さて、今日はストラテジーのお話しを書きます。
セミナーの内容を多少まとめていて、私は文章にまとめたほうが、資料にしやすいのです。
セミナーは今、3名さまお申し込み中。来週、1万人告知するので、お早めにお申し込みくださいね。
お申し込みはこちらです。http://bit.ly/9YMiHd
①昔、日本でスポーツマーケティングの草分け的な会社にすこーしだけ関わった。といっても、電通にほとんどを持っていかれていたので、もはや虫の息。苦肉の策のようなストラテジーにしかならなかった。
②ただ、久しぶりにその会社の様子をみると、その苦肉の策はそれなりに機能しているようにも見えた。さすがに内実は聞けない。でもまあ、紙に書いただけのことが実現しているもんだ、と思ったりする。書いている時はこんなことできるのか?論理的にはありえるけど・・・、ということばかりだった。
③ストラテジーというのはそういうものだ。書いている時は、何も無い世界に情報を書き込んでいるようなもの。その書き込みがまさに実現するのを見るとき、にんまりするもの。書いた本人は決して表には出てこない。
これはただのノスタルジーです。ただ、ストラテジーは情報です。情報を記述しているだけ。目に見えない。紙に書けるは書けるのですが、目には見えません。
苦肉の策の中身もかけません。さすがにね。でも、真逆を行く戦略でした。そして、当時は紙の上にしかなかったバンクーバーオリンピックがまさに開催されようとしています。
次からが、本番です。
①企業の意思は、ある意味で自由。反社会的な意思を設定しちゃだめだけど、自由。はじめに意思がある。意思がない企業は、何をしていいか?が定められない。「あるべき」という言葉で呼ぶのは、意思から考えた未来の姿に照らし合わせた現在あるべき姿。それと現状のギャップを課題と言う。
②「あるべき」は客観的であるかのように装う言葉。それはそれで仕方ない。古い学問の枠組みでは、それはそれで仕方がない。古い客観を決裁に求める企業ではそれはそれで仕方がない。そんな客観的世界の存在は既に否定されているけど、仕方ないこと。
③未来に根拠はない。意思のみが存在する。5年後100億円を目指すとしよう。その根拠はという質問は質問自体が矛盾である。未来を作るために、現在、現実を変えようという活動があるのであって、過去から未来は積み上がらない。
④株主説明会で未来の根拠を問うアナリストはセンスがない。その未来を実現するために、何をどうするのか?という質問には意味がある。未来には根拠はない。未来の根拠がもしあるとすれば、さらに先の未来が近い未来の根拠になる。
⑤未来が描けたとして、どう現実に働きかけをするのか?そこにロジックが必要となる。その時、環境の制約条件を考慮した上で、費用効果的なアクションを定め、実行して行く。時間が過ぎ行けば、アクションを定めるロジックがすこしずつ変わる必要がある。そのためのマイルストーン。
⑥意思をもって見ない環境には何もない。もしくは異なった意思から見た外部は違う姿を見せる。同じイシューから出発して環境をみなくてはならない。これは内部でも外部でもそう。このイシューの視点が合わせられなければロジカルなどという言葉の意味がない。
さて、古い人々には過激なことを書きました。
人の認知は重要度を基準に物事を見る。それは意識的にも、無意識的にもそう。だとすれば、誰かが何かを見ていたら、なんらかの意思から見ている。これは当たり前。客観にいたれるのは、何も大事ではない人。もしくは全てが同じぐらい大事な人。そんな人はいないと思います・・・。
客観を装うことが必要な場面もあるかもしれません。まあ、それはそれでしょうがないでしょう。未だに古典的西洋近代科学の世界観はものすごく強いのです。それだけ強力だったということですね。でも、もはやその直感とはまったく違う世界が出現し始めていることをわかったほうがいいですね。
右肩上がり時代は、もはや終わってしまいました。悲しいことに。
今は成熟した時代。先はまったく見えないのです。そんな時代に客観とか言う?未来がこうなる!とか言えば恥をかくだけです。
私はたまたま、アメーバなうはだめ!を当てました。藤田さんは敗北宣言出しています。本当のところは知りませんけど。新しいことは失敗すると言っておいたほうが当たることが多い、は未だに事実です。「1勝9敗」の柳井さんは相当すごいんですよ。
だから、こうしたい!こうする!こうするためにこれをする!から、物事を見れば、リソースと制約条件が見えてくる。外部の制約からポジションを定めるし、リソースからアクション量が決まりますよね?
戦略は意思ありきなのです。
そして、その意思をどう実現するか?が企業で話し合われるロジックです。そうでないロジックは無駄です。遊びです。
一般論を振り回すのも遊びでしかありません。まあ、経営はゲームだ!という人もいますけど、経営とは別の遊びだということですね。
うまく伝わりますでしょうか?
