忙しいのですが、いろいろと書いておいた方がいいと思うので、書いておきます。
まずですが、この本の社会的な意味合いとしては、近年の若者にある「考える」というパラダイムの喪失という課題の指摘と、それに対する解決策の1つの提案、です。
前書きにあるように、そもそも考える行為自体に価値を見出していない、考える行為を認知していない時代に入ったように思いますので、それを問題点として指摘しているわけです。
それでね、具体的にどのような全体像で「ロジカルシンキング」を伝えようとしているかというと、いつも私が書いてきましたが、構文論、意味論、語用論の枠組みです。
この構文論、意味論、語用論を縦軸にとり、横軸に、「わかる」「考える」「伝える」を取る構成になっています。ボックスは9つあって、この中から恣意的に選んでいます。現在の「若い人」が課題とするところを越えるために恣意的に選択しているわけです。
そして、構文論と語用論を中心に「わかる」を解説し、語用論と意味論を中心に「考える」を説明し、意味論と語用論を中心に「伝える」を解説しています。
当然、意味論的な「わかる」も存在しますし、構文論的な「考える」「伝える」も存在します。
一般的に「わかる」を真面目に言おうとすると、意味論的なものが中心になるでしょうし、一般的に「考える」や「伝える」を扱うロジカルシンキング本には構文論的なものの扱いが中心となります。
曽布川先生がブログhttp://sobukawa-in-waseda.blog.so-net.ne.jp/2015-02-23でこの本を紹介してくださっていますが、字面通りに素直に解釈されています。ただ、私は「わかる」においても意味論を重視する立場を取りますよ、念のため。
ただね、そもそも「わかる」概念が一対一対応の文字の記憶に成り下がっている状況で、意味論を解説したとして、一対一対応のわかると意味論の間の飛躍に読者がついてこられるでしょうか?
まずは、一対一対応の言葉の記憶を打破するところに重点を置いています。
そもそも、わかるというのは、この世界での繰り返し事象と、人間の側の価値観のマッチングが起きて発生すると思います。この価値観自体は生存がクリティカルに効いているわけですが、テクノロジーによる身体性の拡張によって時代時代で変わってはくるでしょう。マクルーハン的に言えばメディアでしょうか。
ただ、根本的な部分に身体性があることは間違いありません。だから、南の島に学生を連れて行って遊ばせるなどということを私はやってきたわけです。で、認知主義的に「わかる」を規定するための遊びについても考えてはきたわけです。
ただ、それを文字で伝えるのは少しハードルがあると思っています。だから、書いてないんですね。
「考える」、「伝える」について、構文論的に解説する本は既に溢れていますので、ほとんど書いていません。そして、構文論では越えられない「表象操作」が自然に起きる場面としての恋愛を「考える」ではテーマにしています。テクニカルにはイシューアナリシスのやり方が書いてあるわけですが、まあ、それはいいでしょう。
あと、伝えるに関して言えば、精神論的な部分を強調して書いています。それが価値観を反映し、その価値観は言語表現に現れ、読み取られてしまうからです。
この部分についての若い人の認識の甘さは恐ろしいものがあります。考えていることなんてわかりっこないよと誤魔化そうとする人がものすごくいっぱいいます。そういう人には、思考過程まですべてあててあげることで、矯正していくわけですが、そんなことをしてくれる人はほとんどいないでしょう。だから、内定を取りたいという人は多いだろうということで、就職活動をケースにして、内定したかったらちゃんとした精神論を踏まえてね、と言っているわけです。
全体像を全部伝えるのは、無理でしょうし、社会人で大手の経営者候補でもない限り、必要はないと思います。で、いまどきの若い人への課題をピックアップしてのせているんですね。まあ、字数の関係もありますし。
といった感じが種明かしになります。教育を専門にする人ぐらいしかわからないとは思いますが、こんな感じですね。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
![]() | 直感でわかるロジカルシンキング (2015/02/19) 伊藤 達夫 商品詳細を見る |
