おはようございます。伊藤です。
今日は首都大学に来ています。
今期はファイナンスをテーマにして授業をやっていて、
バランスシートの基本から学生に教えています・・・。
私の鉄板ネタは財務レバレッジです。
純資産と総資産の説明を、ヌーブラでやります。
純資産が自前の胸で、総資産が底上げされた胸の大きさだ!
と言うと学生はウケてくれます。そして、覚えてくれます。
朝から失礼しました・・・。ごめんなさい。
でもまあ、自己資本、純資産が自前で、負債が他人資本と考えるとわかりやすいですよね?あ、しつこいですか・・・。ごめんなさい。
さて、それでね、首都大はもう4年目なんですが、
学生は本当に文章が書けないですね。
卒論をウィキペディアのコピペで済ませる学生もいる。青い線が残ったまま出す学生もいる。そりゃあ、書けない。
これはね、圧倒的に考えた量の問題です。
でね、考えるネタとして、いろいろと本は紹介しています。
その紹介する本の1つにフランシス・フクヤマの『政治の起源』があります。
これはグローバルなマーケティングとかをやるのであれば、すごく大事な本になります。
結局ね、地域ごとの慣習をベースにしてしか、国家は成立しない。どんなに西欧の近代的な国家システムを導入しても、西欧と同じにはならない。
その際に西欧と同じにするために重要な概念はアカウンタビリティだとフクヤマは主張します。
アカウンタビリティというのは、ビジネスマンには分かる概念だと思います。資料を作る時に、理由のない要素は入れてはいけないとか言われますでしょうか?
私は新卒の頃に、チャートをひたすら作らされましたが、全ての説明要素は合理的意味がなければならないと教わりました。そして、自分の社内での行動も、全て合理的に説明できなくてはならない。
この他人に合理的に説明できるという概念をアカウンタビリティと言います。自分の行動がアカウンタブル、説明可能でなくてはならないということですね。
近代国家で、行政機構がやることは合理的に国民、納税者、債権者に説明できなくてはならないわけです。
政治家は立法を握っているはずですが、政治家の行動は立法の観点から見て、説明できないといけない。
裁判所も同様ですね。
これが近代国家の要件で、これがないと国家として持続できない。具体的にどうなるかと言えば、汚職が横行し、秩序が乱れます。賄賂ばっかりもらっている官僚の言うことを聞くか?と言えば聞かないですよね。税も払わなくなります。
税が徴収できず、秩序も維持できない国家に価値があるかと言えば、ない・・・。
日本は奇跡的に人々の間で秩序形成がなんとなく行われるシステムの中にあるので、ピンと来ないかもしれませんが、普通は人々の間で秩序形成は行われず、内乱状態になります。
自然状態というのは、万人の万人に対する闘争までは行きませんが、万部族の万部族間の闘争なんですね。これは、アフリカや中東を見ればわかりやすいと思います。
それでね、企業でも、このアカウンタビリティが大事で、アカウンタビリティがないと、うまくいきません。
日本でこういうことを言うと、経営陣の従業員に対する説明責任をイメージしますが、違いますよね。
経営者の株主に対するアカウンタビリティであり、従業員の経営陣に対するアカウンタビリティなわけです。
債権者、義務を負うている人に対して、ちゃんと自分の行動を説明しないといけない。
米国ではエージェント問題はすごく大事ですが、日本人には今一つピンときません。日本はどちらかというと株主の財産権を経営陣が毀損する形で企業の存続可能性を高めています。
内部留保がじゃぶじゃぶなのは、企業の存続にとっては意味がありますが、株主の財産権に対する収益の配当義務という点からはおかしいわけですよね。でも、正社員で終身雇用を信じている人にとっては都合がいいわけです。
ただ、正社員にそもそもなれる人の比率が減少してきています。
総務省の発表によると、非正規比率は2012年で38.2%。若い人では半分近くが非正規です・・・。
正社員で終身雇用を信じる人々にとっては都合がいいんですが、
非正規でしか働けない人には都合が悪いですね・・・。非正規の人々がやけになって犯罪に走らないといいのですが・・・。
ただ、日本人は空気で秩序を維持する伝統技能があるので、これが機能しているうちは大丈夫でしょう。
若者を見ている限り、失われてきているようにも感じますが・・・。
話を元に戻すと、企業でもアカウンタビリティが大事だ、と。
経営陣が株主に対して説明できる合理的な行動を取り続けることが大事だし、
従業員が経営陣に対して、説明できる合理的な行動を取り続けることが大事です。
部下は上司に対してアカウンタビリティを持つわけです。上司の指示に対して忠実に合理的に行動しないといけないわけです。当然、上司にはちゃんとした指示を出す義務がありますが・・・。
でね、これはつまるところなぜか?というところを考えてみると、答えは1つだと思います。
人間は監視する人がいて、その監視者に対してちゃんと合理的に報告することを意識していないと、真面目にやらないということです。自分を律する能力が高い人でも、やっぱり誰かに報告しないと怠けますよね・・・。
そして、すぐに非合理的な方向に行く。
動機がピュアであれば報われるとかね・・・。
人間はそもそもそういうもんです。
だから、合理的に説明できるようにと心がけることが、結局は成果を出し続ける時に大事です。
信仰は信仰で、人が生きる上で大事なのですが、
企業での行動、国家の行動など、他人への責任が伴うものは、できるだけ合理的にやる。
この人間の行動にタガをはめるのがアカウンタビリティですね。
長く書きすぎました。ごめんなさい。
それでは、今日はこのたりで。次回をお楽しみに。
今日は首都大学に来ています。
今期はファイナンスをテーマにして授業をやっていて、
バランスシートの基本から学生に教えています・・・。
私の鉄板ネタは財務レバレッジです。
純資産と総資産の説明を、ヌーブラでやります。
純資産が自前の胸で、総資産が底上げされた胸の大きさだ!
