今日で4回目ですね。ターゲット&提供価値のお話しです。多少古くて申し訳ないのですが、「私をスキーに連れてって」を例に、インサイトを起点にして、情緒的価値を設計していくというのを、説明していたと思います。
ちゃんと説明できているかは、少し不安ですが・・・。
昨日、さらっと書いたところをもう少し深めていきますね。「ターゲット層を広く取っていくやり方」という言葉遣いがちょっと説明不足だったので、書きますね。
どう説明しましょうか・・・。広い層に強い力で訴求することは非常に難しいことだ、ということは理解していただけますよね?弱者はニッチ市場への集中すべしという考え方がありますが、その考え方自体が、そのことを物語っていると思います。
広い層に深く訴求はできなくても、狭い層になら深く訴求できるかもしれないと思いません?まあ、すごく深くなかったとしても、購買するためのポイントをギリギリ超えることができるぐらいの訴求ができるかもしれないとか・・・。
何が言いたいかというと、限定することは、力を生み出すのではないか?ということですね。イメージ的にはホースで水撒きをする時に、ふつうに水を出していると、弱い力で出ていて、遠くまで飛ばなくても、ホースの口を絞ると強い力で水が出て、遠くに飛んでいくイメージでしょうか?
そういうことを考えると、多くの人の共感を呼べるような、提供価値を作っていくのは難しいなあ、と思いますよね。それで、「私をスキーへ連れてって」をしつこく例に出しますと、ターゲットとしているのは、20代~30代の男性、若者全般が中心ですね。これでもけっこう広いですね・・・。
そこから、映画なので、カップルで見に来るでしょうから、女の子へと広げていくポイントも作らないといけない。三上博がさえない部分で、「あー、いるいる!会社やお友達にああいう人」と女の人に思ってもらわないといけません。
それと、女の子も含む友達グループがやたらと三上博史に世話を焼きますね・・・。初めてあの映画を見たときは、こんな世話焼きの人たちいるか?と思いました。(いや、私が友達が少なかったせい?というのは置いておきまして・・・)
でも、女の子はグループの中でごちゃごちゃやる(男性的視点です。ごめんなさい。)のが好きなんですね・・・。こういうところで、女の人にも違和感がないように作ってありますね・・・。
映画というのは、フィルムの長さによって、コストが決まってきますので、要らないと思うシーンはどんどん切っていきます。基本的に全てのシーンに意味があるんですね。(まあ、つまらない映画は理由の無いカットがやまほどあるとは思いますが、ここでは面白い映画のことだとおもってください・・・)
確認ですが、ここでは、ある程度広い層に訴求しなくてはいけない映画を例に出していますね。映画というのは制作費がどうしてもかかってしまう。巨大なスクリーンで上映するので、画質も高くないといけないですし・・・。登場人物も多くなる。(まあブルーオーシャン的に言えば、クリティカルでない、競争に関係ない削減可能なコストはおそらくあるのでしょうが・・・。参考文献はこちら「ブルー・オーシャン戦略」ですね。)
そして、映画は不特定多数の人がカップルになって、もしくは家族連れで、友達同士で見に来たりします。まあ、コアな映画ファンは1人できますけどね・・・。
コアな人は置いておきまして、そういったみんなで連れ添って見に来て、みんなが面白いというものを作ることを求められているということがある程度前提になっているんですね。
だから、コアなターゲットを置きながら、周囲に広げていく視点が必要になってくるのです。
あるプロデューサーの方のやり方ですが、その方は教室をイメージするそうです。教室は校庭に面している窓側と、廊下側。黒板に近い前のほうと、後ろのほうがありますが、席を自由に選んでもらうと、キャラクターが分かれてくると思いませんか?
窓側の前のほうは、明るくまじめっぽい人。廊下側の後ろのほうは、だいぶ不良っぽいとか。廊下側の前のほうは漫画研究会みたいなのに入ってそうとか。窓側の後ろのほうは、明るいけど、ちょっとふまじめ、みたいな。
ちょっと決め付けじゃない?と思うかもしれませんが、マスというものを捉える際に、学校の教室をイメージするのは、非常に強力な枠組みだと思います。
既存の学校教育に批判は多々あるかもしれませんが、いろいろな価値観を持った人々が一つの教室に詰め込まれているんですね。世代的に越えるようなお話しには適用できないかもしれませんが、好みや性格というものを捉えるのに、わかりやすいのではないでしょうか?
