今日はハメルとプラハードのコア・コンピタンスについてのありがちな誤解と正しい理解を書いていこうと思います。
まず、コア・コンピタンスというのは、1970年代から80年代の日本企業の躍進を研究して作られた概念です。ベンチマークはNEC、富士通、松下、東芝、ソニー、セイコー、エプソン、キヤノン、コマツ、ホンダなどですね。これらの日本企業に学ぶべし!と研究して作られた概念です。
当然、米国企業との比較の中で語られて、米国企業はダメで、日本企業は素晴らしいという文脈で主張されています。
その中で、日本企業はコア・コンピタンスを中心に多角化、グローバル化を成し遂げていて米国企業はそれを見習うべきだ!という主張になります。
では、コア・コンピタンスとは何でしょう。
ハメルとプラハードが言ったコア・コンピタンスとは多角化の核になる技術要素です。
どうでしょう、この触りの部分だけ読んでみても自分が理解しているコア・コンピタンスとだいぶ違うと思いませんか?
もう少しコア・コンピタンスが主張された文脈を見てみましょう。
ハメルとプラハードが批判しているのは、米国企業の事業部制組織です。
各事業部が整えられた戦略に基づいて、それぞれが独立して収益責任を負うシステムを批判しています。そしてそれと真逆の日本企業を賞賛しています。
日本企業は大方針の下で、優秀な現場が高いモチベーションを持ちつつ、自分たちのスキルを自分たちで開発していく分散的なシステムを敷いていました。よく言えば臨機応変。悪く言えば部分最適です。
コア・コンピタンスを特定し、そのコア・コンピタンスの源泉となっているコア人材を組織内で流動化し、その自律的な動きをもって多角化すべしと言っているわけです。
この時に、大方針は社員を奮い立たせるような大方針でなければなりません。有名な方針は、コマツの「キャタピラーを包囲せよ」とか、キヤノンの「打倒ゼロックス」とかですね。
これをストラテジックインテントとハメルとプラハードは呼んでいます。
これを現代に読むと奇異に感じるでしょう。
つまり、「みんなを奮い立たせるような大方針のもと、核となる人材、現場に裁量を持たせてやらせろ」と言っているわけです。現代によく言われるようになったプラットフォーム競争での競争の仕方とは真逆の考え方ですよね。
ただ、60年代、70年代当時の米国は、あまりに従業員を信用しないシステムだったので、日本のように従業員を大事にし、信用することが前提の経営が新鮮だったというのがあるでしょう。今では、米国でも人を多少は信用するシステムが敷かれています。これはハメルとプラハードの研究の成果と言えるでしょうね。
ただ、日本企業は現代に主流の中央集権、全体最適が適している産業では苦戦しています。みんなで相談して、調整して作るから、あらゆる機能を盛り込んだガラケーができてしまう。
ただ、日進月歩で少しずつ改良が進んだりする業界は、日本人の分権的システムが向いている面があるので、競争力を保持しています。原子力技術などはまさにそうでしょうね。
じゃあ、コア・コンピタンスの考え方はもはや使えないのか?というとそうでもないと思います。
踊り場に差し掛かったベンチャーなどは、大方針だけ堅持して、優秀なミドル層、まさにコア人材と思う人間に任せて新しいことをやらせてみるという段階も必要な場合があります。その試行錯誤の中で次の光明をみつけるといったことですね。
まとめると
・コア・コンピタンスは1970年代~80年代の日本企業の躍進を研究して見出された概念
・当時の米国企業事業部制の戦略をただ遂行する組織という考えを批判
・「大方針=ストラテジックインテント」を掲げ、従業員をモチベートし、コアとなる技術を担う人材に裁量を持たせて臨機応変に多角化を行っていくべきだと主張
・現在のグローバルプラットフォーム競争にはあまり合わないが、踊り場のベンチャーなどでは使えそうな考え方
となります。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
まず、コア・コンピタンスというのは、1970年代から80年代の日本企業の躍進を研究して作られた概念です。ベンチマークはNEC、富士通、松下、東芝、ソニー、セイコー、エプソン、キヤノン、コマツ、ホンダなどですね。これらの日本企業に学ぶべし!と研究して作られた概念です。
当然、米国企業との比較の中で語られて、米国企業はダメで、日本企業は素晴らしいという文脈で主張されています。
その中で、日本企業はコア・コンピタンスを中心に多角化、グローバル化を成し遂げていて米国企業はそれを見習うべきだ!という主張になります。
では、コア・コンピタンスとは何でしょう。
ハメルとプラハードが言ったコア・コンピタンスとは多角化の核になる技術要素です。
どうでしょう、この触りの部分だけ読んでみても自分が理解しているコア・コンピタンスとだいぶ違うと思いませんか?
もう少しコア・コンピタンスが主張された文脈を見てみましょう。
ハメルとプラハードが批判しているのは、米国企業の事業部制組織です。
各事業部が整えられた戦略に基づいて、それぞれが独立して収益責任を負うシステムを批判しています。そしてそれと真逆の日本企業を賞賛しています。
日本企業は大方針の下で、優秀な現場が高いモチベーションを持ちつつ、自分たちのスキルを自分たちで開発していく分散的なシステムを敷いていました。よく言えば臨機応変。悪く言えば部分最適です。
コア・コンピタンスを特定し、そのコア・コンピタンスの源泉となっているコア人材を組織内で流動化し、その自律的な動きをもって多角化すべしと言っているわけです。
この時に、大方針は社員を奮い立たせるような大方針でなければなりません。有名な方針は、コマツの「キャタピラーを包囲せよ」とか、キヤノンの「打倒ゼロックス」とかですね。
これをストラテジックインテントとハメルとプラハードは呼んでいます。
これを現代に読むと奇異に感じるでしょう。
つまり、「みんなを奮い立たせるような大方針のもと、核となる人材、現場に裁量を持たせてやらせろ」と言っているわけです。現代によく言われるようになったプラットフォーム競争での競争の仕方とは真逆の考え方ですよね。
ただ、60年代、70年代当時の米国は、あまりに従業員を信用しないシステムだったので、日本のように従業員を大事にし、信用することが前提の経営が新鮮だったというのがあるでしょう。今では、米国でも人を多少は信用するシステムが敷かれています。これはハメルとプラハードの研究の成果と言えるでしょうね。
ただ、日本企業は現代に主流の中央集権、全体最適が適している産業では苦戦しています。みんなで相談して、調整して作るから、あらゆる機能を盛り込んだガラケーができてしまう。
ただ、日進月歩で少しずつ改良が進んだりする業界は、日本人の分権的システムが向いている面があるので、競争力を保持しています。原子力技術などはまさにそうでしょうね。
じゃあ、コア・コンピタンスの考え方はもはや使えないのか?というとそうでもないと思います。
踊り場に差し掛かったベンチャーなどは、大方針だけ堅持して、優秀なミドル層、まさにコア人材と思う人間に任せて新しいことをやらせてみるという段階も必要な場合があります。その試行錯誤の中で次の光明をみつけるといったことですね。
まとめると
・コア・コンピタンスは1970年代~80年代の日本企業の躍進を研究して見出された概念
・当時の米国企業事業部制の戦略をただ遂行する組織という考えを批判
・「大方針=ストラテジックインテント」を掲げ、従業員をモチベートし、コアとなる技術を担う人材に裁量を持たせて臨機応変に多角化を行っていくべきだと主張
・現在のグローバルプラットフォーム競争にはあまり合わないが、踊り場のベンチャーなどでは使えそうな考え方
となります。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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