ちょっと、時間をうまくつくれてなくて、ブログをかけてませんでした。
これはいけない。
ということで、ブログを書こうと思います。久々に、2徹という珍しいことをしました。2徹とは、徹マンを2日間することではなく、間違いなく、徹夜を2日連続ですることです。仮眠はそりゃしますが、1時間に満たないぐらいです。
3徹は無理でした。まあ、さすがに。
長時間労働自慢はいけませんが、年のわりにそういうことも別にできるよなあ、ということです。
最近、大学生がTwitterでからんできたので、今日はなんとなく、大学生向けです。
だいぶ前に、マックで「自己P、ミーシーに言えたよー!」と言い合っていっている女子大生がいました。まあ、別に、言うべきことをモレなくダブリなく言えた、という意味ではそれはそれでいいのですが。
ただ、考える技術として、コンサルティングで言われまくるミーシーとはちょっと違うわなあ、と思ったので、もしも、まじめに自己PRなるものにMECEを適用して考えたら?というようなことをつぶやきました。
多分、大学生が読んでも全くわからないと思いますが、なんとなく、気まぐれに書きました。下記のポストはそんな感じです。
①眠い。眠いのでマックで聞いた「自己PがMECEに言えたー」という言葉に関して、まじめにレスしてみよう。まず、MECEとは、ミューチュアリーエクスクルーシブ、コレクトリーエグゾースティブの略。モレなく、ダブリなくである。上記の言葉は、「モレなくダブリなく自己Pが言えたー」と言ってる
②確かに、私のいいところは3つあります!と言って、2つがダブっていたら、なんか変だ。それはそれでいい。でもさ、「自分のいいところ」は「いろんなあなた」から抽出するんだよね?今まで生きてきて、いろんな場面があって、それを積んで平均化して言う面はあるけどさ。全部なんて言えないよね?
③でね、「いろんなあなた」があったのに、「小学校の頃のあなた」からしか抽出してこなかったらもったいないよね?だから、探してくる先はMECEに探してきたほうがいい。そりゃそうだ。「あなた」を忘れてきちゃいけない。
④でさ、いいところは、ギュッと抽出する。簡潔に。相手が望むように抽出する。そりゃ、当たり前だ。あなたは多面的だ。その中で、相手がすごく望む側面とそうでない側面があるでしょ。相手が望む側面を中心にギュッと出すんだ。当たり前だ。
⑤だから、相手に自分のいいところを伝える時には、当然、捨てる部分も出てくる。ギュッと抽出するんだから、当たり前。その出てきた「あなた」は多面的な「あなた」の全てではないが、いろんな一部の1つだ。いろんなあなたがある中で、相手にあわせた「あなた」を出すんだ。
⑥だから、出てきたあなたはMECEではないんだ。自分というものの中に、矛盾したキャラクターを感じることも多々あるだろう。それは当たり前だ。平均化すると漏れる。キャラクターは平均化なんてできない。だから、複数の自分がいて当たり前。人は日々、相手が望む自分を出しながら生きてる。
⑦自分というキャラクターを抽出する前の「あなた」をMECEに引っ張ってくるのはいい。でも、あなたが合理主義的な全体像で自分を縛って、こういう人間なんです!と言ってみて、こんなのわたしじゃない!というようになっても変でしょ。ビジネス文書訓練のように自己規定訓練やっても無駄よ。
⑧あんまり、そもそもMECEって何?みたいなことを知らない自称コンサルに騙されないでね。結果として出てくることにMECEとか、そもそも原理的に使わないのよ・・・。もともとある多面体としてのあなたを忘れてこないためにMECEという技術を使うのです。
⑨MECEに自分を説明、みたいな話しは、1つの自分像が平板にあるという考え方に近くて、1つの自分像には違和感を感じると思う。それをしゃべっているうちに、自分でもそうだと思い込むけどやっぱり違う、みたいな話しはこの辺に原因があると思う。まあ、すぐに会社から来てくれと言われれば解決だが
えーっと、読み返すと、読んだまんまなのですが、解説を試みてみます。
おそらく、巷に自己PRのフレームワークみたいなものが流通しているんでしょう。ただ、自分のこれまでを見てみて、いろんなシーンがあると思いますが、そこから1つの自分像を作るのは無理があります。
自分像は、いくつにもなる。アナロジーとして持ってくるとユングの原型論あたりはそのようなことを主張しているでしょう。
だから、自己分析?みたいなことをして、1つの自分像に持ってきて、それであろうとするような作業、言語化、人への説明、自分への説明みたいなことをすると、なんか違う、とかそういう感じになると思います。
他人に説明する自分なんてそんなもんだ、という割り切りもいいかもしれません。ただ、自分像は、いくつかの他人に説明する自分に収束させるほうが健全じゃないかなあ、と思うんですね。
もしも、自分を人に説明するならば、
自分の過去の出来事を振り返って、いろいろと考える。
それで、性格、性質みたいなものに統合してみるのもいいでしょう。
そこから、どんな方向性があるのか?を考えてみる。
こんな未来を創りたい自分がいる。こんな未来、こんな未来。いくつあってもいいのです。それぞれの場所で活躍している自分がありえるでしょう。
それで大きくいくつかのやりたい方向性、あって欲しい未来の方向性で、自分のキャラクターを落としてみるのです。
そうすると、おそらく、だいぶ違った自分をいくつか作ることをできるでしょう。なかには、それぞれが矛盾する自分像である場合もあるでしょう。でも、自分自身ってそういうもんじゃないですか?