コアを設定しながら、周囲へ広げるポイントを持つ。マス商品を作る際の一つのアプローチだと思います。
例えば、窓際の前のほうに座っている人をターゲットにするとすると、映画には、音楽という要素と、映像と言う要素があると思うのですが、音楽の好みは前のほう、後ろのほうで一致していたりして、映像的な好みは、校庭側、廊下側というくくりで一致していたりする。
そうするとサントラCDを売るとかそういう時は、前のほうに座っている人たちをイメージして・・・。映像よりのもの(DVDとか?)を売る時には、校庭側に座っている人たちをイメージして、とか。まあ、そういうことをしているプロデューサーさんもいますね・・・。
まあ、最近は1人のユーザーの話しを徹底して聞いたりして作った商品がかえって、多くの人に訴求する力を持つ、という考え方もありますね・・・。自動車でそういうことが行われていますね。片平秀貴先生はそういうのを、超顧客モデルと言っていましたが・・・。
だいぶターゲット寄りのお話しになってしまいましたが、「ターゲットを広く取る考え方」というのはこういうお話しを前提にした言葉遣いですね・・・。伝えることができたでしょうか?わかりにくかったら、ごめんなさい。
で、提供価値、情緒的価値で、広い層に受ける強いものを作るには?というお話しに少し触れて終わりにしますが。まあ、最終兵器は「家族」「恋愛」「命」といったものですね。誰にでもあって、それぞれが際立った色彩を放つもの。そういうものを情緒的価値の中心に置くという手段ですね。
前にも触れましたが、それをベースにヒーローズジャーニーという構造に落として、設計をすると伝わりやすいです。前に紹介しましたが、参考文献は「夢を語る技術〈5〉神話の法則」です。
意味不明でしょうか?明日はこの辺り、「提供価値と情緒的価値で広い層に受ける強いものを作るには?」を噛み砕いてお話ししますね。まあ、答えはないけど、アプローチはそれなりにある、というのが答えになるといえば、なるのですが・・・。
長い。そして難しい。説明する側の力不足でごめんなさい。まあ、暇なコンサルタントのたわ言だと思って、気楽に聞いてくださいね。では、明日をお楽しみに・・・。

ちゃんと説明できているかは、少し不安ですが・・・。
昨日、さらっと書いたところをもう少し深めていきますね。「ターゲット層を広く取っていくやり方」という言葉遣いがちょっと説明不足だったので、書きますね。
どう説明しましょうか・・・。広い層に強い力で訴求することは非常に難しいことだ、ということは理解していただけますよね?弱者はニッチ市場への集中すべしという考え方がありますが、その考え方自体が、そのことを物語っていると思います。
広い層に深く訴求はできなくても、狭い層になら深く訴求できるかもしれないと思いません?まあ、すごく深くなかったとしても、購買するためのポイントをギリギリ超えることができるぐらいの訴求ができるかもしれないとか・・・。
何が言いたいかというと、限定することは、力を生み出すのではないか?ということですね。イメージ的にはホースで水撒きをする時に、ふつうに水を出していると、弱い力で出ていて、遠くまで飛ばなくても、ホースの口を絞ると強い力で水が出て、遠くに飛んでいくイメージでしょうか?
