就職活動の時期も、今年ももう終わります。いろいろな学生が私のところに来ましたが、勘違いしている人がたくさんいたので、そういった痛い勘違いに向けて、つぶやいた内容をまとめます。
①好きなことをやればいいんだよ!で生き残った人と、そうでない人がいます。で、それはもうずっとずっと繰り返しで、手を変え品を変え日本に出現している現象で・・・。
②そういう、「好きなことをやろう」を勧める人が、カネにケチだったりするのを不思議に思わないのだろうか?極論、カネがないんだよ。
③カネは社会の役に立っている人のところに集まります。なぜなら、社会で人に必要とされることをやることの対価がカネだから。ただ、その対価を集団でやって独り占めするNPO理事などもいることは確かです。当然、そういうブラック企業社長もいます。
④社会は全体で生産活動をしているので、その歯車としてみんなの役に立っているヒトのところにカネが集まります。そのシステムから外れて、システムの恩恵にフリーライドするヒトもいますが、そういう人は信用されません・・・。
⑤好きなこと、やりたいこと、というのを考えた時、それが「供給サイド」を見て、発するものだというのがわかるでしょうか?あなた自身から、「需要サイド」から湧きあがっているんでしょうかね?「○○をやりたい!」は所詮、選ぶものでしかない。
⑥そこで、「内発的動機」などというものが、大嘘だということに気づけばまだいい。でも、多くの「やりたいことをやる」人は自分の抱えている矛盾に気づかずに、社会に参加できなくなっているように見えます。
⑦リクナビに陳列された企業から、「やりたいこと」を探し、それがあたかも自分の内側から発したものだと思い込む。それって痛くないですかね?
⑧とある、「やりたいことを仕事にする」論者で、累計百万部売っているような人が「マルチの神様」だったり、「これからは夫婦ともに働かない生活がいいよな。本が稼いでくれる」と言っているのを聞いて、けっこうシュールに感じました。
⑨企業の外に出たとして、結局、企業のシステムに依存してお仕事をもらう道が、社会貢献だと思いますよ。自分でお客さんを集めて、自分の教えを広めて、食っている人は、たいていは本音と建て前の使い分けがお上手です。ある意味、宗教の世界ですね。必要とされる気休めを生産しているだけです。
⑩お金と商品、サービスの交換が起こっている限りは、社会に必要とされることをやっているわけですが、それが、持続可能か?というのは、結局、社会に必要とされ続けるか否か?というところで。個人の教えなんて、所詮、上位数パーセントの人しか食えない強烈な争いの場所だし、宗教に勝てませんよ。
⑪たいていのことは、これまで生きてきた人が考えていて、自分が考えたことなんてちっぽけなものに過ぎないことが自覚できないのに、社会の役に立つような考えが次々と湧き出てくるんですかね?
⑫先人の知恵を学ぶ意味は、自分も大きな流れの中にあるに過ぎないし、でも、その大きな流れの中に確実にいることに気づくことじゃないですかね。所詮、たいしたことはないけど、それでも、連綿と続いてきた流れとのつながりの中にある。それが社会に出ることで、確認されるし、後に繋げていける。
⑬大学で出会う人間の数と、ある程度の規模の企業に入って出会う人間の数なんて、比較にならないですよ。同じ傘の下にこうも多くの人がいて、こんなにつながっていて、そして、社会に求められる物事を生産し続けていることに気づく。そうすると、社会人は薄っぺらかった学生時代など忘れてしまいます。
⑭その企業のつながりから完全に外れているように見える人たちが言う「社会」って何なんですかね?
⑮ネットの発達で、個人が企業から外れても食える時代にはなりましたが、大きな組織がなしていることに比べれば、小さい小さい。本当は社会の役に立ちたかったんじゃないんですか?