で、その中の適切な自分像を選んで、それを中心にして相手に自分を説明する。
そうすると、嘘ついてる感はないだろうし、しっくりくるんじゃないかと思うんですね。
もしも、すっごく頭いい人がいたら、別に枠組みなんてなくても、トヨタ自動車用のエントリーシートと、三菱商事用のエントリーシートは全然違う感じで書けますよね。
もしも、ロジカルシンキング的なことを自分を分析して人に伝える作業が本当に必要なら、以上のようなアプローチでやっておくと、個別の企業向けに落としやすいんじゃないかなあ、と思うのね。
ロジカルシンキングを平板にあてはめると、本当の私はこんなんじゃない!とかいう甘ったれた若者の叫びにつながるような気がしますが、それは原理的に間違ってます。
平板に説明はできないのですよ。
まあ、就職活動云々のことはよくわからんので、ちょっとフォーカスの違ったことを言ってるかもしれませんが、私にTwitterで突っ込んでくる学生さんの言葉の端々から感じることに対するなんとなくの答えとしてはこんな感じになります。
では、また。時間つくって、ブログはサクサク書こうと思いますので、お楽しみにお待ちください。
これはいけない。
ということで、ブログを書こうと思います。久々に、2徹という珍しいことをしました。2徹とは、徹マンを2日間することではなく、間違いなく、徹夜を2日連続ですることです。仮眠はそりゃしますが、1時間に満たないぐらいです。
3徹は無理でした。まあ、さすがに。
長時間労働自慢はいけませんが、年のわりにそういうことも別にできるよなあ、ということです。
最近、大学生がTwitterでからんできたので、今日はなんとなく、大学生向けです。
だいぶ前に、マックで「自己P、ミーシーに言えたよー!」と言い合っていっている女子大生がいました。まあ、別に、言うべきことをモレなくダブリなく言えた、という意味ではそれはそれでいいのですが。
ただ、考える技術として、コンサルティングで言われまくるミーシーとはちょっと違うわなあ、と思ったので、もしも、まじめに自己PRなるものにMECEを適用して考えたら?というようなことをつぶやきました。
多分、大学生が読んでも全くわからないと思いますが、なんとなく、気まぐれに書きました。下記のポストはそんな感じです。
①眠い。眠いのでマックで聞いた「自己PがMECEに言えたー」という言葉に関して、まじめにレスしてみよう。まず、MECEとは、ミューチュアリーエクスクルーシブ、コレクトリーエグゾースティブの略。モレなく、ダブリなくである。上記の言葉は、「モレなくダブリなく自己Pが言えたー」と言ってる
②確かに、私のいいところは3つあります!と言って、2つがダブっていたら、なんか変だ。それはそれでいい。でもさ、「自分のいいところ」は「いろんなあなた」から抽出するんだよね?今まで生きてきて、いろんな場面があって、それを積んで平均化して言う面はあるけどさ。全部なんて言えないよね?
