今日もTwitterの振り返りです。「反省したら終わり」という文言についてです。
あ、そうそう、KINDLE買っちゃいました。アマゾンキンドル。これはすごい。次世代の書籍販売プラットホームになるのか?でも、ちょっと持ち運びにくいかなあ・・・。でかいのです。小さい本ぐらいでかい。そして薄い。カバーがくそ高いので、バングラディッシュのジュートでキンドルカバーを生産するプロジェクトでもやって、安価に売ろうかな・・・。
まあ、ご参考は↓です。
さて、今日は「反省したら終わりか?」というお話しです。まず、前提のTweetが↓。
①
「今」が「過去」に囚われるプロセスを超えられるなら、いいかもしれませんがほとんどの人には無理です。RT @emmy_on でも反省して次へつなげるのも大事なのではないですか?RT @HironaoAshida 人間は反省したら終わりだからね。
ここが導入部分です。「反省したら終わりだからね」と、芦田先生(哲学者)がおっしゃって、ある人が「反省して次につなげるのも大事なのではないですか?」と聞いています。で、その前に私もからんでいたので、一応答えてみたのが、「今が過去に囚われるプロセスを超えられるなら、いいかもしれませんがほとんどの人には無理です」と答えました。
すると、
②
であれば、過去に最適化して生きており、時間の流れに押し流されて生きているだけだと思います。 RT @emmy_on 「今」がよりよいのは、過去の経験→反省によるはずだと考えますが。
質問した人が「今がよりよいのは過去の経験→反省によるはずだと考えますが。」と言うので、お答えしたのが、「であれば、過去に最適化して生きており、時間の流れに押し流されて生きているだけだと思います。」とお答えしたんですね。
多分に詩的なというか、抽象的な表現で答えてしまったので、ある程度、ご説明したほうがいいかな、と思って連投したのが、下記の一連のポストですね。
①
私は経営の言葉で説明したほうがいいですが、非連続的変化という概念から言えばいいでしょうか?
②
反省し、改善し、最適化し続けていたはずの企業が、いつの間にか赤字になります。そうすると、結局、ドラスティックに「これまでの成功、失敗体験」を無視した変革をします。
③
いわゆる、蓋然性が高い仮説として「イノベーションのジレンマ」があるならば、なぜ、改善を続けている企業がうまくいかなくなるのでしょうか?
④
これは、同じ過去、同じ世界が繰り返すという幻想をほとんどの人が信じているということと、世界はランダムに常に生じているというものの、現状での折衷案なんですね。
⑤
本当は、1アクション単位で、違う世界を作る施策を打った方がより世界に即しているのですが、工場などではそんなことを言っていてもまわりません。だから、過去の連続で行ける限り行くんです。
⑥
それで、これまでの日本の初等教育は大体、労働者生産に最適化していると思うので、労働者として最適化するならば、それを信じるのは悪いことではないかもしれません。
⑦
不易な正しいロジックの構築を意図したとき、ある程度、上の方のレイヤでは、学問は正しさに近づいていると思います。その知見に基づけばいいだけです。ただ、下のほうのレイヤではそうではないのです。
⑧
反省をしろ!同じ失敗を繰り返すな!と言う人が一番同じレイヤにとどまり、同じことを繰り返して堂々巡りをすることになります。過去の呪縛ですね・・・。
⑨
失敗から学ぶのではなく、正しさからどれぐらい離れていたのか?を認識するならいいのですけど。その区別は大抵の人にはつきません。
⑩
その正しさも今認識出来ている正しさであり、先にある正しさではない、という認識も必要になりますね・・・。きりがない。
⑪
であれば、作りたい未来に、どう近づけるか?を考えるのが一番シンプルだと思います。
順に解説していきましょう。説明したのは、「非連続的変化」というお話です。
そもそも、外部が連続的であるというのは、そう見えることもある、という程度のものです。過去の延長上に未来はない。それはこのブログで何度も説明していますね。未来から見ると連続的なんですけどね。
みなさん、反省とか、改善とか、今の延長上でいろいろやっていけばどうにかなると思いますよね。当然、なる部分もなくはない。その枠組みの中での効率は上がります。ただ、外部は変わる。いわゆるマーケティングの4P要素は変わっていきますよね。
それで、もしも4P要素が変化し、赤字への切り替わりが起きたら、赤字の商品を売るサイクルを効率化することは赤字拡大につながります。
そういうことは多々起こるんですよね。前提が変化してしまう。過去の延長から見ると非連続的としか思えないことが起こる。
