「力のない人間が何を言っても虚しい。」
これは、独立した時に思ったことです。ビジネスの世界で言う力は、「カネを生み出す力」です。別にどこかから引っ張ってきてもいいですし、お客さんから稼いでもいい。
私は、5年はどこからもカネを引っ張らないという誓いのもとに独立しました。起業して5年存続できたらすごいですね。起業しても、5年以内に7割が廃業する世界ですから。
その力があるという確証を得られるまで、絶対、カネは引っ張らない。多少暑苦しいですが、そういう思いで独立しました。
今、ようやく4期目です。
さっき、ぼーっとしていて、そんなことをふと思い出しました。
さて、今日は、久々に企画を考え、実行するプロセスです。下記に再掲します。もう、3回目なので、いい加減に終わらせようと思います。
①人は行為にたいする意味合いでそもそも世界を見ている。ただ、その意味合いは必ずしも言葉ではない。かつ、その意味合いの言語化に人は必ずしも意識的ではなく、言語化は言語を操る能力が高くなければできない。
②人は言葉を見たとしても、その指し示す意味あいを読み取ることは、必ずしもできない。その行為の経験がなければ、それはなおさらである。
③更に人は言葉に囚われて、気づかないうちに自分の行為を縛ってしまうことがある。女言葉を使ったりすることによって、身体的な差異以上に女が作られることもある。
④行為による意味合い以上に言葉に囚われて、意味合いの言語化ができなくなっている場合も多々ある。というか、ほとんどのビジネスパーソンは企業の未来の行為に対する意味合いで環境を見られていない。
⑤行為の経験を積み、かつ言語化の技術を高めていかなければ、未来の行為に対する意味合いで環境を見られるようにはならない。この環境を見て意味合いを知覚し、言語化することがほぼビジネスにおいて考えるということに等しい。
⑥では、その未来の行為はどう考えるのか?というと、たいていはアナロジーであったりする。ただ、その時、名付けとその概念規定によって、新しい行為であることの主張をすることで、アナロジーを越えた新しい概念として認めさせる。この時の主張はある種の権力闘争的である。
⑦その権力闘争に勝つことで、その新しい行為は名前と概念範囲を獲得し、実行へと移される。闘争への勝利の度合いが強ければ強いほど、実行可能性は高まる。
今日は、④から解説します。
たいていの人は、自分がみている光景は客観的だと思っています。でも、そうではありません。街を歩いても、ベンツが好きな人は、ベンツが何台か通ったことに気が付きますが、普通の女の子は気が付きません。いつも、牛丼屋でご飯を食べている人が、お腹がすいていたら、そういうお店が目に入ってくるでしょう。でも、一緒に歩いている彼女はスタバぐらいしか目に入っていないこともあります。
人は、自分の未来の行為の利得に結びついたものしか見えていないのです。
ビジネスでの企画がめんどうなのは、誰も企業自身ではないということです。創業者は別ですが、大企業にでもなれば、その企業自身であるかのような人はいないのです。
そうすると、その企業にとっての未来の利得に対する意味合いで、情報を見ることができません。
言葉が指示する無味乾燥な意味に囚われたりしながら、企業にとっての意味で情報が読み取れない。
それに自覚的であるならまだしも、ほとんどのビジネスマンはそんなことを考えもしませんね。
そして、⑤に行きます。
意味合いで、環境は見えてしまっていることを自覚した上で、それを言語化し、意識的になることで、他者の未来の利得を起点にして、環境を見ることができるようになってきます。
これこそが、ビジネスにおいて、考えるということです。たまに、「顧客第一主義」信者がいて、顧客の目線で考えればいいんだよ!と言ったりしますが、間違ってはいないけど、正しくもないですね。正確には、企業の目線で環境を見ることと、顧客の目線で環境を見ることを両立させなければなりません。
企業の目線ですら環境が見れていないことに問題があるんです。そして、自分の目線で見るということがどういうことなのか?もわかっていない人が、誰か他人の目線になれるなどということはありえませんね。
そして、⑥に行きますと、未来の行為が、やったことがないことだと、それが何なのかがわかるのか?
正しくはやってみないとわかりません。
そして、とりあえず、新しいことをやるプロジェクトは新しい名前でもつけないと、コミュニケーションすらできません。名前をつけて、こうこうこうして、と計画を作っていくことで、それがあたかも実体があるかのような気がしてきます。
実体がなくても、たとえ、比喩があるとわかった気になりやすい。○○作戦とか。○○戦略とか。名づけの意味はなんとなくそれがあるような気がして、そこから環境が見えるようになってきてしまうことです。
ここ、大事ですね。名付けたことを実行するための意味合いで環境を見るようになってくるということです。
これは不思議なことですね。
でも、なんでだかわからないですが、やったことがないことに関して、名前をつけて、未来の計画を立てていると、見える光景が変わってきたりします。
それで、⑦なんですが、その名前をつけて、その解釈はこうだ!というのはある意味、権力闘争的です。組織内で○○をやると言った時に、各関係者がそれにのるかそるか、その正統なやることはなんなのか?というのは、すごく綱引きがあったりしませんか?
その綱引きの結果で、その企画の中身が、充実することもあるし、骨抜きになったりもしますね。
そして、めでたく企画を実行していくわけです。
長かったし、今日は駆け足で解説しましたが、いかがでしたでしょうか?
