今日のブログは先日の続きです。
最近は、いろんな意味でふらふらです。これで本当にいいのかな、と思いますが、まあ、しょうがないのです。夜はぐっすり眠れますが、起きている時はいつも眠い。
いつでも眠れる自信があります。たまにストレス解消はしているので、大丈夫です。昔ほどいろんなことに深刻にならないのです。まあ、なんとかなるさ、と思っている度合いが昔よりも大きいのでしょう。
さて、今日は先日の続きです。企画を考えるのはどういうことか?というところです。前回は①のみの解説になってしまったんですね。今日は②から解説します。下記にTweetを再掲します。
①人は行為にたいする意味合いでそもそも世界を見ている。ただ、その意味合いは必ずしも言葉ではない。かつ、その意味合いの言語化に人は必ずしも意識的ではなく、言語化は言語を操る能力が高くなければできない。
②人は言葉を見たとしても、その指し示す意味あいを読み取ることは、必ずしもできない。その行為の経験がなければ、それはなおさらである。
③更に人は言葉に囚われて、気づかないうちに自分の行為を縛ってしまうことがある。女言葉を使ったりすることによって、身体的な差異以上に女が作られることもある。
④行為による意味合い以上に言葉に囚われて、意味合いの言語化ができなくなっている場合も多々ある。というか、ほとんどのビジネスパーソンは企業の未来の行為に対する意味合いで環境を見られていない。
⑤行為の経験を積み、かつ言語化の技術を高めていかなければ、未来の行為に対する意味合いで環境を見られるようにはならない。この環境を見て意味合いを知覚し、言語化することがほぼビジネスにおいて考えるということに等しい。
⑥では、その未来の行為はどう考えるのか?というと、たいていはアナロジーであったりする。ただ、その時、名付けとその概念規定によって、新しい行為であることの主張をすることで、アナロジーを越えた新しい概念として認めさせる。この時の主張はある種の権力闘争的である。
⑦その権力闘争に勝つことで、その新しい行為は名前と概念範囲を獲得し、実行へと移される。闘争への勝利の度合いが強ければ強いほど、実行可能性は高まる。
②からいきます。人は言葉を見ても、その言葉が指し示す状況をイメージできないと理解できません。結局は経験したことの組み合わせでしかイメージできないので、全く知らないことは分からないのです。
これまでにもこういうことを書いてきました。シニフィアンとシニフィエのお話しですね。言葉は状況を指し示す。ただ、②で言っているのは更に先です。指し示した状況がイメージできたとして、その意味合いは目的と前後の状況がなければわからない。
例えば、映画監督になりたい人にとっての映画と、デートでしか映画に行かない人にとっての映画は意味合いが違いますよね?
同じ人の中でも、突如映画監督になりたくなってしまったら、同じ映画でも違うように見えてくると思います。
よく、「本は何度も読むと違う内容に見える」と言いますが、それは、ゴールの変更による意味合いの変化かもしれませんね。
言葉には、表現している人の前提として見えている世界が織り込まれています。言葉が何を指示するか?がある程度わかっても、表現者にとっての意味合いがわからないと、なかなか難しい。
ロジカルシンキング、ファクトベースと言ったときに、よくあるのが、意味合いのない表現です。言語表現が何を指示しているか?はわかるのですが、だから何だと言うのだろう?という表現ですね。
無味乾燥した内容が書いてあって、読んだ人は「で?」と思います。
シンクタンクの仕事をしていて、基礎データの整備が価値ならばそれでもいいですが、企画業務に携わっているなら、事実だけを並べてもだめですね。
そこにどんな意思で、どんな未来を作ろうとし、どんな意味合いで事実を読めると主張するのか?が大事です。
ここから③ですね。大丈夫でしょうか?
ただ、意外と織り込まれた意味合いを意識せずに、そういうもんなんだ、と思って「わかって」しまうといういい加減さも人間は持ち合わせています。
そして、このいい加減さはやや危険です。相手の目指すもの、意思を前提として、それと気づかずに物事を見てしまうと言うことは、自分のゴールすら意識せずに設定されてしまうということです。
女子が「女子らしい」のはなぜか?といった問題にとって、このあたりのお話しは重用です。
どうしても、社会は男性優位にできています。男女平等とは言っても、大企業の役員を見れば男だらけです。すると、男のほうが収入があり、女性を養うという構造に社会はなっていたりします。
すると、いかに男子に守られるか?というところが女子にとって大事になり、そういう前提を織り込んだ上での言語表現が充満してきますね。女子の話し言葉と男子の話し言葉は違います。
そうすると、意識せずに男子優位の社会を前提とした女子が生産されてしまう、というお話しですね。
このあたりのことを踏まえると、「うまい企画」「うまいプレゼン」というのは、相手にその前提を伝えずとも、その前提で相手が勝手に考える企画であったりします。
ただ、企画業務に携わる人は、前提条件にセンシティブな人が多いので、なかなかそうはなりません。
ちょっとそれますが、「前提を意識させずに了解させる」形式として、「映画」や「小説」は強烈な力を持っていますね。誰も「この映画の前提条件は?」と聞いたりしません。そういうもんだと思ってみるのです。
価値観というものを押し付ける手法として「映画」「小説」などは強いですね。当然、その価値観の「普遍性」や表現の技術によっては、つまらん映画になり、誰もその前提を受容しなかったりしますけどね。
今日も長くなってきたのでこのへんでやめます。今日は②と③を解説しました。
Twitterにポストした⑦つのつぶやきの半分も解説できてませんね・・・。まあ、たまにはこういうのもいいかな、と。では、次回をお楽しみに。
