こんにちは。伊藤です。日曜日も終わろうとしています。
文章力云々の話を今日は書こうかなあ、と。
「心に太陽を」と言われて本当に映像でリアルな太陽を心に思い浮かべる人は少ないでしょう。
もう10年以上前のことですが、大学に入ったころ、何も考えずにサッカーをやろうと思ったころ、言葉って力がなくなってきているなあ、と思っていました。
言葉自体から力がなくなってきているように思っていました。それをなぜ思ったかは覚えていませんが。
今、思うと、言葉が力をなくしているのは、読み手が、聞き手が言葉が指し示すものを追えなくなってきたから。
それは体験の量が減ってきているからだと思います。ある意味で、人々はすっかすかの空間をやり過ごしているように思います。
情報過多といわれているわりに、文字情報をなぞっているだけの人ばかり。文字数を情報量とするのならば、
そりゃあ、情報量は増えていますが、文字は指し示すものとセットにして情報量をはかるべきものです。記号ですからね。
私は問いたい。この世界を本当に見ていますか?
本当に、今、目の前に奇跡的に存在している物事を、目で、耳で、体で、感じきっていますか?
その上で、それを言葉という記号で紙に焼き付ける。今は紙じゃなくてパソコンとか、携帯だったりするわけですが・・・。
文章には型があるから、その型を追えばいいんだよ!的な文章講座がはやるのも、
そういう聞き手、読み手ばかりになってきていることが背景にあるのだと思います。
型は自分の技術レベルがどの程度にあるのか、その上達を見たり、他人と比較するためには、すごく意味があると思います。
でも、それだけです。それはそれで尊いと思いますが、それだけです。
私はね、読み手を想定しないと書けないタイプです。自分が読み手の場合もあるのですが、基本的には他者が読み手です。まあ、職業的文章家はまたちょっと違った文章観をもっているでしょうけどね。
それでね、想定している読み手がちゃんとわかってくれる。私の文章が指し示すことがありありと頭に思い浮かぶ。それをゴールにしています。
当然、その上で、なにがしかのフィードバックが返ってくると、更に、コミュニケーションは続いていく。そういうイメージで書いています。
「アウトプット学習法」と称して、自分が入力したものを自分で確認するための文章は、私は少し苦手です。一瞬先の自分も確かに他者なんですが、アウトプット学習法って未来の自分への手紙として書いている感じではなさそうだなあ、と。
言語という記号が指し示すもの、それを本当に認知していきましょう。そして、今、自分の眼前に広がっている世界を、見て、聞いて、感じて、書いてみてください。
その行為を通じて、言葉が力を取り戻し、世界のリアリティも戻ってくるんだと思います。
文章力講座を受けただけではこんな認識には至りませんが、一応、文章力の研修もやっていますので、ご興味あればご連絡をば。
http://www.taii.jp/training.html
それでは次回をお楽しみに。
文章力云々の話を今日は書こうかなあ、と。
「心に太陽を」と言われて本当に映像でリアルな太陽を心に思い浮かべる人は少ないでしょう。
もう10年以上前のことですが、大学に入ったころ、何も考えずにサッカーをやろうと思ったころ、言葉って力がなくなってきているなあ、と思っていました。
言葉自体から力がなくなってきているように思っていました。それをなぜ思ったかは覚えていませんが。
今、思うと、言葉が力をなくしているのは、読み手が、聞き手が言葉が指し示すものを追えなくなってきたから。
それは体験の量が減ってきているからだと思います。ある意味で、人々はすっかすかの空間をやり過ごしているように思います。
情報過多といわれているわりに、文字情報をなぞっているだけの人ばかり。文字数を情報量とするのならば、
そりゃあ、情報量は増えていますが、文字は指し示すものとセットにして情報量をはかるべきものです。記号ですからね。
私は問いたい。この世界を本当に見ていますか?
本当に、今、目の前に奇跡的に存在している物事を、目で、耳で、体で、感じきっていますか?
その上で、それを言葉という記号で紙に焼き付ける。今は紙じゃなくてパソコンとか、携帯だったりするわけですが・・・。
文章には型があるから、その型を追えばいいんだよ!的な文章講座がはやるのも、
そういう聞き手、読み手ばかりになってきていることが背景にあるのだと思います。
型は自分の技術レベルがどの程度にあるのか、その上達を見たり、他人と比較するためには、すごく意味があると思います。
でも、それだけです。それはそれで尊いと思いますが、それだけです。
私はね、読み手を想定しないと書けないタイプです。自分が読み手の場合もあるのですが、基本的には他者が読み手です。まあ、職業的文章家はまたちょっと違った文章観をもっているでしょうけどね。
それでね、想定している読み手がちゃんとわかってくれる。私の文章が指し示すことがありありと頭に思い浮かぶ。それをゴールにしています。
当然、その上で、なにがしかのフィードバックが返ってくると、更に、コミュニケーションは続いていく。そういうイメージで書いています。
「アウトプット学習法」と称して、自分が入力したものを自分で確認するための文章は、私は少し苦手です。一瞬先の自分も確かに他者なんですが、アウトプット学習法って未来の自分への手紙として書いている感じではなさそうだなあ、と。
言語という記号が指し示すもの、それを本当に認知していきましょう。そして、今、自分の眼前に広がっている世界を、見て、聞いて、感じて、書いてみてください。
その行為を通じて、言葉が力を取り戻し、世界のリアリティも戻ってくるんだと思います。
文章力講座を受けただけではこんな認識には至りませんが、一応、文章力の研修もやっていますので、ご興味あればご連絡をば。
http://www.taii.jp/training.html
それでは次回をお楽しみに。
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