ブログを放置しすぎですね。おはようございます。伊藤です。
今日は、コト消費について書いてみようと思います。これまで何度もブームになり、去りゆくコト消費やら、経験経済的価値やら、CXやら。それはなんでなの?ということを考えてみます。
それはひとえに現象学が流行らないのと同じかなあ、と思っています。
フッサールは、素朴実在論的な世界観でできた学問の考え方を、コト中心、現象中心に基礎づけ直そうとしました。それがまさに現象学ですよね。でも、全く普及していないように思います。
それはなぜかと言えば、普通の人は、現象学的な世界観で生きていないからですね。
目の前にペットボトルがあったとして、そこにペットボトルがあると普通の人は思います。決して、ペットボトル現象が起きている、ペットボトルが目の前にある状況を体験しているとは言わない。
でもね、深く考えると、確かにペットボトルがあると思うような現象を体験しているが言い方として正しいとは思うわけです。
だからね、経験経済的価値の中身は普通の人はようわからんわけです。体験が心地よいことを提供側が意図して提供していたとして、その体験設計みたいなものは、違和感がある。
簡単には、デザインでその価値を上げることができることはわかっていますが、そうすると、たいていは極論に走るもので、デザインよくしとけば売れるんだろ、となるわけです。
そうではない。体験、コトの設計が大事だと言っても、その体験やコトってなんだ?ということをうまく説明できるように我々の言葉はできていないのです。
ジョブズは体験にこだわったという言い方が既に、コトとか経験経済的な枠組みではないのです。
ジョブズは体験価値の視点から商品を作っていたというのは正しそうですが、じゃあ、どういう枠組みで?というとなかなか面倒ですよね。いわゆる開封の儀式も、何か期待感があるものを買った時に、パッケージを楽しみで開ける時のことはよく覚えていて、大きな体験価値になるとわかっていたということです。
ギャンブラーが当たった時のことしか覚えていないというのと似ていますね。だから、ギャンブルは当たった時の経験をひたすら強調する方向に行くわけです。
商品を買う場合に大事なのは、開封する時だし、壊れた時だし、普段使う時だし、というような考えでアイフォンのプロセスは設計されたのでしょう。
でもね、こういう体験価値ベースの世界観を持つ人は非常に少ない。たいていは、素朴にモノがあると思って生きています。だからモノづくりと言うんですよね。モノが大事だと思う。
しかし、体験設計が大事だと口で言ってみても、言葉にしてみても、それはよく分からないのがたいていの事情です。
フレームワークが整備されても、体験価値設計をできる人がごくごく少数なのでしょう。コンサル会社は概念的にはそういうことがわかるので、やたらとデザイン会社を買収したりしますが、これまでマネジメントに失敗し続けています。今後、どうやってマネジメントの問題をクリアするかが楽しみではありますが、彼らがデザイン会社のマネジメントに成功したら、大企業の商品企画プロセスに入り込んでいるので、また儲けるでしょうね。
体験価値の設計を武器にして。
この部分のナレッジデバイドはなかなか解消できませんが、まあ、仕方がないでしょう。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
今日は、コト消費について書いてみようと思います。これまで何度もブームになり、去りゆくコト消費やら、経験経済的価値やら、CXやら。それはなんでなの?ということを考えてみます。
それはひとえに現象学が流行らないのと同じかなあ、と思っています。
フッサールは、素朴実在論的な世界観でできた学問の考え方を、コト中心、現象中心に基礎づけ直そうとしました。それがまさに現象学ですよね。でも、全く普及していないように思います。
それはなぜかと言えば、普通の人は、現象学的な世界観で生きていないからですね。
目の前にペットボトルがあったとして、そこにペットボトルがあると普通の人は思います。決して、ペットボトル現象が起きている、ペットボトルが目の前にある状況を体験しているとは言わない。
でもね、深く考えると、確かにペットボトルがあると思うような現象を体験しているが言い方として正しいとは思うわけです。
だからね、経験経済的価値の中身は普通の人はようわからんわけです。体験が心地よいことを提供側が意図して提供していたとして、その体験設計みたいなものは、違和感がある。
簡単には、デザインでその価値を上げることができることはわかっていますが、そうすると、たいていは極論に走るもので、デザインよくしとけば売れるんだろ、となるわけです。
そうではない。体験、コトの設計が大事だと言っても、その体験やコトってなんだ?ということをうまく説明できるように我々の言葉はできていないのです。
ジョブズは体験にこだわったという言い方が既に、コトとか経験経済的な枠組みではないのです。
ジョブズは体験価値の視点から商品を作っていたというのは正しそうですが、じゃあ、どういう枠組みで?というとなかなか面倒ですよね。いわゆる開封の儀式も、何か期待感があるものを買った時に、パッケージを楽しみで開ける時のことはよく覚えていて、大きな体験価値になるとわかっていたということです。
ギャンブラーが当たった時のことしか覚えていないというのと似ていますね。だから、ギャンブルは当たった時の経験をひたすら強調する方向に行くわけです。
商品を買う場合に大事なのは、開封する時だし、壊れた時だし、普段使う時だし、というような考えでアイフォンのプロセスは設計されたのでしょう。
でもね、こういう体験価値ベースの世界観を持つ人は非常に少ない。たいていは、素朴にモノがあると思って生きています。だからモノづくりと言うんですよね。モノが大事だと思う。
しかし、体験設計が大事だと口で言ってみても、言葉にしてみても、それはよく分からないのがたいていの事情です。
フレームワークが整備されても、体験価値設計をできる人がごくごく少数なのでしょう。コンサル会社は概念的にはそういうことがわかるので、やたらとデザイン会社を買収したりしますが、これまでマネジメントに失敗し続けています。今後、どうやってマネジメントの問題をクリアするかが楽しみではありますが、彼らがデザイン会社のマネジメントに成功したら、大企業の商品企画プロセスに入り込んでいるので、また儲けるでしょうね。
体験価値の設計を武器にして。
この部分のナレッジデバイドはなかなか解消できませんが、まあ、仕方がないでしょう。それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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