さて、今日から第2節の解説です。
第2節 真と偽 -命題の特性を探る-
P19~21:寛容の原則
はじめのパラグラフがわかりにくいですが、解説してみます。
どういうことを言っているのかと言いますと、論理学では、意味論的にこれは正しいということは、とりあえず気にせずに、各命題がどういう「構造」になっているか?を調べるということです。
ここで言う構造は、「真偽の構造」です。関係しあう命題の中で、こういう場合は真、こういう場合は偽という組み合わせのあり方を指して、構造と言っていますね。
この全体観はなんとなくしかわからないと思いますが、この時点ではこの程度の理解で大丈夫です。
そしてここから、個別の命題とは?というおはなしに入っていきます。
まず、「命題は真偽を持つ」と言っています。
始めに出ている例、「太陽や富士山や恐竜や円周率は真でも偽でもない」というのは、「単語」では命題にはならないと言っています。命題は「文」の形を取らないといけません。
「命題=文」という定義をこの本ではすると前で言っているので、わざわざ断る必要もないのですが、「真偽」がある文が命題だと言っていて、そうでないものは命題でないと言っています。
そして、理論の例えが出てきます。「理論は命題の集合体」であり、「理論の趣旨を構成する諸所の命題の真偽がある」ことから、理論自体の真偽が語られるケースがあると言っています。ここは今のところは気にしないで下さい。
そして、ようやく真偽の説明に入ります。
真・偽を「真理値」と言います。真と偽の二通りです。正しいか間違っているか、です。
で、次がこれまたわかりにくいのですが、真偽の考え方から、世界観を導入しています。真偽に対する考え方で、世界に対する考え方がわかるというものです。
ここでは、3つの世界観が示されています。
①実在論的世界観:人間の認識に関係なく真偽が存在する
②観念論的世界観:人間の認識が真偽を生み出す
③実証主義的世界観:観測して確かめられた命題だけの真偽が確定する
ここは少し、哲学の領分に入ってしまっていますね。例えば、物理学で有名なホーキング博士も「人間のいないところで木が倒れたら音はしない」と言っています。観測者がいないと、事象は存在しないことに等しいという考え方ですね・・・。
例えば、人類が壊滅的な打撃を受けて、2人しか生き残らなかったとします。それでも夕日は赤いのでしょうか?
そう言われると、「赤いに決まっている」と思うでしょう。
でも、その生き残った2人は、2人とも、目の異常で「赤」が知覚できない人だったら、それでも夕日は赤いのでしょうか?彼らには夕日が青く見えていたら?
とかね。考え出すときりがないです。
とりあえず、①の「実在論的世界観」の考え方が常識に近いから、この本では①の考え方にしようと言っています。
そして、P20の最後のパラグラフ~P21までは、「真偽がどの程度厳密に定まるのか?」、「いや、意外と曖昧だ」という論点と解から、「寛容の原則」の説明をして終わっています。
まず、曖昧である例として、各国と戦争の解釈の話が出ていますね。
それをまとめて、「命題の真偽という意味論的事情には、誰にとってどういう文脈で真とされるのか、という語用論的要因が必ず入り込んでいる」と言っています。
これはわかりますよね。ある人にとって、真だというものが、誰かにとっては真でないということは多々ある。企業においては、自社にとって真であることが大事ですけどね。これが、私がいつも言う主語の問題です。
そして、多くの主語にとって、真であれば真と言っていい、と言うこともできる、と著者は言い、更に日常会話では、「発言者の言葉がはっきり偽と言えない時にはなるべく真となるように解釈してあげよう」という「寛容の原則」について説明を始めています。
解釈規則として、寛容なポリシーを取らないと話ができない、というのはありますね。
厳密に、○○ってどういうこと?と相手を問い詰めていったら、話なんてできません。これはコミュニケーションの拒絶です。そういう人、たまにいると思いますけど。
寛容の原則を相手に求めて、好き勝手にしゃべるのもマナー違反ではありますけど・・・。
それで、なぜここで日常会話の話が出てくるかと言いますと、この後で、論理学における命題の真偽が日常会話とはだいぶ違うということを説明するからですね・・・。
次回からようやく真理値、真理表などの説明に入ります。
さすが入門書・・・。真理値、真理表に入るまでにこんなにかかるとは・・・。と思いつつ、次回から論理学の一歩目のようなところに入っていきます。それでは次回をお楽しみに。
![]() | 論理学入門―推論のセンスとテクニックのために (NHKブックス) (2000/09) 三浦 俊彦 商品詳細を見る |