⑯自己啓発難民の行く末はせいぜい、「食えるノマド」ぐらいなもんですよ。やりたいこととか、社会の役に立つとか、そういうことを求めていたはずなのに、一番役に立たなさそうなところに立っていませんか?と問いたいわけですね。
もう、言い尽くしている感がありますが、少しだけ解説します。
やりたいことをやるんだ!と言って、実際にそれをできる人は少数です。もとい、カネの持続性と両立する人は少ないのです。
たいていの人は、企業に属さないと生きていけません。貧しくなるだけです。
企業の外に出て生きることができたとして、それは既存の企業システムにのっかっているだけです。広告系など、ヒエラルキーが確立している業界は、中小企業への所属とフリーの境目が少し曖昧だと思いますけど。
で、自己啓発ビジネスに手を染めている人が、やりたいことを煽り、さして能力のない人の背中を押して、独立させちゃったりします。
それ、ほぼ犯罪です・・・。
やりたいことをやるんだ!と社会の役に立つんだ!を言い放つ人の属性はすごく似ています。ひどい言い方をすれば、自分が社会から見て無能だということに気づいていないという属性だと私は思います。
そういうことに対する説教はやまとあったのですが、今は、そういう若者を意欲がある!と評価する建て前に変化しているので、また事情は複雑になっています。彼らに彼らの間違いを説くロジックより、意欲を評価するロジックが先に立つのです。これも、公教育にキャリア教育が入り込んだ罪だと思っていますけど。
今、更にひどいのは、昔は独立を煽るような文句だったのが、就活の志望動機などにこの理屈が応用されていて、自分はこれがやりたいんです!と目をキラキラさせて語る手法を、さも企業が求めているかのように語る就活指導者みたいな人がいることです。
これは大嘘なのですが、信じてしまうと、人生終わりますね。そんな胡散臭いやりたいことなんて企業側は求めていませんからね・・・。
そもそも、社会は希少な資源を配分している。資源を使って、生産したものやサービスをみんなで分け合っている。その分け合うモノ、サービスが低コストで最大になるように、自由なマーケットが選択されている。中学校三年生で習うこの原則すら知らない人が、意欲に満ちて薄っぺらい「やりたいこと」を語ります。
大人の義務としては、そういった人を正しい道に諭すことではありますが、今の大人は自分のことで精いっぱいなので、無視するか、表面上良くしてあげるか、ひどい場合にはこういう子供からカネをとって自己啓発の道に進ませるぐらいしかできないでしょうね・・・。
このひどい状況に対して、私ができることは、情報を発信することと、目の前に来た人に、「君は無能だよ」と言ってあげることぐらいです。そして、やりたいことがどうと言うより、どこに入れるか?を考えてみたら?とか言ったりします。なかなかせつないことではありますが・・・。
だんだん、気が滅入ってきましたが、こういうことです。では、また次回をお楽しみに。
①好きなことをやればいいんだよ!で生き残った人と、そうでない人がいます。で、それはもうずっとずっと繰り返しで、手を変え品を変え日本に出現している現象で・・・。
②そういう、「好きなことをやろう」を勧める人が、カネにケチだったりするのを不思議に思わないのだろうか?極論、カネがないんだよ。
③カネは社会の役に立っている人のところに集まります。なぜなら、社会で人に必要とされることをやることの対価がカネだから。ただ、その対価を集団でやって独り占めするNPO理事などもいることは確かです。当然、そういうブラック企業社長もいます。
④社会は全体で生産活動をしているので、その歯車としてみんなの役に立っているヒトのところにカネが集まります。そのシステムから外れて、システムの恩恵にフリーライドするヒトもいますが、そういう人は信用されません・・・。
⑤好きなこと、やりたいこと、というのを考えた時、それが「供給サイド」を見て、発するものだというのがわかるでしょうか?あなた自身から、「需要サイド」から湧きあがっているんでしょうかね?「○○をやりたい!」は所詮、選ぶものでしかない。
⑥そこで、「内発的動機」などというものが、大嘘だということに気づけばまだいい。でも、多くの「やりたいことをやる」人は自分の抱えている矛盾に気づかずに、社会に参加できなくなっているように見えます。
⑦リクナビに陳列された企業から、「やりたいこと」を探し、それがあたかも自分の内側から発したものだと思い込む。それって痛くないですかね?
⑧とある、「やりたいことを仕事にする」論者で、累計百万部売っているような人が「マルチの神様」だったり、「これからは夫婦ともに働かない生活がいいよな。本が稼いでくれる」と言っているのを聞いて、けっこうシュールに感じました。
⑨企業の外に出たとして、結局、企業のシステムに依存してお仕事をもらう道が、社会貢献だと思いますよ。自分でお客さんを集めて、自分の教えを広めて、食っている人は、たいていは本音と建て前の使い分けがお上手です。ある意味、宗教の世界ですね。必要とされる気休めを生産しているだけです。
⑩お金と商品、サービスの交換が起こっている限りは、社会に必要とされることをやっているわけですが、それが、持続可能か?というのは、結局、社会に必要とされ続けるか否か?というところで。個人の教えなんて、所詮、上位数パーセントの人しか食えない強烈な争いの場所だし、宗教に勝てませんよ。
⑪たいていのことは、これまで生きてきた人が考えていて、自分が考えたことなんてちっぽけなものに過ぎないことが自覚できないのに、社会の役に立つような考えが次々と湧き出てくるんですかね?
