6月末で1つ仕事がほぼ終わった感じで、ほっと一息ではありますが、下期からの仕事の仕込み中です。
下期にやる研修のプログラムをいくつか考えています。走り始めたら、私は大丈夫なんだろうか?と思ったりもしています。
意外と、教えるのは得意だし、教えることのプランニングは特に考えなくても反応できるんだなあ、というのをなんとなく感じています。
経験の蓄積でしょうかね・・・。
私は、考えるというのはどういうことなんだろうな、ということをずーっと考えてきました。社会人になって、「考えろ、考えろ、考えろ」と言われ続けて、事業会社に移ってからは、考えるということをゼロから教えていったりしながら、最近、おぼろげに見えてきたものがある気がします。
学習に関しては、いろいろなモデルが出ています。ただ、どれを見ても同じようなことを言っているなーとは思います。下記のポストはいくつかのモデルを参考にしています。どのモデルか興味がある人は、自分で調べてみてください。
①人は、学習を強制しなければ、無意識的無能のまま終わる。できてないこともわからないし、できていない、という状況。
②学習を強制して、やるうちに、自分が無能であることに気づく。これが意識的無能。己が下手を知りて一歩目というお話し。
③学習を繰り返すうちに、意識すればできるようになる。注意しないとできないが、注意すればなんとか、という段階。これが意識的有能。
④更に進むと、何も考えなくてもできるようになる。これが無意識的有能。何も考えずにできる。ただ、この段階に来ると、自分が一瞬でできるので、なぜわからないの?とか人に言い始めることもある。
⑤プロセスに分ける際の本質だが、プロセスに分けるのは人間が分けているのであって、分けない人にとっては一瞬でなされることもある。始めから何も考えずにできてしまう人もいる。この人はプロセスを一瞬で経過するすごい人。
⑥多くのことに対して、「できない」と思う人は、いろんなことをできるようになろうとしている普通の人。別にネガティブな傾向のある人でもないということ。意識的無能状態。この状態の人に、「ポジティブに考えようよ!」と言っているやつがいたりする。正直、学習の邪魔。
これ、読んだまんまです。が少しだけ解説します。
何かをできるようになるとき、始めはそれができないということすらわからない。これ、非常に大きなポイントです。できてないことがわからない。わからないことがわからない。
ほとんどの人は、何かしらの技術を発揮するポイントではこういう状況なのです。気がついてないけどできていない。
で、まず、そこができてないんだ、と気がつくことが大事です。
できないことに気がついてない人はできるようにならない。これ、おそろしいですね。勘違い君で終わる人が山ほどいるということです。
私は「お前はできてない」ということを基本的に言うことにしています。じゃないと気がつかないですからね。
で、俺はできない、ということに気がつくと、どうやってできるようになろうか?という段階に入ります。できてないということが意識化されて、できるほうに向かおうとする。
繰り返すうち、注意すればできるようになる。意識していればできる。ただ、この段階の欠点は遅いことです。圧倒的に遅い。できても、遅い。そして、疲れる。
で、この段階でも頑張って繰り返すと、何も考えなくてもできるようになる。
というプロセスですね。
ただ、どういう体系に分けて、どの程度大きな領域を学習できるか?というのはキャパの問題だと思いますけどね。
こういうモデルで考えると、褒めればいいということや、楽しいことだけやっていればいいというのが違和感が出てきますね。
自分ができないとわかるためには、その点の指摘を受けなくてはいけません。今時はビデオなどがあるので、自分の振る舞いを意識化することができる機会も多々あるでしょう。
ただ、やはり人に言われないとわからないものです。
褒めてばかりでは、何ができないのかわかりません。できないということは、必ずしも楽しくありません。でも、そこを越えてやり続けるからこそ、できるようになるのです。
皆さんの成長体験はどうでしょう?何かを苦しくても一生懸命やった時に伸びたのではないでしょうか?否定されても諦めなかったときに、成長しているのではないでしょうか?
安穏とした日々もいいものです。その素晴らしさを否定するつもりもないですが、何かしらできるようになるのも素敵なことだと思いませんか?
