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インサイト100シンキングメソッド
> 高校二年生の発言はフーコー的には少し意味があるかな、と・・・。
メルマガにも書いたんですけど、フーコーは新自由主義に対しても、国家の統治テクノロジーでしょうよというようなお話をしています。

ミシェル・フーコー講義集成〈8〉生政治の誕生 (コレージュ・ド・フランス講義1978-79)ミシェル・フーコー講義集成〈8〉生政治の誕生 (コレージュ・ド・フランス講義1978-79)
(2008/08)
ミシェル フーコー

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5000円オーバーですので、買う必要もないです。

フーコーは性と国家について書こうとして書けなくて、沈黙していました。その時期の講義録の1冊です。高いですが、フーコーがとっつきやすい言葉で語っているのは、このセレクションだと思います。

それでね、晩年のフーコーの関心の1つが国家でした。最晩年の講義はギリシア哲学とか言語、論理とかそっちに行っちゃってますけど、この78-79年の講義は国家とは?国民をどう統治するのか?といったことを問題にしています。

政治的主体としての国民、経済的主体としての国民、市民社会の構成員としての国民。

主権とは何かとか、新自由主義とか、市民社会論とかのバックグラウンドに関する知識は必要だとは思いますが、読んでいて興味深いです。

ドイツ、イギリス、アメリカなどの自由主義の歴史についても語っています。

ただ、ドイツの自由主義とか、全く知らない思想家とか出てくるんで、そのあたりは深く突っ込まずに読みましたけど・・・。

でね、先日、ツイッターで流れてきたつぶやきをハイエクから考えてもありえんのですが、フーコー的に考えてもありえんよなあ、というようなことをつぶやいたら、不思議な反応があって、フーコーについてちょこっと書きます。

つぶやきは、↓ですね。

テレビで竹中平蔵が「経済活動が世界一自由にやりやすい特区をつくる。総理が主導してやるんです。」というのをきいていた高二の息子が、「この人経済の基本を勉強しているのかな。『総理が主導』するような特区で経済活動が『自由』になるっていうのは矛盾だよね」とつぶやきました。

これね、ハイエクがノーベル賞を取った後、なんで国家と法と立法とか研究していたのかとか、英米法と大陸法と経済成長の関係の相関を取るような研究とか、そういう話を全く無視していて、この高校2年生がいう「経済の基本」て何だろう?と思ったりするわけですが、それは置いておきましょう。

ただね、国家が用意する自由という話はフーコーがまさに上記の講義で指摘しているような問題なわけですよ・・・。

自由主義とか、そういう考えって、国家の統治のテクノロジーじゃないの?という指摘をフーコーは上記の本でしているわけです。各国の自由主義の歴史を見ながら、自由主義って本当に自由なんかな?と問うているわけです。

自分が自由だと思い込んでいる国民が、実は国家に自由だと思い込まされているとすれば、それはうまい統治ですよね?

市民社会というのは、日本的には左翼の色合いが濃い言葉ですが、基本的には資本主義社会です。農村の共同体から逃げ出してきて、都市に出てきた人たちが作り出した、労働者社会。バラバラの個人の社会です。

そのバラバラの個人は法律がなければ秩序付けられない。その秩序を用意するのは法律です。

また、企業にいい意味でのインセンティブが働くように、市場を国家が設計するように、市民社会も個人を企業体のように見なして国家が設計したものの上を、インセンティブにしたがって活動していただくものです。

国家は細かいところまでは設計できないし、そういう面では無能なわけですが、企業体をインセンティブで動かすといったことはやっている。

このインセンティブに反応する企業体のような扱いを受ける人々は自由なのでしょうか?

今の国民国家体制はいろいろと矛盾ははらんでいます。フーコーの著作から国民国家の矛盾みたいなことに関する記述はうまく探せていませんけどね。

ただね、この今のシステムの上で、インセンティブに誘引されて動いている人たちは、国家システムを前提として、むしろそのシステムを固定化する方向にありますよ。

それを純朴に自由と信じるのはめでたいのではないか?と。

フーコーのフランス革命に関する記述も確認できていませんが、アレント的にフランス革命もロシア革命も失敗だと断じる意味での「自由」というもんを自由と規定するなら、新自由主義の自由は全く自由ではないです・・・。

でも、だからどうするの?という答えをフーコーの著作からは私は探せてはいません。

ただ、自由なマーケットは既存の体制下では、国民のメリットになると言えばなるので、竹中氏が言う総理が主導する自由な特区も、悪いとは思いませんけどね。

こっちの指摘という意味では、つぶやきにある高校二年生は少しはいいことを言っていると思います。ただ、経済は国家の暴力、統治システムなしには成立しえないということがわかっていないのは痛々しいですし、それを書いているお父さんはもう一回りぐらい痛々しいですね・・・。

で、最近、経営のネタが少ないぞ!とお怒りになる人もいるかもしれないので、経営に寄せて書くと、マネジメント的に使える面があるわけです。

「従業員が自由か?」という問題として捉えればいいわけです。

従業員の自発性を引き出すには、彼らに彼らは自由で、好きで企業に協力していると思ってもらわないといけない。この考え方でマネジメントを捉えると、いろいろ見えてくると思うんですよね。

権限を委譲するとか、ビジョンを共有するとか。

こういったマネジメント上の話を、フーコーの指摘と合わせると、見えてきますよね・・・。

というようなことはまたメルマガでも書いて行こうと思います。長くなってきたので、このあたりで。次回をお楽しみに。
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2014.05.06(17:12)|シンキングメソッドコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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