振り返りましょう。
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こういうことを言うと、日常言語で世界説明を試みているハードコアな方々に申し訳ないですけどね。ファンクショナルサイエンスの信奉者というレッテルを貼られてしまうのだろうか。
数式が素敵だと思うのは、常に関係性を提示していること。フレームワークも本当は関係性を提示する試みであるが、それが記述できず、普及してしまうとエンティティを書くだけという状況に陥る。フレームワークを見て、関係性を新たに作るところまでいける人には時簡短縮の意味しかないこと。
あらゆる具体的方法論には思考のモデルがありそのモデルを数式なりを使って、数値化している。数値、公式もも大事だけど、その思考のモデルをイメージすることが大事。公式を見て美しいとかいう数学者は公式自体を見ているのではなく、その世界の感じ方に感動している
エンティティを語れば、物事が了解できたと思ってしまう人が多いけど。なぜ抜け落ちたものに気がつかない?逆に言えばそれがわからないとエンティティから演繹的に考えることもできない。認知症がどんな病気かもわからないだろう。
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Twitterなので、新しい順に書いています。一番、現在に近いものが上にあるんですね。
コンサルティングスキルがフォロアーに普及してきました。普及したとしても真髄の部分は全く理解されない。抜け落ちるものが相当ある。
空手がもし普及しても、達人と知っているだけの人では雲泥の差が生じますよね。それと同じです。
で、その抜け落ちるであろう部分が何なのか?を伝えるためのTweetです。
ロジックツリーってありますよね。あれもコンサルティングスキルといわれます。で、物事を細かく分けていく。分けて分けてどうなっていくか?わかったような気になるのですが、わかったわけではなく、わからない部分の情報が落ちちゃったんです。
いいですか?
抽象的に語れば語るほど情報量は少ないのです。具体的に語れば語るほど情報量は多いのです。具体の関係が積み重なって事象を生じさせている、そう見える。
実際に、その関係をいじると、いろいろと効果が出る。だから、関係を解きほぐす。それが分けることの意味。
でも、解きほぐした糸はどっかに行ってしまう。物体を糸で結んでいたとして、糸で結んでいたものは解きほぐすと、ばらばらになるし、もとあった結び方をもやは再現できませんよね。
それが失われた情報ですね。
フレームワークでは、枠の中が結ばれたもので、その枠を結ぶ糸があるのです。その糸がどう物体を結んでいるか?がわからないと、フレームワークを使っても、で?となります。
数式の素敵なところは、「=」という左と右が等しいという記号があります。
そのイコールは、+、-という関係で分けられたりします。
乱暴に言いますと、
2=1+1 だったら、2は1と1に分けられる、と読めますね。
5=7-2 だったら、5は7と2の違いである、と読めますね。
数式って関係を規定しているんです。
微分方程式だってそうですよね。難しそうな記号がいっぱい使ってある数式も、結局関係を示しているのです。
フレームワークはエンティティにフォーカスしているように見えますが、エンティティ間の関係性を2次元に表現しているんですね。本当は。中身を埋めることに意味があるわけではないのです。
物理世界に引っ張られて生きている人々は、関係なんて見えないじゃないか!と主張されます。目に見えないものは信じない、と。
そうすると、そういう人は、人間関係も信じないのでしょうね。恋人の関係を切り結んでいる相手がいたとして、恋人って書いてませんよ。2人の小指が赤い糸で結ばれていればわかりやすいですが、残念ながら赤い糸は見えません。
いいでしょうか。人間が何人かいたとして、その人たちの関係自体は目に見えないのです。
でも、関係はありますよね?
