封建社会が崩れ、都市部に農民が移動する。これは都市に工場ができるからです。
その都市に形成される社会を市民社会というわけですが、これは資本主義社会にほかなりません。
空想的に自立した市民の共同体としての社会という考え方もあるわけですが、実態としては資本家が資本、大規模生産設備の所有を背景として、労働者を搾取する構造だ!とマルクスは指摘したわけです。
でもまあ、みんなで何かしらのことをする時には、誰かが指示をして、誰かが命令を聞いて動かなければなりません。これ以外の組織というのは、試してみればわかりますが、本当にうまくいきません。
全ての労働者よ団結せよ!とマルクスは煽り、労働者が言うことを聞かないという困った状態を創り出しました。平等という概念から考えれば、まっとうな抵抗の仕方ですが、これだと物事が動きません。
で、マルクスは労働者管理企業を作ろうとしたのですが、歴史的に労働者管理企業は資本が毀損してしまうので、うまくいかないことがわかっています。
生協のように、顧客の組合が力を持つ形はうまくいくことがあります。
要は、外部にパワーを持つ発言者がいないことには、組織的な行動はうまく行かないということですね・・・。つまり、人は聖人君子ではなく、監視されないと真面目にやらない・・・。
これを前提にガバナンスという考え方があるわけですね。
国家のガバナンスでは、欧米というのは徹底して人間を信用しないシステムを組んでいます。個人に権力を与えたら腐敗するに決まっているから、腐敗しないような工夫がある。
ただ、最近のニーアルファーガソンの「劣化国家」による指摘は法律家が国民国家を食い物にしているということを指摘しているわけです。日本だと官僚機構が3権分立の建て前とは別のシステムをくみ上げてしまっていることが問題でしょう。
日本人は運用でなんとかするのは得意ですが、裏返せば設計の不備をついて、運用でいかようにでも好きにすることをしてしまうわけです。
それでね、日本企業の大きなところでも、けっこうジョブディスクリプションがいい加減な面があって、現場の裁量がある程度大きかったりするわけです。本当は株主がパワーを発揮して企業を監視すべきなのですが、持ち合いや買収防衛策などによって、監視されない仕組みをくみ上げてしまっている。
ただ、内部の労働者の相互監視の仕組みが機能するならまだましです。
では、ブラック企業の場合はどうなるか?
ここでね、企業というのは、指示命令関係によって成り立つことを思い出しましょう。オーナー社長の権力は圧倒的です。そして、ジョブディスクリプションはけっこうアバウトです。
そうすると、オーナー社長の命令をただ聞く人になってしまうことがあります。それはそれで企業という仕組みはそのためのものなのですが、それはあくまで企業が目的とする利益を上げるためなら許される。
ここで、セクハラやパワハラの問題が起こってくる。
それと、従業員の側が、「遣り甲斐」という概念を自ら作り出して、それで自分を縛ってしまうので、経営者の命令に従うのは、遣り甲斐があるからだというロジックを成立させてしまう。
これは危険です。企業と従業員の契約では、従業員が命令に従うのは、お金を貰えるからです。
もうわかりますね。「お金がもらえなくてもやりたいことをやっているのだから働け!」というロジックが成立するわけです。これは巧妙な奴隷制を成立させます。
「君はお金がもらえなくても今の仕事をしたいか?」と経営側が従業員に言うのは、明らかにおかしいわけです。
お金がしっかり投入した時間分貰えて、それが自分の命を削らない前提ならば、「やりたいことが望ましい」のはわかります。ただ、前提条件が危険にさらされるのは大きな問題なわけです。
上場していない企業に監視の目は働かないことが多く、オーナー社長は圧倒的権力を持っているわけです。労働者間の相互監視によって、経営者の暴走を防ぐような仕組みは期待できない。経営者とは、従業員に命令できる人なわけです。
従業員が身を守る方法としては、遣り甲斐というよくわからない概念ではなく、前提条件としての労働条件がしっかり守られるのか?といったところでしょうね。
といった当たり前のことを語る人が少ない気がしています。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