③でね、「いろんなあなた」があったのに、「小学校の頃のあなた」からしか抽出してこなかったらもったいないよね?だから、探してくる先はMECEに探してきたほうがいい。そりゃそうだ。「あなた」を忘れてきちゃいけない。
④でさ、いいところは、ギュッと抽出する。簡潔に。相手が望むように抽出する。そりゃ、当たり前だ。あなたは多面的だ。その中で、相手がすごく望む側面とそうでない側面があるでしょ。相手が望む側面を中心にギュッと出すんだ。当たり前だ。
⑤だから、相手に自分のいいところを伝える時には、当然、捨てる部分も出てくる。ギュッと抽出するんだから、当たり前。その出てきた「あなた」は多面的な「あなた」の全てではないが、いろんな一部の1つだ。いろんなあなたがある中で、相手にあわせた「あなた」を出すんだ。
⑥だから、出てきたあなたはMECEではないんだ。自分というものの中に、矛盾したキャラクターを感じることも多々あるだろう。それは当たり前だ。平均化すると漏れる。キャラクターは平均化なんてできない。だから、複数の自分がいて当たり前。人は日々、相手が望む自分を出しながら生きてる。
⑦自分というキャラクターを抽出する前の「あなた」をMECEに引っ張ってくるのはいい。でも、あなたが合理主義的な全体像で自分を縛って、こういう人間なんです!と言ってみて、こんなのわたしじゃない!というようになっても変でしょ。ビジネス文書訓練のように自己規定訓練やっても無駄よ。
⑧あんまり、そもそもMECEって何?みたいなことを知らない自称コンサルに騙されないでね。結果として出てくることにMECEとか、そもそも原理的に使わないのよ・・・。もともとある多面体としてのあなたを忘れてこないためにMECEという技術を使うのです。
⑨MECEに自分を説明、みたいな話しは、1つの自分像が平板にあるという考え方に近くて、1つの自分像には違和感を感じると思う。それをしゃべっているうちに、自分でもそうだと思い込むけどやっぱり違う、みたいな話しはこの辺に原因があると思う。まあ、すぐに会社から来てくれと言われれば解決だが
えーっと、読み返すと、読んだまんまなのですが、解説を試みてみます。
おそらく、巷に自己PRのフレームワークみたいなものが流通しているんでしょう。ただ、自分のこれまでを見てみて、いろんなシーンがあると思いますが、そこから1つの自分像を作るのは無理があります。
自分像は、いくつにもなる。アナロジーとして持ってくるとユングの原型論あたりはそのようなことを主張しているでしょう。
だから、自己分析?みたいなことをして、1つの自分像に持ってきて、それであろうとするような作業、言語化、人への説明、自分への説明みたいなことをすると、なんか違う、とかそういう感じになると思います。
他人に説明する自分なんてそんなもんだ、という割り切りもいいかもしれません。ただ、自分像は、いくつかの他人に説明する自分に収束させるほうが健全じゃないかなあ、と思うんですね。
もしも、自分を人に説明するならば、
自分の過去の出来事を振り返って、いろいろと考える。
それで、性格、性質みたいなものに統合してみるのもいいでしょう。
そこから、どんな方向性があるのか?を考えてみる。
こんな未来を創りたい自分がいる。こんな未来、こんな未来。いくつあってもいいのです。それぞれの場所で活躍している自分がありえるでしょう。
それで大きくいくつかのやりたい方向性、あって欲しい未来の方向性で、自分のキャラクターを落としてみるのです。
そうすると、おそらく、だいぶ違った自分をいくつか作ることをできるでしょう。なかには、それぞれが矛盾する自分像である場合もあるでしょう。でも、自分自身ってそういうもんじゃないですか?
で、その中の適切な自分像を選んで、それを中心にして相手に自分を説明する。
そうすると、嘘ついてる感はないだろうし、しっくりくるんじゃないかと思うんですね。
もしも、すっごく頭いい人がいたら、別に枠組みなんてなくても、トヨタ自動車用のエントリーシートと、三菱商事用のエントリーシートは全然違う感じで書けますよね。
もしも、ロジカルシンキング的なことを自分を分析して人に伝える作業が本当に必要なら、以上のようなアプローチでやっておくと、個別の企業向けに落としやすいんじゃないかなあ、と思うのね。
ロジカルシンキングを平板にあてはめると、本当の私はこんなんじゃない!とかいう甘ったれた若者の叫びにつながるような気がしますが、それは原理的に間違ってます。
平板に説明はできないのですよ。
まあ、就職活動云々のことはよくわからんので、ちょっとフォーカスの違ったことを言ってるかもしれませんが、私にTwitterで突っ込んでくる学生さんの言葉の端々から感じることに対するなんとなくの答えとしてはこんな感じになります。
では、また。時間つくって、ブログはサクサク書こうと思いますので、お楽しみにお待ちください。
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