なんとなく、今日はポエムです。そういう気分なのです。携帯で誰かに書いた文章を載せてみます。
ホノルルマラソンに行きたかったけど、行けなかったとか、今年の漢字が意味不明な「新」になったとか、そういうことにイライラしているからかもしれません。
で、今日は東京は雨です。
朝だからか優しげな雨が降っています。クリスタルケイを聞きながら電車に乗ってます。
クリエイティブな人をインスパイアするのも私のお仕事です。
経営者のみなさんはとてもクリエイティブです。そういう方のクリエイティブスイッチをうまく押せたなら良かったかな、と。
でもまあ、私はキャラクター的にはサラリーマン金太郎みたいな感じです。自分でいろいろとあがきますが、結局、人の力で道が開かれます。さわやかさのかけらもありません。
誰とやるか?がすごく大事になってしまうキャラクターですね。付き合いは注意深くしていかないと悪いもんをもらうこともあります。まあ、それもいとおしき残された時間です。
そのときそのときで自分の課題に向かえばいいと思います。流れにのってもいいし、のらなくてもいいのです。ただ、楽な流れもありますね。全体が作りやすい流れです。
恋はするものではなく、落ちるものだそうです。あまり落ちたことないですけど。だから自然でいいと思います。感動は理性や理解を越えたところに生まれると思います。技巧で作られた完成度の高いものは尊敬に値しますがそれをぶち破るものはうまく説明できない。
それを真似ようと技術が生まれるとも思いますが、所詮劣化コピーです。私は何かと繋がる感覚のほうを重視します。そこに何があるかは出してみないとわからないけど、出してみるといろいろとわかる。そういう体験のほうが素敵な学びです。
編曲とかはきっと技術が大事なのかな、と勝手に思ったりします。でもね、作った人の深い部分に同調しないとうまくいかない気もします。
最近はあんまり文章を書きません。文章はこうやって1人に向けて書くものだからです。マス向けのメッセージなんて本当はないのです。マーケティングでも最近になってようやく1人に向けたメッセージが万人に響くことがわかってきています。
いろいろなイメージ技法がありますけどね。身近な友人4人を1人に重ねてみる。重ねた人がどう感じどう行動するか?を想像してみる。
もしもアーキタイプがいくつも1人の中にあるならばおかしくないはずです。むしろよりリアルな人間に近づきますね。
ブラックベリーで書いてると長さがよくわからなくなります。全体感が見えないからですね。でも、そういう書き方をして、後でバランスをとったほうが、伝わる言葉が紡げるように思います。
『いま、ここ』にいる感覚にいられるからでしょうね。
時間が幻想だとしたら、全ての過去、現在、未来を凝縮した今が全てであり、空間が幻想だとしたら、すべての彼方、此方を統合したここが全てなはずですね。
「個にして全体、全体にして個」というのはそういうメッセージだと思います。
今日もこの空間が素敵で知的でありますようにと願いつつ。
ブログの更新が全然できてないです。ので、この文章はこのままブログに載せます。誰かへのメールですが、こういうことをきっとブログに書きたかったんだろうなあ、と思って載せてみます。
たまには、こういう文章もいいかな、と。
では、次回をお楽しみに。
ホノルルマラソンに行きたかったけど、行けなかったとか、今年の漢字が意味不明な「新」になったとか、そういうことにイライラしているからかもしれません。
で、今日は東京は雨です。
朝だからか優しげな雨が降っています。クリスタルケイを聞きながら電車に乗ってます。
クリエイティブな人をインスパイアするのも私のお仕事です。
経営者のみなさんはとてもクリエイティブです。そういう方のクリエイティブスイッチをうまく押せたなら良かったかな、と。
でもまあ、私はキャラクター的にはサラリーマン金太郎みたいな感じです。自分でいろいろとあがきますが、結局、人の力で道が開かれます。さわやかさのかけらもありません。
誰とやるか?がすごく大事になってしまうキャラクターですね。付き合いは注意深くしていかないと悪いもんをもらうこともあります。まあ、それもいとおしき残された時間です。
そのときそのときで自分の課題に向かえばいいと思います。流れにのってもいいし、のらなくてもいいのです。ただ、楽な流れもありますね。全体が作りやすい流れです。
恋はするものではなく、落ちるものだそうです。あまり落ちたことないですけど。だから自然でいいと思います。感動は理性や理解を越えたところに生まれると思います。技巧で作られた完成度の高いものは尊敬に値しますがそれをぶち破るものはうまく説明できない。
それを真似ようと技術が生まれるとも思いますが、所詮劣化コピーです。私は何かと繋がる感覚のほうを重視します。そこに何があるかは出してみないとわからないけど、出してみるといろいろとわかる。そういう体験のほうが素敵な学びです。
編曲とかはきっと技術が大事なのかな、と勝手に思ったりします。でもね、作った人の深い部分に同調しないとうまくいかない気もします。
最近はあんまり文章を書きません。文章はこうやって1人に向けて書くものだからです。マス向けのメッセージなんて本当はないのです。マーケティングでも最近になってようやく1人に向けたメッセージが万人に響くことがわかってきています。
いろいろなイメージ技法がありますけどね。身近な友人4人を1人に重ねてみる。重ねた人がどう感じどう行動するか?を想像してみる。
もしもアーキタイプがいくつも1人の中にあるならばおかしくないはずです。むしろよりリアルな人間に近づきますね。
ブラックベリーで書いてると長さがよくわからなくなります。全体感が見えないからですね。でも、そういう書き方をして、後でバランスをとったほうが、伝わる言葉が紡げるように思います。
『いま、ここ』にいる感覚にいられるからでしょうね。
時間が幻想だとしたら、全ての過去、現在、未来を凝縮した今が全てであり、空間が幻想だとしたら、すべての彼方、此方を統合したここが全てなはずですね。
「個にして全体、全体にして個」というのはそういうメッセージだと思います。
今日もこの空間が素敵で知的でありますようにと願いつつ。
ブログの更新が全然できてないです。ので、この文章はこのままブログに載せます。誰かへのメールですが、こういうことをきっとブログに書きたかったんだろうなあ、と思って載せてみます。
たまには、こういう文章もいいかな、と。
では、次回をお楽しみに。
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