その都市に形成される社会を市民社会というわけですが、これは資本主義社会にほかなりません。
空想的に自立した市民の共同体としての社会という考え方もあるわけですが、実態としては資本家が資本、大規模生産設備の所有を背景として、労働者を搾取する構造だ!とマルクスは指摘したわけです。
でもまあ、みんなで何かしらのことをする時には、誰かが指示をして、誰かが命令を聞いて動かなければなりません。これ以外の組織というのは、試してみればわかりますが、本当にうまくいきません。
全ての労働者よ団結せよ!とマルクスは煽り、労働者が言うことを聞かないという困った状態を創り出しました。平等という概念から考えれば、まっとうな抵抗の仕方ですが、これだと物事が動きません。
で、マルクスは労働者管理企業を作ろうとしたのですが、歴史的に労働者管理企業は資本が毀損してしまうので、うまくいかないことがわかっています。
生協のように、顧客の組合が力を持つ形はうまくいくことがあります。
要は、外部にパワーを持つ発言者がいないことには、組織的な行動はうまく行かないということですね・・・。つまり、人は聖人君子ではなく、監視されないと真面目にやらない・・・。
これを前提にガバナンスという考え方があるわけですね。
国家のガバナンスでは、欧米というのは徹底して人間を信用しないシステムを組んでいます。個人に権力を与えたら腐敗するに決まっているから、腐敗しないような工夫がある。
ただ、最近のニーアルファーガソンの「劣化国家」による指摘は法律家が国民国家を食い物にしているということを指摘しているわけです。日本だと官僚機構が3権分立の建て前とは別のシステムをくみ上げてしまっていることが問題でしょう。
日本人は運用でなんとかするのは得意ですが、裏返せば設計の不備をついて、運用でいかようにでも好きにすることをしてしまうわけです。
それでね、日本企業の大きなところでも、けっこうジョブディスクリプションがいい加減な面があって、現場の裁量がある程度大きかったりするわけです。本当は株主がパワーを発揮して企業を監視すべきなのですが、持ち合いや買収防衛策などによって、監視されない仕組みをくみ上げてしまっている。
ただ、内部の労働者の相互監視の仕組みが機能するならまだましです。
では、ブラック企業の場合はどうなるか?
ここでね、企業というのは、指示命令関係によって成り立つことを思い出しましょう。オーナー社長の権力は圧倒的です。そして、ジョブディスクリプションはけっこうアバウトです。
そうすると、オーナー社長の命令をただ聞く人になってしまうことがあります。それはそれで企業という仕組みはそのためのものなのですが、それはあくまで企業が目的とする利益を上げるためなら許される。
ここで、セクハラやパワハラの問題が起こってくる。
それと、従業員の側が、「遣り甲斐」という概念を自ら作り出して、それで自分を縛ってしまうので、経営者の命令に従うのは、遣り甲斐があるからだというロジックを成立させてしまう。
これは危険です。企業と従業員の契約では、従業員が命令に従うのは、お金を貰えるからです。
もうわかりますね。「お金がもらえなくてもやりたいことをやっているのだから働け!」というロジックが成立するわけです。これは巧妙な奴隷制を成立させます。
「君はお金がもらえなくても今の仕事をしたいか?」と経営側が従業員に言うのは、明らかにおかしいわけです。
お金がしっかり投入した時間分貰えて、それが自分の命を削らない前提ならば、「やりたいことが望ましい」のはわかります。ただ、前提条件が危険にさらされるのは大きな問題なわけです。
上場していない企業に監視の目は働かないことが多く、オーナー社長は圧倒的権力を持っているわけです。労働者間の相互監視によって、経営者の暴走を防ぐような仕組みは期待できない。経営者とは、従業員に命令できる人なわけです。
従業員が身を守る方法としては、遣り甲斐というよくわからない概念ではなく、前提条件としての労働条件がしっかり守られるのか?といったところでしょうね。
といった当たり前のことを語る人が少ない気がしています。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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