と言うと学生はウケてくれます。そして、覚えてくれます。
朝から失礼しました・・・。ごめんなさい。
でもまあ、自己資本、純資産が自前で、負債が他人資本と考えるとわかりやすいですよね?あ、しつこいですか・・・。ごめんなさい。
さて、それでね、首都大はもう4年目なんですが、
学生は本当に文章が書けないですね。
卒論をウィキペディアのコピペで済ませる学生もいる。青い線が残ったまま出す学生もいる。そりゃあ、書けない。
これはね、圧倒的に考えた量の問題です。
でね、考えるネタとして、いろいろと本は紹介しています。
その紹介する本の1つにフランシス・フクヤマの『政治の起源』があります。
![]() | 政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで (2013/11/06) フランシス・フクヤマ 商品詳細を見る |
これはグローバルなマーケティングとかをやるのであれば、すごく大事な本になります。
結局ね、地域ごとの慣習をベースにしてしか、国家は成立しない。どんなに西欧の近代的な国家システムを導入しても、西欧と同じにはならない。
その際に西欧と同じにするために重要な概念はアカウンタビリティだとフクヤマは主張します。
アカウンタビリティというのは、ビジネスマンには分かる概念だと思います。資料を作る時に、理由のない要素は入れてはいけないとか言われますでしょうか?
私は新卒の頃に、チャートをひたすら作らされましたが、全ての説明要素は合理的意味がなければならないと教わりました。そして、自分の社内での行動も、全て合理的に説明できなくてはならない。
この他人に合理的に説明できるという概念をアカウンタビリティと言います。自分の行動がアカウンタブル、説明可能でなくてはならないということですね。
近代国家で、行政機構がやることは合理的に国民、納税者、債権者に説明できなくてはならないわけです。
政治家は立法を握っているはずですが、政治家の行動は立法の観点から見て、説明できないといけない。
裁判所も同様ですね。
これが近代国家の要件で、これがないと国家として持続できない。具体的にどうなるかと言えば、汚職が横行し、秩序が乱れます。賄賂ばっかりもらっている官僚の言うことを聞くか?と言えば聞かないですよね。税も払わなくなります。
税が徴収できず、秩序も維持できない国家に価値があるかと言えば、ない・・・。
日本は奇跡的に人々の間で秩序形成がなんとなく行われるシステムの中にあるので、ピンと来ないかもしれませんが、普通は人々の間で秩序形成は行われず、内乱状態になります。
自然状態というのは、万人の万人に対する闘争までは行きませんが、万部族の万部族間の闘争なんですね。これは、アフリカや中東を見ればわかりやすいと思います。
それでね、企業でも、このアカウンタビリティが大事で、アカウンタビリティがないと、うまくいきません。
日本でこういうことを言うと、経営陣の従業員に対する説明責任をイメージしますが、違いますよね。
経営者の株主に対するアカウンタビリティであり、従業員の経営陣に対するアカウンタビリティなわけです。
債権者、義務を負うている人に対して、ちゃんと自分の行動を説明しないといけない。
米国ではエージェント問題はすごく大事ですが、日本人には今一つピンときません。日本はどちらかというと株主の財産権を経営陣が毀損する形で企業の存続可能性を高めています。
内部留保がじゃぶじゃぶなのは、企業の存続にとっては意味がありますが、株主の財産権に対する収益の配当義務という点からはおかしいわけですよね。でも、正社員で終身雇用を信じている人にとっては都合がいいわけです。
ただ、正社員にそもそもなれる人の比率が減少してきています。
総務省の発表によると、非正規比率は2012年で38.2%。若い人では半分近くが非正規です・・・。
正社員で終身雇用を信じる人々にとっては都合がいいんですが、
非正規でしか働けない人には都合が悪いですね・・・。非正規の人々がやけになって犯罪に走らないといいのですが・・・。
ただ、日本人は空気で秩序を維持する伝統技能があるので、これが機能しているうちは大丈夫でしょう。
若者を見ている限り、失われてきているようにも感じますが・・・。
話を元に戻すと、企業でもアカウンタビリティが大事だ、と。
経営陣が株主に対して説明できる合理的な行動を取り続けることが大事だし、
従業員が経営陣に対して、説明できる合理的な行動を取り続けることが大事です。
部下は上司に対してアカウンタビリティを持つわけです。上司の指示に対して忠実に合理的に行動しないといけないわけです。当然、上司にはちゃんとした指示を出す義務がありますが・・・。
でね、これはつまるところなぜか?というところを考えてみると、答えは1つだと思います。
人間は監視する人がいて、その監視者に対してちゃんと合理的に報告することを意識していないと、真面目にやらないということです。自分を律する能力が高い人でも、やっぱり誰かに報告しないと怠けますよね・・・。
そして、すぐに非合理的な方向に行く。
動機がピュアであれば報われるとかね・・・。
人間はそもそもそういうもんです。
だから、合理的に説明できるようにと心がけることが、結局は成果を出し続ける時に大事です。
信仰は信仰で、人が生きる上で大事なのですが、
企業での行動、国家の行動など、他人への責任が伴うものは、できるだけ合理的にやる。
この人間の行動にタガをはめるのがアカウンタビリティですね。
長く書きすぎました。ごめんなさい。
それでは、今日はこのたりで。次回をお楽しみに。
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