まずですが、この本の社会的な意味合いとしては、近年の若者にある「考える」というパラダイムの喪失という課題の指摘と、それに対する解決策の1つの提案、です。
前書きにあるように、そもそも考える行為自体に価値を見出していない、考える行為を認知していない時代に入ったように思いますので、それを問題点として指摘しているわけです。
それでね、具体的にどのような全体像で「ロジカルシンキング」を伝えようとしているかというと、いつも私が書いてきましたが、構文論、意味論、語用論の枠組みです。
この構文論、意味論、語用論を縦軸にとり、横軸に、「わかる」「考える」「伝える」を取る構成になっています。ボックスは9つあって、この中から恣意的に選んでいます。現在の「若い人」が課題とするところを越えるために恣意的に選択しているわけです。
そして、構文論と語用論を中心に「わかる」を解説し、語用論と意味論を中心に「考える」を説明し、意味論と語用論を中心に「伝える」を解説しています。
当然、意味論的な「わかる」も存在しますし、構文論的な「考える」「伝える」も存在します。
一般的に「わかる」を真面目に言おうとすると、意味論的なものが中心になるでしょうし、一般的に「考える」や「伝える」を扱うロジカルシンキング本には構文論的なものの扱いが中心となります。
曽布川先生がブログhttp://sobukawa-in-waseda.blog.so-net.ne.jp/2015-02-23でこの本を紹介してくださっていますが、字面通りに素直に解釈されています。ただ、私は「わかる」においても意味論を重視する立場を取りますよ、念のため。
ただね、そもそも「わかる」概念が一対一対応の文字の記憶に成り下がっている状況で、意味論を解説したとして、一対一対応のわかると意味論の間の飛躍に読者がついてこられるでしょうか?
まずは、一対一対応の言葉の記憶を打破するところに重点を置いています。
そもそも、わかるというのは、この世界での繰り返し事象と、人間の側の価値観のマッチングが起きて発生すると思います。この価値観自体は生存がクリティカルに効いているわけですが、テクノロジーによる身体性の拡張によって時代時代で変わってはくるでしょう。マクルーハン的に言えばメディアでしょうか。
ただ、根本的な部分に身体性があることは間違いありません。だから、南の島に学生を連れて行って遊ばせるなどということを私はやってきたわけです。で、認知主義的に「わかる」を規定するための遊びについても考えてはきたわけです。
ただ、それを文字で伝えるのは少しハードルがあると思っています。だから、書いてないんですね。
「考える」、「伝える」について、構文論的に解説する本は既に溢れていますので、ほとんど書いていません。そして、構文論では越えられない「表象操作」が自然に起きる場面としての恋愛を「考える」ではテーマにしています。テクニカルにはイシューアナリシスのやり方が書いてあるわけですが、まあ、それはいいでしょう。
あと、伝えるに関して言えば、精神論的な部分を強調して書いています。それが価値観を反映し、その価値観は言語表現に現れ、読み取られてしまうからです。
この部分についての若い人の認識の甘さは恐ろしいものがあります。考えていることなんてわかりっこないよと誤魔化そうとする人がものすごくいっぱいいます。そういう人には、思考過程まですべてあててあげることで、矯正していくわけですが、そんなことをしてくれる人はほとんどいないでしょう。だから、内定を取りたいという人は多いだろうということで、就職活動をケースにして、内定したかったらちゃんとした精神論を踏まえてね、と言っているわけです。
全体像を全部伝えるのは、無理でしょうし、社会人で大手の経営者候補でもない限り、必要はないと思います。で、いまどきの若い人への課題をピックアップしてのせているんですね。まあ、字数の関係もありますし。
といった感じが種明かしになります。教育を専門にする人ぐらいしかわからないとは思いますが、こんな感じですね。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
- 関連記事
-
- 直感でわかるロジカルシンキング/感想 (2015/03/01)
- 直感でわかるロジカルシンキング解説 (2015/02/24)
- 直感でわかるロジカルシンキング/まえがき (2015/02/06)
スポンサーサイト