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インサイト100メールマガジン
> 戦後経済史(その1)
こんばんは。伊藤です。メルマガの転載ですが、ブログのほうも定期的に更新していければと思っています。

さて、前回のメールマガジンではかつてない反響をいただきまして、改めていろんな方がいろんな思いで読んでくださっているんだなあと思いました。ご連絡いただいたみなさま、ありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。細かいご質問も、このメルマガ上で少しずつお答えしていければと思いますので、少々お待ちください。

それで、「小説を書こうと思ったのはなぜですか?」というのが来ていて、ああ、そんなこともあったなあと思いますので、簡単に書きますね。

大学生の時、好きな女の子がおりまして、その子に「小説書いてるんだ」と、ちょっと偉そうに言いましたら、「読んでみたい」と言われました。その時はそれほどちゃんと書いていたわけでもなかったのですが、読んでもらうのにこれではいかんと思い、ちゃんと書き始めました。月に2、3回でしょうか。作品を書き進めると下北沢のミスタードーナツに2人で集合して、新しい原稿を渡して、前の原稿の感想を貰うというのをやっていました。小説を書くことが楽しいというよりは、その子に会えるのが嬉しくて、ずっと書き続けました。

後に、「普通の女の子はお前の面白くない小説なんざ読みたいわけないだろ?わざわざ時間作って読むか?バカかお前は?」と知人に言われたのは後の祭りではありましたが、10万字以上の作品を書き通すという経験をさせてもらいました。今思えばそうでしょうけど、当時はそういうことはわからない人でした。

「当時は」ではないかもしれません。

つい数か月前ですが、珍しく女性と夜中まで飲んでいて、「終電がなくなっちゃいました。明日は朝早いんですけどねー。」と言われ、それは大変だと思い、「タクシー代出すよ」と言ったら、「家に泊めてくださいよ」と言われ、「ベッドが1つしかないからいつも仕事で使ってるホテルの部屋を取るよ」と言ったら、「私、床で寝ます。大丈夫ですよ。何もしませんから」と言われて、以下省略ですが、全てを察したのは、朝、彼女を始発に送り届けて酔いがさめてからだったという出来事がありました。

酔うと真面目な素の部分が出るんですね・・・。多分、本質的には変わっていないので、いつまでたっても非モテなのでしょう・・・。

さて、気を取り直して今日は昭和経済史のさわりを書こうと思います。ここからはヘビーな内容ですので、ご興味に応じて読み流して頂ければと思います。

それで、戦前は最高に難しいので、まずは戦後について書いていきます。主だった出来事を抑えて、その意味合いを考えていきます。史料確認なしで書いていきますので、何か疑問点あれば送ってください。

まずね、1945年が終戦というか、敗戦ですね。東京は大空襲によって焼野原になりますし、大戦で、多くの死者が出ました。日本人としては200万人~300万人程度と言われています。この日本人には在日の方々も含みます。

敗戦後、米国の占領政策は当初は脱工業化を指向し、工場の解体や財閥の解体などを行いますが、1949年の中華人民共和国の成立、1950年~53年の朝鮮戦争によって大きく転換していきます。それ以前にも日本を反共の砦にするとか、復興に向かう方向性の確認などがGHQによって行われますが、やはり、中国の成立と朝鮮戦争が大きな出来事でしょう。

そもそも、戦争によって弱体化していた日本経済ですが、終戦時にも約7200万人の人口を抱えています。ええ、当時としては大国なわけです。戦争が終わって、焼け野原の復興が始まれば景気はよくなっていくわけです。

阪神大震災の時の復興特需は20年は続いたと業者さんは言います。焼け野原の東京を復興していくのであれば、それはすごい特需に沸くでしょう。

傾斜生産方式によって、戦後復興がなったという説もあるわけですが、私は懐疑的ですね・・・。そりゃあ確かに生産力の回復は重要なのですが、需要がすごい勢いであるわけで、その需要の吸収を大企業、石炭、鉄鋼を中心に行ったことは意味はありますが、傾斜して投資した場合と、そうでなかった場合の差異がそんなに大きいのだろうか?と思ったりするわけです。