⑫先人の知恵を学ぶ意味は、自分も大きな流れの中にあるに過ぎないし、でも、その大きな流れの中に確実にいることに気づくことじゃないですかね。所詮、たいしたことはないけど、それでも、連綿と続いてきた流れとのつながりの中にある。それが社会に出ることで、確認されるし、後に繋げていける。
⑬大学で出会う人間の数と、ある程度の規模の企業に入って出会う人間の数なんて、比較にならないですよ。同じ傘の下にこうも多くの人がいて、こんなにつながっていて、そして、社会に求められる物事を生産し続けていることに気づく。そうすると、社会人は薄っぺらかった学生時代など忘れてしまいます。
⑭その企業のつながりから完全に外れているように見える人たちが言う「社会」って何なんですかね?
⑮ネットの発達で、個人が企業から外れても食える時代にはなりましたが、大きな組織がなしていることに比べれば、小さい小さい。本当は社会の役に立ちたかったんじゃないんですか?
⑯自己啓発難民の行く末はせいぜい、「食えるノマド」ぐらいなもんですよ。やりたいこととか、社会の役に立つとか、そういうことを求めていたはずなのに、一番役に立たなさそうなところに立っていませんか?と問いたいわけですね。
もう、言い尽くしている感がありますが、少しだけ解説します。
やりたいことをやるんだ!と言って、実際にそれをできる人は少数です。もとい、カネの持続性と両立する人は少ないのです。
たいていの人は、企業に属さないと生きていけません。貧しくなるだけです。
企業の外に出て生きることができたとして、それは既存の企業システムにのっかっているだけです。広告系など、ヒエラルキーが確立している業界は、中小企業への所属とフリーの境目が少し曖昧だと思いますけど。
で、自己啓発ビジネスに手を染めている人が、やりたいことを煽り、さして能力のない人の背中を押して、独立させちゃったりします。
それ、ほぼ犯罪です・・・。
やりたいことをやるんだ!と社会の役に立つんだ!を言い放つ人の属性はすごく似ています。ひどい言い方をすれば、自分が社会から見て無能だということに気づいていないという属性だと私は思います。
そういうことに対する説教はやまとあったのですが、今は、そういう若者を意欲がある!と評価する建て前に変化しているので、また事情は複雑になっています。彼らに彼らの間違いを説くロジックより、意欲を評価するロジックが先に立つのです。これも、公教育にキャリア教育が入り込んだ罪だと思っていますけど。
今、更にひどいのは、昔は独立を煽るような文句だったのが、就活の志望動機などにこの理屈が応用されていて、自分はこれがやりたいんです!と目をキラキラさせて語る手法を、さも企業が求めているかのように語る就活指導者みたいな人がいることです。
これは大嘘なのですが、信じてしまうと、人生終わりますね。そんな胡散臭いやりたいことなんて企業側は求めていませんからね・・・。
そもそも、社会は希少な資源を配分している。資源を使って、生産したものやサービスをみんなで分け合っている。その分け合うモノ、サービスが低コストで最大になるように、自由なマーケットが選択されている。中学校三年生で習うこの原則すら知らない人が、意欲に満ちて薄っぺらい「やりたいこと」を語ります。
大人の義務としては、そういった人を正しい道に諭すことではありますが、今の大人は自分のことで精いっぱいなので、無視するか、表面上良くしてあげるか、ひどい場合にはこういう子供からカネをとって自己啓発の道に進ませるぐらいしかできないでしょうね・・・。
このひどい状況に対して、私ができることは、情報を発信することと、目の前に来た人に、「君は無能だよ」と言ってあげることぐらいです。そして、やりたいことがどうと言うより、どこに入れるか?を考えてみたら?とか言ったりします。なかなかせつないことではありますが・・・。
だんだん、気が滅入ってきましたが、こういうことです。では、また次回をお楽しみに。
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