あなたが何かなさねばならない時、できないという現実から逃げないでくださいね。できないという現実が現れるからこそ、できるようになるのです。できないということがわかるようになるからこそ、できるようになるのです。
今日は学習モデルのお話しでした。では、次回をお楽しみに。
下期にやる研修のプログラムをいくつか考えています。走り始めたら、私は大丈夫なんだろうか?と思ったりもしています。
意外と、教えるのは得意だし、教えることのプランニングは特に考えなくても反応できるんだなあ、というのをなんとなく感じています。
経験の蓄積でしょうかね・・・。
私は、考えるというのはどういうことなんだろうな、ということをずーっと考えてきました。社会人になって、「考えろ、考えろ、考えろ」と言われ続けて、事業会社に移ってからは、考えるということをゼロから教えていったりしながら、最近、おぼろげに見えてきたものがある気がします。
学習に関しては、いろいろなモデルが出ています。ただ、どれを見ても同じようなことを言っているなーとは思います。下記のポストはいくつかのモデルを参考にしています。どのモデルか興味がある人は、自分で調べてみてください。
①人は、学習を強制しなければ、無意識的無能のまま終わる。できてないこともわからないし、できていない、という状況。
②学習を強制して、やるうちに、自分が無能であることに気づく。これが意識的無能。己が下手を知りて一歩目というお話し。
③学習を繰り返すうちに、意識すればできるようになる。注意しないとできないが、注意すればなんとか、という段階。これが意識的有能。
④更に進むと、何も考えなくてもできるようになる。これが無意識的有能。何も考えずにできる。ただ、この段階に来ると、自分が一瞬でできるので、なぜわからないの?とか人に言い始めることもある。
⑤プロセスに分ける際の本質だが、プロセスに分けるのは人間が分けているのであって、分けない人にとっては一瞬でなされることもある。始めから何も考えずにできてしまう人もいる。この人はプロセスを一瞬で経過するすごい人。
⑥多くのことに対して、「できない」と思う人は、いろんなことをできるようになろうとしている普通の人。別にネガティブな傾向のある人でもないということ。意識的無能状態。この状態の人に、「ポジティブに考えようよ!」と言っているやつがいたりする。正直、学習の邪魔。
これ、読んだまんまです。が少しだけ解説します。
何かをできるようになるとき、始めはそれができないということすらわからない。これ、非常に大きなポイントです。できてないことがわからない。わからないことがわからない。
ほとんどの人は、何かしらの技術を発揮するポイントではこういう状況なのです。気がついてないけどできていない。
で、まず、そこができてないんだ、と気がつくことが大事です。
できないことに気がついてない人はできるようにならない。これ、おそろしいですね。勘違い君で終わる人が山ほどいるということです。
私は「お前はできてない」ということを基本的に言うことにしています。じゃないと気がつかないですからね。
で、俺はできない、ということに気がつくと、どうやってできるようになろうか?という段階に入ります。できてないということが意識化されて、できるほうに向かおうとする。
繰り返すうち、注意すればできるようになる。意識していればできる。ただ、この段階の欠点は遅いことです。圧倒的に遅い。できても、遅い。そして、疲れる。
で、この段階でも頑張って繰り返すと、何も考えなくてもできるようになる。
というプロセスですね。
ただ、どういう体系に分けて、どの程度大きな領域を学習できるか?というのはキャパの問題だと思いますけどね。
こういうモデルで考えると、褒めればいいということや、楽しいことだけやっていればいいというのが違和感が出てきますね。
自分ができないとわかるためには、その点の指摘を受けなくてはいけません。今時はビデオなどがあるので、自分の振る舞いを意識化することができる機会も多々あるでしょう。
ただ、やはり人に言われないとわからないものです。
褒めてばかりでは、何ができないのかわかりません。できないということは、必ずしも楽しくありません。でも、そこを越えてやり続けるからこそ、できるようになるのです。
皆さんの成長体験はどうでしょう?何かを苦しくても一生懸命やった時に伸びたのではないでしょうか?否定されても諦めなかったときに、成長しているのではないでしょうか?
安穏とした日々もいいものです。その素晴らしさを否定するつもりもないですが、何かしらできるようになるのも素敵なことだと思いませんか?
あなたが何かなさねばならない時、できないという現実から逃げないでくださいね。できないという現実が現れるからこそ、できるようになるのです。できないということがわかるようになるからこそ、できるようになるのです。
今日は学習モデルのお話しでした。では、次回をお楽しみに。
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