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> 暇と退屈の倫理学_その3
 さて、お待たせしました。今日も「暇と退屈の倫理学」を見ていきます。3回目です。

 
暇と退屈の倫理学暇と退屈の倫理学
(2011/10/18)
國分 功一郎

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 第二章は「暇と退屈の系譜学。人間はいつから退屈しているのか?」です。

 系譜学というのは、ニーチェに端を発します。ニーチェは「道徳の系譜」という本で、キリスト教道徳にひそむルサンチマンを暴き出しています。すごく鮮やかです。

 ご参考ですが、この導き出したプロセスをものすごくざっくり言ってみますね。

 ドイツ語で、「グード」というのは「よい」という意味だが、キリスト教では、弱い者、貧しい者が「グード」だと言っている。

 しかし、「グード」という言葉の語源を辿ると、実は「強い」とか、「豊か」とかそういう意味である。キリスト教は恐ろしいことに、言葉の意味をひっくり返してしまうということをやったのだ、と。それは、弱者の恨み、つらみに起因している。この恨み、つらみこそ、キリスト教の本質だ、というようなお話です。

 この「起源を辿る」というのが、「系譜学」という考え方です。

 でね、著者はこの章で「暇と退屈」の起源を辿ろうとしています。

 いったいいつまで遡るのでしょうか?なんと、1万年単位で遡ります。えー、人間の暇と退屈の起源はそんな昔から考えないといけないの?と思うでしょう。でも、この著者の説明はけっこう納得がいきます。

 ここで、引き合いに出されるのが、西田正規の「定住革命」です。

 定住革命って何?易姓革命の親類ですか?と思うかもしれませんが、違います。前の章を思い出してみると、パスカルは「部屋にじっとしていられないのが、人間の不幸の始まりだ」と言っていましたよね。

 じゃあ、部屋に住み始めたのはいつだ?系譜を辿るならそこからだろう、というのは至極自然な問いです。

 そう、部屋に住み始めたのは、定住を始めてからです。ひょっとすると定住を始める前は暇で退屈ではなかったかもしれない。この定住を人類が始めたことを指して「定住革命」と言っています。

 人類が二足歩行を始めたのは、おそくとも400万年前だそうです・・・。昔過ぎる・・・。

 気を取り直して、定住を始めた時期を見てみると、なんとこの1万年ぐらいだそうです。399万年もの間、人間は「遊動生活」をしていたそうです。長い・・・。

 それでね、著者が「定住革命」を引いたのは、「遊動生活」にまつわる偏見を破壊したかったからだと思います。遊動生活って、さまよってばっかりで大変だよね、という偏見です。これを科学的に崩している人の意見を引きたかったんだと思います。

 なぜかって?

 人間は現在定住していますよね。その目線から見たら、どうしても、定住を肯定する見方になりがちです。定住があたかも歴史の必然であるかのように見えてしまう。でも、定住以前にも、人間は人間らしかったのではないか?と著者は思っているわけです。

 だって、部屋にじっとしていられない不幸が定住で始まったとすると、人間は399万年の間は、不幸じゃなかったかもしれないというロジックもありえますよね。

 で、著者は、人間は定住せざるを得なくなって定住した、という説を採ります。

 もしも、豊かな森、平原の中を人々が好き勝手に木の実を食べたりして食物がなくなると、ある所に移動するという暮らしをしていたとしよう。もしも、森の恵みが人間が消費するよりも大きいならば、こんないい暮らしはないのではないでしょうか?、と著者は言います。

 確かにそうだと思います。食ったものは、適当にその辺に棄てる。汚くなったら移動する。必要な時に、必要なものがあればいいから、道具なども特に私有する必要はない。

 このようなことがずっとできれば、ある意味で幸せではないか?というのは面白い問題提起です。

 食料の問題が出るのは、むしろ定住を始めてからです。一か所に留まるからこそ、貯蔵の問題が起きたり、財産の私有などが始まる。

 で、定住は1万年前に始まったわけですが、中緯度帯で始まった。これはなぜか?について、西田氏の説を引いてきます。おそらくは気候変動によるものだ、と。

 氷河期が終わりをつげ、森林が高緯度帯へ向けて拡大を始める。そうすると、遊動生活は困難になってくる。木々が邪魔で狩りができなくなる。森の恵みが熱帯のようにとてつもなく大きければいいのだが、温帯で森林が発達したとしても、四季がある、得られる食料の季節変動が大きい。