しかし、景気が過熱し過ぎてしまいますので、1949年にいわゆるドッジラインによって、景気を沈静化させます。要は実態との乖離が大きくなりすぎる前にブレーキをかけるということですね。

具体的には金融、財政の引き締めを行いました。これによって株価は大きく下がります。

今みたいなポピュリズム的な雰囲気や、政府が景気循環をコントロールできるかのような風潮、株価をベンチマークとして気にする政権の中でこんなことをやったら大事でしょうが、当時はこういうことができたんですね。

景気の過熱が沈静化したところで、都合よく朝鮮戦争が起こります。朝鮮戦争で、米軍は物資を日本から調達しますので、日本は潤いますよね。成金が貿易業者を中心に登場します。また、武器、弾薬などは工場でなければ作れませんので、日本の脱工業化に熱心だったGHQもこの頃には完全に工業化を再度行う方向性になっているわけですね。

実体との乖離は問題になりますが、ちゃんとした生産活動を伴って景気がいいのであれば問題はないわけです。

しかし、朝鮮戦争が終わってしまうと、日本は過剰な生産設備を抱えることになります。ここで、1955年のGATT加盟が効いてくるわけです。戦後は日本の経済力を脅威として捉えた欧米は、脱工業化を強力に主張するわけですが、米国は45年以降、少しずつ日本の占領政策を工業化、反共産主義の砦として活用する方針へと転換していく。

西欧はこの当時は未だに日本を警戒しているわけですが、米国の強い意向によって、西欧への輸出が可能となります。当初は衣服・繊維を中心とした輸出です。戦前から日本の繊維、衣類は強いですからね。

朝鮮戦争、GATT加盟などによる生産能力回復、輸出拡大によって民間消費が回復していく。工業化も進み、いわゆる三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が飛ぶように売れていくわけです。

しかし、当時の日本は現在の中国のように固定相場制です。民間投資で購入される生産設備は欧米からの輸入に頼っています。欧米からの輸入が増えれば、外貨準備が減少していきます。足りなくなれば調達しなければいけませんが、国家として対外債務は増やしたくない。そうすると、金融引き締め策を講じて、景気を引き締める必要が出てきます。

だから、好景気、不景気を繰り返していくわけですが、私はこれが日本が大きなバブルにならずに成長した要因では?とも思っています。実態と乖離した資産価格の上昇は、バブル崩壊によって資産価値を一気に吹っ飛ばしますからね。これぐらいゆるやかな方がいいかもしれないと思うわけです。

そして、60年代はいわゆる所得倍増計画の掛け声とともに、高度成長が始まります。詳細には触れませんが、1968年には日本がGNP世界第二位になるわけです。この復興の要因は何かをざっくり考えてみます。

私が思うのは、戦前レベルへの回復という要因です。第二次大戦後、貿易額が第一次大戦レベルまで回復したのはいつかと言えば、世界的にも1970年代です。つまり、第一次大戦時に経済は既にグローバルだったわけです。そして、日本の輸出能力も戦前から欧米に警戒されていたわけです。

そうするとね、「世界の貿易水準が第一次大戦時のレベルに戻る過程で、大国の中で最も破壊された日本が、戦後最も急激な伸びを見せた」というのが正しいように思うんですよね。

この大枠での認識があった上で、マクロ政策を見ていくと、意味があったのって、関税障壁ぐらいではないのか?特に、戦後に発達した重工業についての関税障壁ではないか?ということでしょう。

ちょっと、もう長いので今日はここまでにします。次回は60年代をもうちょっと詳しくみて、いわゆる主だった日本のマクロ政策を今日のパースペクティブをもとに見ていこうと思います。

それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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2016.07.15(22:12)|メールマガジンコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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