ブログは固有名詞などは出しにくかったりするので、こういう形式で書いてます。メルマガはバックナンバー非公開でやっているので、少しイケナイおはなしも書いたりしていますので、ぜひ、登録してください。
それでは次回をお楽しみに。
これは、独立した時に思ったことです。ビジネスの世界で言う力は、「カネを生み出す力」です。別にどこかから引っ張ってきてもいいですし、お客さんから稼いでもいい。
私は、5年はどこからもカネを引っ張らないという誓いのもとに独立しました。起業して5年存続できたらすごいですね。起業しても、5年以内に7割が廃業する世界ですから。
その力があるという確証を得られるまで、絶対、カネは引っ張らない。多少暑苦しいですが、そういう思いで独立しました。
今、ようやく4期目です。
さっき、ぼーっとしていて、そんなことをふと思い出しました。
さて、今日は、久々に企画を考え、実行するプロセスです。下記に再掲します。もう、3回目なので、いい加減に終わらせようと思います。
①人は行為にたいする意味合いでそもそも世界を見ている。ただ、その意味合いは必ずしも言葉ではない。かつ、その意味合いの言語化に人は必ずしも意識的ではなく、言語化は言語を操る能力が高くなければできない。
②人は言葉を見たとしても、その指し示す意味あいを読み取ることは、必ずしもできない。その行為の経験がなければ、それはなおさらである。
③更に人は言葉に囚われて、気づかないうちに自分の行為を縛ってしまうことがある。女言葉を使ったりすることによって、身体的な差異以上に女が作られることもある。
④行為による意味合い以上に言葉に囚われて、意味合いの言語化ができなくなっている場合も多々ある。というか、ほとんどのビジネスパーソンは企業の未来の行為に対する意味合いで環境を見られていない。
⑤行為の経験を積み、かつ言語化の技術を高めていかなければ、未来の行為に対する意味合いで環境を見られるようにはならない。この環境を見て意味合いを知覚し、言語化することがほぼビジネスにおいて考えるということに等しい。
⑥では、その未来の行為はどう考えるのか?というと、たいていはアナロジーであったりする。ただ、その時、名付けとその概念規定によって、新しい行為であることの主張をすることで、アナロジーを越えた新しい概念として認めさせる。この時の主張はある種の権力闘争的である。
⑦その権力闘争に勝つことで、その新しい行為は名前と概念範囲を獲得し、実行へと移される。闘争への勝利の度合いが強ければ強いほど、実行可能性は高まる。
今日は、④から解説します。
たいていの人は、自分がみている光景は客観的だと思っています。でも、そうではありません。街を歩いても、ベンツが好きな人は、ベンツが何台か通ったことに気が付きますが、普通の女の子は気が付きません。いつも、牛丼屋でご飯を食べている人が、お腹がすいていたら、そういうお店が目に入ってくるでしょう。でも、一緒に歩いている彼女はスタバぐらいしか目に入っていないこともあります。
人は、自分の未来の行為の利得に結びついたものしか見えていないのです。
ビジネスでの企画がめんどうなのは、誰も企業自身ではないということです。創業者は別ですが、大企業にでもなれば、その企業自身であるかのような人はいないのです。
そうすると、その企業にとっての未来の利得に対する意味合いで、情報を見ることができません。
言葉が指示する無味乾燥な意味に囚われたりしながら、企業にとっての意味で情報が読み取れない。
それに自覚的であるならまだしも、ほとんどのビジネスマンはそんなことを考えもしませんね。
そして、⑤に行きます。
意味合いで、環境は見えてしまっていることを自覚した上で、それを言語化し、意識的になることで、他者の未来の利得を起点にして、環境を見ることができるようになってきます。
これこそが、ビジネスにおいて、考えるということです。たまに、「顧客第一主義」信者がいて、顧客の目線で考えればいいんだよ!と言ったりしますが、間違ってはいないけど、正しくもないですね。正確には、企業の目線で環境を見ることと、顧客の目線で環境を見ることを両立させなければなりません。
企業の目線ですら環境が見れていないことに問題があるんです。そして、自分の目線で見るということがどういうことなのか?もわかっていない人が、誰か他人の目線になれるなどということはありえませんね。
そして、⑥に行きますと、未来の行為が、やったことがないことだと、それが何なのかがわかるのか?
正しくはやってみないとわかりません。
そして、とりあえず、新しいことをやるプロジェクトは新しい名前でもつけないと、コミュニケーションすらできません。名前をつけて、こうこうこうして、と計画を作っていくことで、それがあたかも実体があるかのような気がしてきます。
実体がなくても、たとえ、比喩があるとわかった気になりやすい。○○作戦とか。○○戦略とか。名づけの意味はなんとなくそれがあるような気がして、そこから環境が見えるようになってきてしまうことです。
ここ、大事ですね。名付けたことを実行するための意味合いで環境を見るようになってくるということです。
これは不思議なことですね。
でも、なんでだかわからないですが、やったことがないことに関して、名前をつけて、未来の計画を立てていると、見える光景が変わってきたりします。
それで、⑦なんですが、その名前をつけて、その解釈はこうだ!というのはある意味、権力闘争的です。組織内で○○をやると言った時に、各関係者がそれにのるかそるか、その正統なやることはなんなのか?というのは、すごく綱引きがあったりしませんか?
その綱引きの結果で、その企画の中身が、充実することもあるし、骨抜きになったりもしますね。
そして、めでたく企画を実行していくわけです。
長かったし、今日は駆け足で解説しましたが、いかがでしたでしょうか?
ブログは固有名詞などは出しにくかったりするので、こういう形式で書いてます。メルマガはバックナンバー非公開でやっているので、少しイケナイおはなしも書いたりしていますので、ぜひ、登録してください。
それでは次回をお楽しみに。
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