最近は、いろんな意味でふらふらです。これで本当にいいのかな、と思いますが、まあ、しょうがないのです。夜はぐっすり眠れますが、起きている時はいつも眠い。
いつでも眠れる自信があります。たまにストレス解消はしているので、大丈夫です。昔ほどいろんなことに深刻にならないのです。まあ、なんとかなるさ、と思っている度合いが昔よりも大きいのでしょう。
さて、今日は先日の続きです。企画を考えるのはどういうことか?というところです。前回は①のみの解説になってしまったんですね。今日は②から解説します。下記にTweetを再掲します。
①人は行為にたいする意味合いでそもそも世界を見ている。ただ、その意味合いは必ずしも言葉ではない。かつ、その意味合いの言語化に人は必ずしも意識的ではなく、言語化は言語を操る能力が高くなければできない。
②人は言葉を見たとしても、その指し示す意味あいを読み取ることは、必ずしもできない。その行為の経験がなければ、それはなおさらである。
③更に人は言葉に囚われて、気づかないうちに自分の行為を縛ってしまうことがある。女言葉を使ったりすることによって、身体的な差異以上に女が作られることもある。
④行為による意味合い以上に言葉に囚われて、意味合いの言語化ができなくなっている場合も多々ある。というか、ほとんどのビジネスパーソンは企業の未来の行為に対する意味合いで環境を見られていない。
⑤行為の経験を積み、かつ言語化の技術を高めていかなければ、未来の行為に対する意味合いで環境を見られるようにはならない。この環境を見て意味合いを知覚し、言語化することがほぼビジネスにおいて考えるということに等しい。
⑥では、その未来の行為はどう考えるのか?というと、たいていはアナロジーであったりする。ただ、その時、名付けとその概念規定によって、新しい行為であることの主張をすることで、アナロジーを越えた新しい概念として認めさせる。この時の主張はある種の権力闘争的である。
⑦その権力闘争に勝つことで、その新しい行為は名前と概念範囲を獲得し、実行へと移される。闘争への勝利の度合いが強ければ強いほど、実行可能性は高まる。
②からいきます。人は言葉を見ても、その言葉が指し示す状況をイメージできないと理解できません。結局は経験したことの組み合わせでしかイメージできないので、全く知らないことは分からないのです。
これまでにもこういうことを書いてきました。シニフィアンとシニフィエのお話しですね。言葉は状況を指し示す。ただ、②で言っているのは更に先です。指し示した状況がイメージできたとして、その意味合いは目的と前後の状況がなければわからない。
例えば、映画監督になりたい人にとっての映画と、デートでしか映画に行かない人にとっての映画は意味合いが違いますよね?
同じ人の中でも、突如映画監督になりたくなってしまったら、同じ映画でも違うように見えてくると思います。
よく、「本は何度も読むと違う内容に見える」と言いますが、それは、ゴールの変更による意味合いの変化かもしれませんね。
言葉には、表現している人の前提として見えている世界が織り込まれています。言葉が何を指示するか?がある程度わかっても、表現者にとっての意味合いがわからないと、なかなか難しい。
ロジカルシンキング、ファクトベースと言ったときに、よくあるのが、意味合いのない表現です。言語表現が何を指示しているか?はわかるのですが、だから何だと言うのだろう?という表現ですね。
無味乾燥した内容が書いてあって、読んだ人は「で?」と思います。
シンクタンクの仕事をしていて、基礎データの整備が価値ならばそれでもいいですが、企画業務に携わっているなら、事実だけを並べてもだめですね。
そこにどんな意思で、どんな未来を作ろうとし、どんな意味合いで事実を読めると主張するのか?が大事です。
ここから③ですね。大丈夫でしょうか?
ただ、意外と織り込まれた意味合いを意識せずに、そういうもんなんだ、と思って「わかって」しまうといういい加減さも人間は持ち合わせています。
そして、このいい加減さはやや危険です。相手の目指すもの、意思を前提として、それと気づかずに物事を見てしまうと言うことは、自分のゴールすら意識せずに設定されてしまうということです。
女子が「女子らしい」のはなぜか?といった問題にとって、このあたりのお話しは重用です。
どうしても、社会は男性優位にできています。男女平等とは言っても、大企業の役員を見れば男だらけです。すると、男のほうが収入があり、女性を養うという構造に社会はなっていたりします。
すると、いかに男子に守られるか?というところが女子にとって大事になり、そういう前提を織り込んだ上での言語表現が充満してきますね。女子の話し言葉と男子の話し言葉は違います。
そうすると、意識せずに男子優位の社会を前提とした女子が生産されてしまう、というお話しですね。
このあたりのことを踏まえると、「うまい企画」「うまいプレゼン」というのは、相手にその前提を伝えずとも、その前提で相手が勝手に考える企画であったりします。
ただ、企画業務に携わる人は、前提条件にセンシティブな人が多いので、なかなかそうはなりません。
ちょっとそれますが、「前提を意識させずに了解させる」形式として、「映画」や「小説」は強烈な力を持っていますね。誰も「この映画の前提条件は?」と聞いたりしません。そういうもんだと思ってみるのです。
価値観というものを押し付ける手法として「映画」「小説」などは強いですね。当然、その価値観の「普遍性」や表現の技術によっては、つまらん映画になり、誰もその前提を受容しなかったりしますけどね。
今日も長くなってきたのでこのへんでやめます。今日は②と③を解説しました。
Twitterにポストした⑦つのつぶやきの半分も解説できてませんね・・・。まあ、たまにはこういうのもいいかな、と。では、次回をお楽しみに。
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