こんばんは。伊藤です。
年末ですね。寒くなければ年末も大好きなのですが、いかんせん、東京は寒い。早くリタイヤして南の島で暮らしたいです。
さて、今日は形式と意味についてです。
人間にとって意味とは何か?と言えば、自分の生存にとっての意味が意味の根源なわけです。
意味を究極まで剥奪していくと、形式になっていくわけです。
例えばね、数字だけのポエムみたいなものを書いている学者さんがいます。音とリズムだけから、人間の発話の根本に迫りたいという試みの1つなわけです。
でも、このアプローチで人間の発話の根本に迫れるか?と言えば迫れないと思うわけです。
意味が剥奪されているからですね。
こういった究極まで発話を形式化した研究が、知見をもたらさないかと言えば、もたらすとは思いますよ。ただ、それはメインストリームの人間にとっての意味の研究があった上で、形式の研究があるから、有用な知見が得られる面があるわけですよね。
経営において、事実の意味とは、自社が将来、持続的競争優位を得られるか?に対しての意味なわけですよね。
これを形式化して、フレームワークにすることはできるし、誰でも枠を埋めればできた気になることは可能ではありますが、それで戦略立案ができるかと言えば、できない。
枠を埋めただけでは意味がないわけですね。
その意味というものが、経営において読めるか?というのが、戦略立案では大事なわけです。
といったことを、戦略立案に悩む人に伝えると、立ち上がれるのですが、悩んだことがない人に伝えても、はにゃあ、という感じですね。まあ、そんなもんです。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
年末ですね。寒くなければ年末も大好きなのですが、いかんせん、東京は寒い。早くリタイヤして南の島で暮らしたいです。
さて、今日は形式と意味についてです。
人間にとって意味とは何か?と言えば、自分の生存にとっての意味が意味の根源なわけです。
意味を究極まで剥奪していくと、形式になっていくわけです。
例えばね、数字だけのポエムみたいなものを書いている学者さんがいます。音とリズムだけから、人間の発話の根本に迫りたいという試みの1つなわけです。
でも、このアプローチで人間の発話の根本に迫れるか?と言えば迫れないと思うわけです。
意味が剥奪されているからですね。
こういった究極まで発話を形式化した研究が、知見をもたらさないかと言えば、もたらすとは思いますよ。ただ、それはメインストリームの人間にとっての意味の研究があった上で、形式の研究があるから、有用な知見が得られる面があるわけですよね。
経営において、事実の意味とは、自社が将来、持続的競争優位を得られるか?に対しての意味なわけですよね。
これを形式化して、フレームワークにすることはできるし、誰でも枠を埋めればできた気になることは可能ではありますが、それで戦略立案ができるかと言えば、できない。
枠を埋めただけでは意味がないわけですね。
その意味というものが、経営において読めるか?というのが、戦略立案では大事なわけです。
といったことを、戦略立案に悩む人に伝えると、立ち上がれるのですが、悩んだことがない人に伝えても、はにゃあ、という感じですね。まあ、そんなもんです。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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