おはようございます。伊藤です。
ゲーデルの不完全性定理について何か述べる人がいます。私はゲーデルの不完全性定理は何度も読みましたが、ちんぷんかんぷんです。
でも、何かしら言おうとするなら、命題論理と述語論理の基本的なことと、ゲーデルが何をしたか?ぐらいの簡単な勉強はしてほしいものです。野矢先生の論理学入門の最後にも、不完全性定理の解説があります。命題論理と述語論理の解説の後に来ています。
私とて、大学時代にそういう授業を受け、自分で文献をあたっただけなので専門家ではありません。
でもね、たまに「ゲーデルの不完全性定理で答えが1個しかないわけではないことが証明された」とおっしゃる方がいました。
それ、本当ですか?
それを見て、ちょっとおかしいんじゃない?と下記のつぶやきを書きました。
①正解がないんじゃなくて、「証明、反証できない命題がある」という話と、「系の無矛盾性の証明ができない」だけだろ。正解がないだって?誰がほざいている?
②無矛盾性が証明できなくても、ある程度使えるモデルを使って、そのモデルの中で正解はこれ、というのはあるだろう。
③「正解はないんだ」とかほざくやつは、ある系における正しい解が出ることの恩恵にあずかるのを禁止にしてやりたい。
④素早く系を設定して、近似解というか、暫定解を出す能力は常に求められているんじゃない?
それでね、ゲーデルの不完全性定理は、自然数を含むある系を設定した時に、証明もできず、反証もできない命題がその系の中に生じうる、ということを実際に示したんですね。そして、系の無矛盾性、つまり、ある系を想定した時に、その系の中に矛盾が起こらないという証明ができない、ということも証明しました。
あとね、不完全性について言うよりも、ゲーデルは一階述語論理の完全性を証明しています。一階述語論理の体系は完全です。そのルールに従えば、正しい解が定まります。
でも、自然数を系に含んでしまうと、そうではないよ、というのが不完全性定理です。
高次の述語論理もそうですけどね。
それでね、「正解はないんだ」とおっしゃる無知な方がたくさんいます。
それは、問いの存在を前提としたお話です。
でね、たいていの場合には問いすらないのです。問いを自分で立てないといけない。ただ、その問いを立てた時、正解を出す能力は、相当必要です。
演繹的に、前提条件が正しいときにどういう結論が正しいのか?ということがわからなければ、正解は作れません。
また、帰納的に、経験をベースに、推論を駆使しないと、使える正解は出せません。
また、何を問うべきか?ということを考えるために、ある程度の答えのイメージを作れなければなりません。そのイメージを作るためには、アブダクションが必要です。
これ、全部、正解を出すために人が使うことです。
残念ながら、普通に正解を出す能力は必要です。「正解がない」という主張を好意的に解釈すると、系の設定も自分でせねばならず、問い立ても自分でせねばならず、その系の設定も、環境を完全に写し取るというより、近似で簡単なモデル化をせねばならない。
これ、1つでも間違えると、見当違いな答えが出ます。
正解を出すこと、出し方を学んでください。系が完全だろうと不完全だろうと、たいていの問題は、不完全性が問題になったりはしません。
また、不完全性が問題になったとしても、1つ上の系を設定して、そこから認識すれば、上の系は不完全ですが、元の系は完全であると言えます。
だから、くだらないことを言う暇があったら、勉強してほしいのです。いろいろなことを。遊んで欲しいのです。体を使って。そして、自分の能力を上げて欲しいのです。
ため息が出てきます。まあ、それはそれでしょうがないですが。
日々、絶望と闘い続けるのみです。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
ゲーデルの不完全性定理について何か述べる人がいます。私はゲーデルの不完全性定理は何度も読みましたが、ちんぷんかんぷんです。
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でも、何かしら言おうとするなら、命題論理と述語論理の基本的なことと、ゲーデルが何をしたか?ぐらいの簡単な勉強はしてほしいものです。野矢先生の論理学入門の最後にも、不完全性定理の解説があります。命題論理と述語論理の解説の後に来ています。
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私とて、大学時代にそういう授業を受け、自分で文献をあたっただけなので専門家ではありません。
でもね、たまに「ゲーデルの不完全性定理で答えが1個しかないわけではないことが証明された」とおっしゃる方がいました。
それ、本当ですか?
それを見て、ちょっとおかしいんじゃない?と下記のつぶやきを書きました。
①正解がないんじゃなくて、「証明、反証できない命題がある」という話と、「系の無矛盾性の証明ができない」だけだろ。正解がないだって?誰がほざいている?
②無矛盾性が証明できなくても、ある程度使えるモデルを使って、そのモデルの中で正解はこれ、というのはあるだろう。
③「正解はないんだ」とかほざくやつは、ある系における正しい解が出ることの恩恵にあずかるのを禁止にしてやりたい。
④素早く系を設定して、近似解というか、暫定解を出す能力は常に求められているんじゃない?
それでね、ゲーデルの不完全性定理は、自然数を含むある系を設定した時に、証明もできず、反証もできない命題がその系の中に生じうる、ということを実際に示したんですね。そして、系の無矛盾性、つまり、ある系を想定した時に、その系の中に矛盾が起こらないという証明ができない、ということも証明しました。
あとね、不完全性について言うよりも、ゲーデルは一階述語論理の完全性を証明しています。一階述語論理の体系は完全です。そのルールに従えば、正しい解が定まります。
でも、自然数を系に含んでしまうと、そうではないよ、というのが不完全性定理です。
高次の述語論理もそうですけどね。
それでね、「正解はないんだ」とおっしゃる無知な方がたくさんいます。
それは、問いの存在を前提としたお話です。
でね、たいていの場合には問いすらないのです。問いを自分で立てないといけない。ただ、その問いを立てた時、正解を出す能力は、相当必要です。
演繹的に、前提条件が正しいときにどういう結論が正しいのか?ということがわからなければ、正解は作れません。
また、帰納的に、経験をベースに、推論を駆使しないと、使える正解は出せません。
また、何を問うべきか?ということを考えるために、ある程度の答えのイメージを作れなければなりません。そのイメージを作るためには、アブダクションが必要です。
これ、全部、正解を出すために人が使うことです。
残念ながら、普通に正解を出す能力は必要です。「正解がない」という主張を好意的に解釈すると、系の設定も自分でせねばならず、問い立ても自分でせねばならず、その系の設定も、環境を完全に写し取るというより、近似で簡単なモデル化をせねばならない。
これ、1つでも間違えると、見当違いな答えが出ます。
正解を出すこと、出し方を学んでください。系が完全だろうと不完全だろうと、たいていの問題は、不完全性が問題になったりはしません。
また、不完全性が問題になったとしても、1つ上の系を設定して、そこから認識すれば、上の系は不完全ですが、元の系は完全であると言えます。
だから、くだらないことを言う暇があったら、勉強してほしいのです。いろいろなことを。遊んで欲しいのです。体を使って。そして、自分の能力を上げて欲しいのです。
ため息が出てきます。まあ、それはそれでしょうがないですが。
日々、絶望と闘い続けるのみです。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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