わかっていても、その対応はできない。なぜって、過去の成功体験、失敗体験に縛られるから。成功していようが、失敗していようが、過去の視点での見方に縛られるんですね。
そう考えると、過去の成功に囚われないように改善している、というのは、ちょっと変な言葉ですよね。同じ過去、同じ世界が繰り返すとみんな思っている時点で、過去に囚われてる。改善というのも結局過去の延長上での発想です。
でも、世界はランダムに生じている。
本当に世界のありように即するならば、1アクションごとにランダムに合わせれば、という考え方もありますが、それもちょっとね。
さらに、工場などでモノを作るなら、一度動かしたラインは動かし続けたほうが、コストは下がり、儲かります。だから、いけるところまで作り続ける。過去の延長だと知りながら、動かし続けるのです。
それで、日本の小学校、中学校、高校などでは、どう考えてもよき労働者を生産するための道徳規範やら価値観のようなものが刷り込まれていると思います。「反省しなさい」もその1つです。
労働者が勝手に、未来を描いたりしても困るので、過去の延長としての未来を、同じ世界が繰り返すほうを信じてもらっていたほうがいいでしょう。毎日同じことをしていても疑問をもたない。
学問的には、もはや、過去の延長としての未来がある、ということを信じたりはしませんね。
ただ、個別具体事象に関しては、人は、連続的に物事を見ます。
反省しろ!同じ失敗を繰り返すな!という人は、結局同じことを繰り返しているのです。改善、最適化はなされるかもしれませんが、1つ上のレイヤから見たら、さして変わらないことをやっているのです。
それで、もしも本当の正しさのようなものがあったなら、そこからどれぐらい離れているのだろう?と考える分にはいいようにも思います。ただ、その失敗を起点に考えても、結局、さして変わらないということです。
ということで、遠い未来へ近づくための打ち手と捉えれば、1アクションごとに変える必要なく一貫性が持てるし、過去の前提に縛られずにすみます。
と、あんまりうまく説明できてないでしょうか・・・。
ごめんなさい・・・。気分だけでも伝わるといいなあ、と。
それでは次回をお楽しみに。
あ、そうそう、KINDLE買っちゃいました。アマゾンキンドル。これはすごい。次世代の書籍販売プラットホームになるのか?でも、ちょっと持ち運びにくいかなあ・・・。でかいのです。小さい本ぐらいでかい。そして薄い。カバーがくそ高いので、バングラディッシュのジュートでキンドルカバーを生産するプロジェクトでもやって、安価に売ろうかな・・・。
まあ、ご参考は↓です。
![]() | キンドルの衝撃 (2010/01/30) 石川 幸憲 商品詳細を見る |
さて、今日は「反省したら終わりか?」というお話しです。まず、前提のTweetが↓。
①
「今」が「過去」に囚われるプロセスを超えられるなら、いいかもしれませんがほとんどの人には無理です。RT @emmy_on でも反省して次へつなげるのも大事なのではないですか?RT @HironaoAshida 人間は反省したら終わりだからね。
ここが導入部分です。「反省したら終わりだからね」と、芦田先生(哲学者)がおっしゃって、ある人が「反省して次につなげるのも大事なのではないですか?」と聞いています。で、その前に私もからんでいたので、一応答えてみたのが、「今が過去に囚われるプロセスを超えられるなら、いいかもしれませんがほとんどの人には無理です」と答えました。
すると、
②
であれば、過去に最適化して生きており、時間の流れに押し流されて生きているだけだと思います。 RT @emmy_on 「今」がよりよいのは、過去の経験→反省によるはずだと考えますが。
質問した人が「今がよりよいのは過去の経験→反省によるはずだと考えますが。」と言うので、お答えしたのが、「であれば、過去に最適化して生きており、時間の流れに押し流されて生きているだけだと思います。」とお答えしたんですね。
多分に詩的なというか、抽象的な表現で答えてしまったので、ある程度、ご説明したほうがいいかな、と思って連投したのが、下記の一連のポストですね。
①
私は経営の言葉で説明したほうがいいですが、非連続的変化という概念から言えばいいでしょうか?
②
反省し、改善し、最適化し続けていたはずの企業が、いつの間にか赤字になります。そうすると、結局、ドラスティックに「これまでの成功、失敗体験」を無視した変革をします。
③
いわゆる、蓋然性が高い仮説として「イノベーションのジレンマ」があるならば、なぜ、改善を続けている企業がうまくいかなくなるのでしょうか?