それと同じです。エンティティ自体は言語記述されますが、関係は言語記述されない。それがフレームワークの欠点です。でもね、ちゃんと考えて作ったフレームワークを、見る人が見ると、関係が浮かび出て見えます。
既存言語で関係性の記述は非常に複雑で難しいのです。
人はつい、視覚に頼ります。目に見えるものに頼るのです。
論理とは、関係性について正しく物事を言うことです。本当はね。でも、そこに留意できている論理的な人をあんまり見たことがありません。
だから小さい領域で物事を取り出してきて、正しい論理を展開するのは簡単です。でも、小さい領域で取り出してきても意味がないことが多いのです。いいですか、既存の複雑な関係の中で、えいやあ!と物事を言うから価値があるんです。
たまに、感覚が特異な方がいて、関係が目に見える人もいるんですが、そういう人は霊能者みたいな扱いを受けるので、それはおかしいからやめましょう。
前にこのブログでも法隆寺の末裔の人が、ある人を見ると、特別な関係にある人が見えると言うお話しと同じでしょうね。
まあ、人間の認知というのはとても不思議なものですから。
では、今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
Tweetしまくってます。Tweetというと、やや甘い感じがしますね。つぶやきというと、ボソボソという擬音語がぴったりですが、Tweetというと、Sweet Tweetみたいな感じがします。
さて、Tweetを振り返りましょう。
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こういうことを言うと、日常言語で世界説明を試みているハードコアな方々に申し訳ないですけどね。ファンクショナルサイエンスの信奉者というレッテルを貼られてしまうのだろうか。
数式が素敵だと思うのは、常に関係性を提示していること。フレームワークも本当は関係性を提示する試みであるが、それが記述できず、普及してしまうとエンティティを書くだけという状況に陥る。フレームワークを見て、関係性を新たに作るところまでいける人には時簡短縮の意味しかないこと。
あらゆる具体的方法論には思考のモデルがありそのモデルを数式なりを使って、数値化している。数値、公式もも大事だけど、その思考のモデルをイメージすることが大事。公式を見て美しいとかいう数学者は公式自体を見ているのではなく、その世界の感じ方に感動している
エンティティを語れば、物事が了解できたと思ってしまう人が多いけど。なぜ抜け落ちたものに気がつかない?逆に言えばそれがわからないとエンティティから演繹的に考えることもできない。認知症がどんな病気かもわからないだろう。
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Twitterなので、新しい順に書いています。一番、現在に近いものが上にあるんですね。
コンサルティングスキルがフォロアーに普及してきました。普及したとしても真髄の部分は全く理解されない。抜け落ちるものが相当ある。
空手がもし普及しても、達人と知っているだけの人では雲泥の差が生じますよね。それと同じです。
で、その抜け落ちるであろう部分が何なのか?を伝えるためのTweetです。
ロジックツリーってありますよね。あれもコンサルティングスキルといわれます。で、物事を細かく分けていく。分けて分けてどうなっていくか?わかったような気になるのですが、わかったわけではなく、わからない部分の情報が落ちちゃったんです。
いいですか?
抽象的に語れば語るほど情報量は少ないのです。具体的に語れば語るほど情報量は多いのです。具体の関係が積み重なって事象を生じさせている、そう見える。
実際に、その関係をいじると、いろいろと効果が出る。だから、関係を解きほぐす。それが分けることの意味。
でも、解きほぐした糸はどっかに行ってしまう。物体を糸で結んでいたとして、糸で結んでいたものは解きほぐすと、ばらばらになるし、もとあった結び方をもやは再現できませんよね。
それが失われた情報ですね。
フレームワークでは、枠の中が結ばれたもので、その枠を結ぶ糸があるのです。その糸がどう物体を結んでいるか?がわからないと、フレームワークを使っても、で?となります。
数式の素敵なところは、「=」という左と右が等しいという記号があります。
そのイコールは、+、-という関係で分けられたりします。
乱暴に言いますと、
2=1+1 だったら、2は1と1に分けられる、と読めますね。
5=7-2 だったら、5は7と2の違いである、と読めますね。
数式って関係を規定しているんです。
微分方程式だってそうですよね。難しそうな記号がいっぱい使ってある数式も、結局関係を示しているのです。
フレームワークはエンティティにフォーカスしているように見えますが、エンティティ間の関係性を2次元に表現しているんですね。本当は。中身を埋めることに意味があるわけではないのです。
物理世界に引っ張られて生きている人々は、関係なんて見えないじゃないか!と主張されます。目に見えないものは信じない、と。
そうすると、そういう人は、人間関係も信じないのでしょうね。恋人の関係を切り結んでいる相手がいたとして、恋人って書いてませんよ。2人の小指が赤い糸で結ばれていればわかりやすいですが、残念ながら赤い糸は見えません。
いいでしょうか。人間が何人かいたとして、その人たちの関係自体は目に見えないのです。
でも、関係はありますよね?
それと同じです。エンティティ自体は言語記述されますが、関係は言語記述されない。それがフレームワークの欠点です。でもね、ちゃんと考えて作ったフレームワークを、見る人が見ると、関係が浮かび出て見えます。
既存言語で関係性の記述は非常に複雑で難しいのです。
人はつい、視覚に頼ります。目に見えるものに頼るのです。
論理とは、関係性について正しく物事を言うことです。本当はね。でも、そこに留意できている論理的な人をあんまり見たことがありません。
だから小さい領域で物事を取り出してきて、正しい論理を展開するのは簡単です。でも、小さい領域で取り出してきても意味がないことが多いのです。いいですか、既存の複雑な関係の中で、えいやあ!と物事を言うから価値があるんです。
たまに、感覚が特異な方がいて、関係が目に見える人もいるんですが、そういう人は霊能者みたいな扱いを受けるので、それはおかしいからやめましょう。
前にこのブログでも法隆寺の末裔の人が、ある人を見ると、特別な関係にある人が見えると言うお話しと同じでしょうね。
まあ、人間の認知というのはとても不思議なものですから。
では、今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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