第2節 真と偽 -命題の特性を探る-
P19~21:寛容の原則
はじめのパラグラフがわかりにくいですが、解説してみます。
どういうことを言っているのかと言いますと、論理学では、意味論的にこれは正しいということは、とりあえず気にせずに、各命題がどういう「構造」になっているか?を調べるということです。
ここで言う構造は、「真偽の構造」です。関係しあう命題の中で、こういう場合は真、こういう場合は偽という組み合わせのあり方を指して、構造と言っていますね。
この全体観はなんとなくしかわからないと思いますが、この時点ではこの程度の理解で大丈夫です。
そしてここから、個別の命題とは?というおはなしに入っていきます。
まず、「命題は真偽を持つ」と言っています。
始めに出ている例、「太陽や富士山や恐竜や円周率は真でも偽でもない」というのは、「単語」では命題にはならないと言っています。命題は「文」の形を取らないといけません。
「命題=文」という定義をこの本ではすると前で言っているので、わざわざ断る必要もないのですが、「真偽」がある文が命題だと言っていて、そうでないものは命題でないと言っています。
そして、理論の例えが出てきます。「理論は命題の集合体」であり、「理論の趣旨を構成する諸所の命題の真偽がある」ことから、理論自体の真偽が語られるケースがあると言っています。ここは今のところは気にしないで下さい。
そして、ようやく真偽の説明に入ります。
真・偽を「真理値」と言います。真と偽の二通りです。正しいか間違っているか、です。
で、次がこれまたわかりにくいのですが、真偽の考え方から、世界観を導入しています。真偽に対する考え方で、世界に対する考え方がわかるというものです。
ここでは、3つの世界観が示されています。
①実在論的世界観:人間の認識に関係なく真偽が存在する
②観念論的世界観:人間の認識が真偽を生み出す
③実証主義的世界観:観測して確かめられた命題だけの真偽が確定する
ここは少し、哲学の領分に入ってしまっていますね。例えば、物理学で有名なホーキング博士も「人間のいないところで木が倒れたら音はしない」と言っています。観測者がいないと、事象は存在しないことに等しいという考え方ですね・・・。
例えば、人類が壊滅的な打撃を受けて、2人しか生き残らなかったとします。それでも夕日は赤いのでしょうか?
そう言われると、「赤いに決まっている」と思うでしょう。
でも、その生き残った2人は、2人とも、目の異常で「赤」が知覚できない人だったら、それでも夕日は赤いのでしょうか?彼らには夕日が青く見えていたら?
とかね。考え出すときりがないです。
とりあえず、①の「実在論的世界観」の考え方が常識に近いから、この本では①の考え方にしようと言っています。
そして、P20の最後のパラグラフ~P21までは、「真偽がどの程度厳密に定まるのか?」、「いや、意外と曖昧だ」という論点と解から、「寛容の原則」の説明をして終わっています。
まず、曖昧である例として、各国と戦争の解釈の話が出ていますね。
それをまとめて、「命題の真偽という意味論的事情には、誰にとってどういう文脈で真とされるのか、という語用論的要因が必ず入り込んでいる」と言っています。
これはわかりますよね。ある人にとって、真だというものが、誰かにとっては真でないということは多々ある。企業においては、自社にとって真であることが大事ですけどね。これが、私がいつも言う主語の問題です。
そして、多くの主語にとって、真であれば真と言っていい、と言うこともできる、と著者は言い、更に日常会話では、「発言者の言葉がはっきり偽と言えない時にはなるべく真となるように解釈してあげよう」という「寛容の原則」について説明を始めています。
解釈規則として、寛容なポリシーを取らないと話ができない、というのはありますね。
厳密に、○○ってどういうこと?と相手を問い詰めていったら、話なんてできません。これはコミュニケーションの拒絶です。そういう人、たまにいると思いますけど。
寛容の原則を相手に求めて、好き勝手にしゃべるのもマナー違反ではありますけど・・・。
それで、なぜここで日常会話の話が出てくるかと言いますと、この後で、論理学における命題の真偽が日常会話とはだいぶ違うということを説明するからですね・・・。
次回からようやく真理値、真理表などの説明に入ります。
さすが入門書・・・。真理値、真理表に入るまでにこんなにかかるとは・・・。と思いつつ、次回から論理学の一歩目のようなところに入っていきます。それでは次回をお楽しみに。
- 関連記事
-
- 論理学入門解説(5) (2010/09/29)
- 論理学入門解説(4) (2010/09/27)
- 論理学入門解説(3) (2010/09/23)
スポンサーサイト