当日は、こういうことをやろうと思います。お会いできることを楽しみにしております。それでは、また。
セミナーの内容を多少まとめていて、私は文章にまとめたほうが、資料にしやすいのです。
セミナーは今、3名さまお申し込み中。来週、1万人告知するので、お早めにお申し込みくださいね。
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①昔、日本でスポーツマーケティングの草分け的な会社にすこーしだけ関わった。といっても、電通にほとんどを持っていかれていたので、もはや虫の息。苦肉の策のようなストラテジーにしかならなかった。
②ただ、久しぶりにその会社の様子をみると、その苦肉の策はそれなりに機能しているようにも見えた。さすがに内実は聞けない。でもまあ、紙に書いただけのことが実現しているもんだ、と思ったりする。書いている時はこんなことできるのか?論理的にはありえるけど・・・、ということばかりだった。
③ストラテジーというのはそういうものだ。書いている時は、何も無い世界に情報を書き込んでいるようなもの。その書き込みがまさに実現するのを見るとき、にんまりするもの。書いた本人は決して表には出てこない。
これはただのノスタルジーです。ただ、ストラテジーは情報です。情報を記述しているだけ。目に見えない。紙に書けるは書けるのですが、目には見えません。
苦肉の策の中身もかけません。さすがにね。でも、真逆を行く戦略でした。そして、当時は紙の上にしかなかったバンクーバーオリンピックがまさに開催されようとしています。
次からが、本番です。
①企業の意思は、ある意味で自由。反社会的な意思を設定しちゃだめだけど、自由。はじめに意思がある。意思がない企業は、何をしていいか?が定められない。「あるべき」という言葉で呼ぶのは、意思から考えた未来の姿に照らし合わせた現在あるべき姿。それと現状のギャップを課題と言う。
②「あるべき」は客観的であるかのように装う言葉。それはそれで仕方ない。古い学問の枠組みでは、それはそれで仕方がない。古い客観を決裁に求める企業ではそれはそれで仕方がない。そんな客観的世界の存在は既に否定されているけど、仕方ないこと。
③未来に根拠はない。意思のみが存在する。5年後100億円を目指すとしよう。その根拠はという質問は質問自体が矛盾である。未来を作るために、現在、現実を変えようという活動があるのであって、過去から未来は積み上がらない。
④株主説明会で未来の根拠を問うアナリストはセンスがない。その未来を実現するために、何をどうするのか?という質問には意味がある。未来には根拠はない。未来の根拠がもしあるとすれば、さらに先の未来が近い未来の根拠になる。
⑤未来が描けたとして、どう現実に働きかけをするのか?そこにロジックが必要となる。その時、環境の制約条件を考慮した上で、費用効果的なアクションを定め、実行して行く。時間が過ぎ行けば、アクションを定めるロジックがすこしずつ変わる必要がある。そのためのマイルストーン。
⑥意思をもって見ない環境には何もない。もしくは異なった意思から見た外部は違う姿を見せる。同じイシューから出発して環境をみなくてはならない。これは内部でも外部でもそう。このイシューの視点が合わせられなければロジカルなどという言葉の意味がない。
さて、古い人々には過激なことを書きました。
人の認知は重要度を基準に物事を見る。それは意識的にも、無意識的にもそう。だとすれば、誰かが何かを見ていたら、なんらかの意思から見ている。これは当たり前。客観にいたれるのは、何も大事ではない人。もしくは全てが同じぐらい大事な人。そんな人はいないと思います・・・。
客観を装うことが必要な場面もあるかもしれません。まあ、それはそれでしょうがないでしょう。未だに古典的西洋近代科学の世界観はものすごく強いのです。それだけ強力だったということですね。でも、もはやその直感とはまったく違う世界が出現し始めていることをわかったほうがいいですね。
右肩上がり時代は、もはや終わってしまいました。悲しいことに。
今は成熟した時代。先はまったく見えないのです。そんな時代に客観とか言う?未来がこうなる!とか言えば恥をかくだけです。
私はたまたま、アメーバなうはだめ!を当てました。藤田さんは敗北宣言出しています。本当のところは知りませんけど。新しいことは失敗すると言っておいたほうが当たることが多い、は未だに事実です。「1勝9敗」の柳井さんは相当すごいんですよ。
だから、こうしたい!こうする!こうするためにこれをする!から、物事を見れば、リソースと制約条件が見えてくる。外部の制約からポジションを定めるし、リソースからアクション量が決まりますよね?
戦略は意思ありきなのです。
そして、その意思をどう実現するか?が企業で話し合われるロジックです。そうでないロジックは無駄です。遊びです。
一般論を振り回すのも遊びでしかありません。まあ、経営はゲームだ!という人もいますけど、経営とは別の遊びだということですね。
うまく伝わりますでしょうか?
当日は、こういうことをやろうと思います。お会いできることを楽しみにしております。それでは、また。
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