④
これは、同じ過去、同じ世界が繰り返すという幻想をほとんどの人が信じているということと、世界はランダムに常に生じているというものの、現状での折衷案なんですね。
⑤
本当は、1アクション単位で、違う世界を作る施策を打った方がより世界に即しているのですが、工場などではそんなことを言っていてもまわりません。だから、過去の連続で行ける限り行くんです。
⑥
それで、これまでの日本の初等教育は大体、労働者生産に最適化していると思うので、労働者として最適化するならば、それを信じるのは悪いことではないかもしれません。
⑦
不易な正しいロジックの構築を意図したとき、ある程度、上の方のレイヤでは、学問は正しさに近づいていると思います。その知見に基づけばいいだけです。ただ、下のほうのレイヤではそうではないのです。
⑧
反省をしろ!同じ失敗を繰り返すな!と言う人が一番同じレイヤにとどまり、同じことを繰り返して堂々巡りをすることになります。過去の呪縛ですね・・・。
⑨
失敗から学ぶのではなく、正しさからどれぐらい離れていたのか?を認識するならいいのですけど。その区別は大抵の人にはつきません。
⑩
その正しさも今認識出来ている正しさであり、先にある正しさではない、という認識も必要になりますね・・・。きりがない。
⑪
であれば、作りたい未来に、どう近づけるか?を考えるのが一番シンプルだと思います。
順に解説していきましょう。説明したのは、「非連続的変化」というお話です。
そもそも、外部が連続的であるというのは、そう見えることもある、という程度のものです。過去の延長上に未来はない。それはこのブログで何度も説明していますね。未来から見ると連続的なんですけどね。
みなさん、反省とか、改善とか、今の延長上でいろいろやっていけばどうにかなると思いますよね。当然、なる部分もなくはない。その枠組みの中での効率は上がります。ただ、外部は変わる。いわゆるマーケティングの4P要素は変わっていきますよね。
それで、もしも4P要素が変化し、赤字への切り替わりが起きたら、赤字の商品を売るサイクルを効率化することは赤字拡大につながります。
そういうことは多々起こるんですよね。前提が変化してしまう。過去の延長から見ると非連続的としか思えないことが起こる。
わかっていても、その対応はできない。なぜって、過去の成功体験、失敗体験に縛られるから。成功していようが、失敗していようが、過去の視点での見方に縛られるんですね。
そう考えると、過去の成功に囚われないように改善している、というのは、ちょっと変な言葉ですよね。同じ過去、同じ世界が繰り返すとみんな思っている時点で、過去に囚われてる。改善というのも結局過去の延長上での発想です。
でも、世界はランダムに生じている。
本当に世界のありように即するならば、1アクションごとにランダムに合わせれば、という考え方もありますが、それもちょっとね。
さらに、工場などでモノを作るなら、一度動かしたラインは動かし続けたほうが、コストは下がり、儲かります。だから、いけるところまで作り続ける。過去の延長だと知りながら、動かし続けるのです。
それで、日本の小学校、中学校、高校などでは、どう考えてもよき労働者を生産するための道徳規範やら価値観のようなものが刷り込まれていると思います。「反省しなさい」もその1つです。
労働者が勝手に、未来を描いたりしても困るので、過去の延長としての未来を、同じ世界が繰り返すほうを信じてもらっていたほうがいいでしょう。毎日同じことをしていても疑問をもたない。
学問的には、もはや、過去の延長としての未来がある、ということを信じたりはしませんね。
ただ、個別具体事象に関しては、人は、連続的に物事を見ます。
反省しろ!同じ失敗を繰り返すな!という人は、結局同じことを繰り返しているのです。改善、最適化はなされるかもしれませんが、1つ上のレイヤから見たら、さして変わらないことをやっているのです。
それで、もしも本当の正しさのようなものがあったなら、そこからどれぐらい離れているのだろう?と考える分にはいいようにも思います。ただ、その失敗を起点に考えても、結局、さして変わらないということです。
ということで、遠い未来へ近づくための打ち手と捉えれば、1アクションごとに変える必要なく一貫性が持てるし、過去の前提に縛られずにすみます。
と、あんまりうまく説明できてないでしょうか・・・。
ごめんなさい・・・。気分だけでも伝わるといいなあ、と。
それでは次回をお楽しみに。
- 関連記事
-
- 仮説について (2010/03/01)
- 「反省」をしたら終わり!? (2010/01/24)
- 「考える」ことに関して。意思、問い、答えの関係 (2010/01/23)
スポンサーサイト