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 さて、今日も「暇と退屈の倫理学」を見ていきます。

 
暇と退屈の倫理学暇と退屈の倫理学
(2011/10/18)
國分 功一郎

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 今日は、第一章:暇と退屈の原理論を見ていきます。

 まず、著者はパスカルのパンセを引きます。有名な「人間は考える葦である」のパスカルです。ただ、パンセを読むと、パスカルはヒューマニストというよりは、シニカルな天才です。

 ま、頭がよすぎるとそうなるような・・・。パスカル自体は徴税官の息子でそれなりに豊かですから、17世紀の人間とはいえ、現代の「暇と退屈」を読み解く参考になるわけです。

 でね、パスカルは「パンセ」の中で気晴らしを分析します。

 「気晴らし」ってなぜやるの?というきわめて素朴な問いです。が、答えと、その具体例はとてもいやらしい。

 当時、「狩り」はそれなりに裕福な人のレジャーなわけです。「うさぎ狩り」に行く人間はなぜうさぎ狩りに行くのか?

 彼らは断じてうさぎが欲しいからではない、とパスカルは言います。試しに、うさぎ狩りに出かけようとしている人間に、ほらうさぎをやるよ、とうさぎを差し出してみよう、と。彼らはきっと嫌な顔をする、と。

 性格の悪さが透けて見えますね・・・。で、彼らはうさぎ狩りのプロセスを楽しむために、うさぎ狩りに行く。ひーひー言いながら、野山をかけずりまわって、うさぎを狩るのだが、うさぎが欲しいのではない。そのプロセスを楽しみに行きたい。

 では、なぜそんなことをするのか?

 パルカルの答えは、「部屋にじっとしていられないから」。ヒトは、部屋にじっとしていられない。パスカルはこれを不幸と言います。

 部屋でじっとしていて、退屈しないのであるならば、人は幸せだ、と。

 でもね、人は食べるに困らずにいたとして、部屋でじっとしていると退屈するのです。これをパスカルは「みじめだ」と言います。

 ここを深く見てみましょう。現代の仕事の「やりがい」などという新しい考えに対するカウンターになりえます。

 なぜ、熱中するプロセスを人が欲するのか?

 部屋でじっとしている暇と退屈に耐えかねるから。その状態を不幸だと思うから。

 では、熱中することがあれば幸せなのか?本当に幸せなのか?

 ただの気晴らしに心を紛らわせることが本当に幸せなのか?熱中できるものが気晴らしに過ぎないのなら、一生熱中する気晴らしを人は続けるだけなのか?

 著者はここまでしつこく問うてはいませんが、この部分で言いたいことはこういったことです。

 現代で言えば、天職なんてあるの?ライフワークなんてあるの?というお話に近いでしょうね。それが就職メディアに踊らされているだけではない、となぜ言えるのでしょうか?

 パスカルは17世紀の人ですが、そのころから、この問題の答えは出ていないのです。

 パスカルのもっともっといやらしいところを少し見ますと、パスカルによれば、他人事のように、こんな分析をしているやつも「暇」なのです。

 こんなことを指摘して暇をつぶしているやつこそ、暇である、と。やらしいですね・・・。

 で、パスカルの結論をアバウトに言うと、「人間は所詮つまらぬもので、それはしょうがない。ただ、神への信仰によってのみ救われる」です。

 17世紀ならこれでもいいかもしれませんが、現代の人々に、こういっても、さすがに救われませんね・・・。分析は正しくても、結論は現代流の結論が要りそうです。

 この問題はパスカル以前も指摘されていますが、いわゆる「普通の人たち」にこの問題が広がったのは20世紀でしょう。

 これをパスカル以降、指摘している哲学者として、著者はニーチェ、シュトラウスを挙げて、当時の社会情勢との照合を確認します。ニーチェは神なき人間のみじめさを指摘し、シュトラウスは繰り返し指摘される「歴史の終わり」的な議論の誤りと、緊急事態を求める人間の危険さを指摘します。

 そして、著者は、より倫理に踏み込んだ提案をした人として、ラッセルとハイデガーを挙げます。

 ラッセルは「幸福論」という文字通り「幸福であるためには?」という著作を書いています。ただ、ラッセルの幸福論は、原因のわからない不幸さの指摘と、それを超えるための治療法として、「熱意」があればいい、と。

 ただ、このラッセルの分析は少し浅い感があり、それで熱意が持てるものがあればいい、と言われても、ちょっと、という問題があります。

 ラッセルは、日々に、なにかしらのイベントのようなものがあれば、昨日と今日を区別しうる出来事があれば、人は幸せだと言います。本当かよ、と。じゃあ、それ、自分でどうしようもないじゃん、と思いますけどね。

 で、ラッセルに批判的に触れた後、ハイデガーに触れるかと思いきや、ハイデガーの退屈論は後に取っておきます。ハイデガーの分析はもう少し深い。でも、その深さにたどりつくには、もう少し、考えないといけない。

 と、いかにもハイデガー的なもったいつけ方ですね。構造を自覚した上での選択と、無自覚的は違う、と。

 そして、スヴェンセンに触れます。「退屈の小さな哲学」です。

 これは、退屈に対する処方箋としてのロマン主義の否定です。ロマン主義はヨーロッパを席巻した病ではあるわけですが、それではいかん、と。それは間違いである、と。

 ロマン主義を捨て去れ!がスヴェンセンのメッセージです。ま、いますね、ロマン主義を否定して悦に入るおじさん。ロマン主義というのは、ありもしないものを追い求める夢遊病とでもとりましょうか。若者が時にとりつかれる病でしょうか?

 もしくは、ちょっと前にNHKでやっていた「プロジェクトX」も実はロマン主義的ではないでしょうか?と著者は指摘したいけど、示唆に留めています。著作権とか、そういう問題ですかね・・・。経営者が時にやる記憶の捏造に近いでしょうかね・・・。この辺は指摘するとどんどんいじわるになっていく気がするので、このあたりで。

 このような浅い結論は、ラッセル、スヴェンセンによってもたらされているけど、納得できる面もないわけではないけど、深く腑に落ちる感じではない。

 未解決の問題である、と。だから、もうちょっといろいろと深く見ていこうね、と第一章が終わります。

 これは、若者が耳が痛くなる、おじさんも耳が痛くなる事象が満載です。著者は、それほど性格が悪くないせいか、あからさまに耳が痛い指摘はしません。

 ただ、よく読めば、けっこう耳が痛いことをたくさん言っています。大学生が時にかかる自己分析病もやり玉にあがります。

 お前が言う、過去に楽しかった思い出など本当に「ある」のか?自分の好きだったこと、自分の軸、自分の嗜好、そんなものは仕掛けられていただけではないのか?そして、それはなかったものをあたかも追い求めるロマン主義ではないのか?そのロマン主義はヨーロッパでさんざっぱら迷惑なことを発生させたのではないか?と。

 おじさんの、昔はよかった病もダメです。

 お前の言う、輝いていた時代なんてあったのか?ずっと、ずっと今みたいに退屈だったんじゃないのか?過去を美化して、日々をごまかすのはやめろ、と。プロジェクトXなんて虚構に過ぎない、と。

 じゃあ、どうするの?と問いたくなりますが、人間と退屈の関係を次章で見ましょうね、とこの章は終わります。実に面白い本ですね。

 それでは次回をお楽しみに。
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2011.10.29(12:23)|書籍コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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