そういうことを考えると、多くの人の共感を呼べるような、提供価値を作っていくのは難しいなあ、と思いますよね。それで、「私をスキーへ連れてって」をしつこく例に出しますと、ターゲットとしているのは、20代~30代の男性、若者全般が中心ですね。これでもけっこう広いですね・・・。
そこから、映画なので、カップルで見に来るでしょうから、女の子へと広げていくポイントも作らないといけない。三上博がさえない部分で、「あー、いるいる!会社やお友達にああいう人」と女の人に思ってもらわないといけません。
それと、女の子も含む友達グループがやたらと三上博史に世話を焼きますね・・・。初めてあの映画を見たときは、こんな世話焼きの人たちいるか?と思いました。(いや、私が友達が少なかったせい?というのは置いておきまして・・・)
でも、女の子はグループの中でごちゃごちゃやる(男性的視点です。ごめんなさい。)のが好きなんですね・・・。こういうところで、女の人にも違和感がないように作ってありますね・・・。
映画というのは、フィルムの長さによって、コストが決まってきますので、要らないと思うシーンはどんどん切っていきます。基本的に全てのシーンに意味があるんですね。(まあ、つまらない映画は理由の無いカットがやまほどあるとは思いますが、ここでは面白い映画のことだとおもってください・・・)
確認ですが、ここでは、ある程度広い層に訴求しなくてはいけない映画を例に出していますね。映画というのは制作費がどうしてもかかってしまう。巨大なスクリーンで上映するので、画質も高くないといけないですし・・・。登場人物も多くなる。(まあブルーオーシャン的に言えば、クリティカルでない、競争に関係ない削減可能なコストはおそらくあるのでしょうが・・・。参考文献はこちら「ブルー・オーシャン戦略」ですね。)
そして、映画は不特定多数の人がカップルになって、もしくは家族連れで、友達同士で見に来たりします。まあ、コアな映画ファンは1人できますけどね・・・。
コアな人は置いておきまして、そういったみんなで連れ添って見に来て、みんなが面白いというものを作ることを求められているということがある程度前提になっているんですね。
だから、コアなターゲットを置きながら、周囲に広げていく視点が必要になってくるのです。
あるプロデューサーの方のやり方ですが、その方は教室をイメージするそうです。教室は校庭に面している窓側と、廊下側。黒板に近い前のほうと、後ろのほうがありますが、席を自由に選んでもらうと、キャラクターが分かれてくると思いませんか?
窓側の前のほうは、明るくまじめっぽい人。廊下側の後ろのほうは、だいぶ不良っぽいとか。廊下側の前のほうは漫画研究会みたいなのに入ってそうとか。窓側の後ろのほうは、明るいけど、ちょっとふまじめ、みたいな。
ちょっと決め付けじゃない?と思うかもしれませんが、マスというものを捉える際に、学校の教室をイメージするのは、非常に強力な枠組みだと思います。
既存の学校教育に批判は多々あるかもしれませんが、いろいろな価値観を持った人々が一つの教室に詰め込まれているんですね。世代的に越えるようなお話しには適用できないかもしれませんが、好みや性格というものを捉えるのに、わかりやすいのではないでしょうか?
コアを設定しながら、周囲へ広げるポイントを持つ。マス商品を作る際の一つのアプローチだと思います。
例えば、窓際の前のほうに座っている人をターゲットにするとすると、映画には、音楽という要素と、映像と言う要素があると思うのですが、音楽の好みは前のほう、後ろのほうで一致していたりして、映像的な好みは、校庭側、廊下側というくくりで一致していたりする。
そうするとサントラCDを売るとかそういう時は、前のほうに座っている人たちをイメージして・・・。映像よりのもの(DVDとか?)を売る時には、校庭側に座っている人たちをイメージして、とか。まあ、そういうことをしているプロデューサーさんもいますね・・・。
まあ、最近は1人のユーザーの話しを徹底して聞いたりして作った商品がかえって、多くの人に訴求する力を持つ、という考え方もありますね・・・。自動車でそういうことが行われていますね。片平秀貴先生はそういうのを、超顧客モデルと言っていましたが・・・。
だいぶターゲット寄りのお話しになってしまいましたが、「ターゲットを広く取る考え方」というのはこういうお話しを前提にした言葉遣いですね・・・。伝えることができたでしょうか?わかりにくかったら、ごめんなさい。
で、提供価値、情緒的価値で、広い層に受ける強いものを作るには?というお話しに少し触れて終わりにしますが。まあ、最終兵器は「家族」「恋愛」「命」といったものですね。誰にでもあって、それぞれが際立った色彩を放つもの。そういうものを情緒的価値の中心に置くという手段ですね。
前にも触れましたが、それをベースにヒーローズジャーニーという構造に落として、設計をすると伝わりやすいです。前に紹介しましたが、参考文献は「夢を語る技術〈5〉神話の法則」です。
意味不明でしょうか?明日はこの辺り、「提供価値と情緒的価値で広い層に受ける強いものを作るには?」を噛み砕いてお話ししますね。まあ、答えはないけど、アプローチはそれなりにある、というのが答えになるといえば、なるのですが・・・。
長い。そして難しい。説明する側の力不足でごめんなさい。まあ、暇なコンサルタントのたわ言だと思って、気楽に聞いてくださいね。では、明日をお楽しみに・・・。


- 関連記事
-
- ターゲット&提供価値(その5) (2007/12/07)
- ターゲット&提供価値(その4) (2007/12/05)
- ターゲット&提供価値(その3) (2007/12/04)
スポンサーサイト