 そうすると、定住せざるを得なくなる、と。

 冬を越すための貯蔵が必須となり、貯蔵は移動を妨げる、と。

 確かにこういう考え方は可能ではあります。ただ、この議論に著者は深入りしません。詳細な議論は必要だが、人類はそもそも399万年もの間、遊動生活をしていた、というのがポイントです。そして、定住革命の後、人類はおそろしいほどの変化を経験するわけです。わずか1万年の間に。

 定住と遊動を比較すると、トイレのしつけや、ごみ問題など、遊動時代には起こりえなかった問題が定住を始めて生じたと見ることもできます。

 遊動生活であれば、どこでもトイレ状態ですよね・・・。定住するから、どこかにトイレを決めないと病気が蔓延する。そして、遊動生活であれば、ごみもそのへんに捨て放題です。定住するからこそ、共同のごみ置き場が必要になる。

 また、遊動生活であれば、死者をもって移動したりはしないから、死体は捨て置かれる。定住するからこそ、共同墓地ができる。すると、宗教などの発生とも密接にかかわるのではないでしょうか。

 そして、コミュニケーションの固定化により、社会的緊張も発生し、法整備などがなされ、財産の私有が始まり、資本主義や格差の発生が始まる・・・。

 と、遊動と定住を比較すると、いろいろと現代社会が見えてくる面があります。まさに系譜学の力です。

 そして、暇と退屈とかかわる所で行くと、「能力の発揮」というものがあるでしょう。ここがまさにポイントです。遊動生活では、常に新たな環境に身をおかねばならないので、いろいろと創意工夫の機会は無形で後に残ったりする形にはなりませんが、常々あったと考えられるでしょう。

 でもね、定住生活になると、基本的にはルーチンの作業をしないといけないわけです。

 更に、それなりに豊かになると、そのルーチン作業からも解放されてしまう!部屋にじっとしていてもいい!パスカル風に言えば「なんと不幸な豊かな定住民」でしょうか。

 では、どうするのか?

 著者の結論は簡単です。自らの手で、この定住によりはじまった「暇と退屈」を超える手段を考え出せばいい。我々の歴史にはそのヒントがあるはずです。そして、著者はこの章の最後で、ハイデガーへのアンチテーゼとして書いているということを明確にします。

 ハイデガーは人間とは何か?について独自の考え方をしています。

 「人間であるとは、死すべきものとして地上にあることであり、それは住むことである」と。

 機能主義的観点から読むとものすごく示唆のある味わい深い一文なのですが、ここでは定住という側面とのつながりで捉えましょう。

 ハイデガーの意見に従えば、399万年の間、遊動生活をしていた「存在者」は「人間」ではないことになります。

 あらそう?そのわりに定住していない頃のことをずいぶんひきずってますよね、我々は・・・。だから「暇で退屈」なんじゃない?というのが著者のスタンスです。

 ちょっとそれますけど、ハイデガーは「世界-内-存在」と人間のことを指して言っていますけど、これも人間というものは、「世界の中に住まう存在である」という主張ですからね・・・。

 ただ、どうも「住むということ」、「部屋にじっとしていられない」、「定住」などのことを考えると、人間が暇で退屈なことのポイントは、ここにある!というように思えてきます。「住むということ」に着目している点では著者はハイデガーと同じなのですが、違うスタンスを取り、違う結論に至るという志を著者は示しているのです。

 ま、でも、ハイデガーを批判しつつ、ハイデガーの枠組みにすごく似ている、と読んでいて思います。ただ、この著者の面白いところは、いろんな意味でバイアスから自由な感じがするんですよね。いかにも「現代人」っぽいよさとでもいうのでしょうか?読んでいて、そういう感じがすごくします。

 何かを主張していて、何かに引っ張られている感というのは、人を見ていても、自分を見ていても感じます。こういうものから自由になった認知を悟りっていうんだろうな、という感覚が、少なくとも現代のまともな思想家には見られる感じがしています。

 そういうさわやかさ、面白さがいいなあ、と思いながらこんな「徒労」とも言うべき解説を書いております。それでは次回をお楽しみに。

 

 
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2011.11.03(22:55)|書籍コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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