おはようございます。伊藤です。先月、バンコクにいってきたのですが、その帰りの機内で書いたメールマガジンにかつてない反響をいただきました。今日はその転載です。
ただ、私には、この文章のどこが、読者のみなさんに響いたのかはまったくわからないんですよね。私は文章は素でしか書けません。私がそのときに表現したいことが出てくる。それは明らかに1つの方向を志向していて、その向かう先もなんとなくわかっているのですが、それがどんな表現をとるかはまったくわからないし、向かう先とはまったく違う内容を書いているわけです。
私の文章は直せないとよく言われました。複雑に折り重なっているので、とても直しにくいのだそうです。独立したころ、「伊藤さんは食い詰めたら文章で暮らせばいいよ」と文章を仕事にしている女の子にいわれたものですが、自分の文章のどこにそれがあるのかもわからなかったし、今でもそれはわかりません。
仕事はコンサルタントというか、クライアントに対してアドバイスをする仕事のはずなのですが、私は根本的には第三者には向いていない。常に当事者でなければいけないと思っている面があるし、冷静にアドバイスするというよりは、メンバーの魂に火をつけないといけない場面のほうが多いと思っています。ただ、なるべくクライアントのリーダーの言葉が魂に火をつけるほうがいいに決まっているのですが、リーダーとなるべき人間の魂に誰が火をつけるのか?といえば、自分なんじゃないかと思ったりするんです。
だから、自分も常に極限にいないといけないと思っています。そうすると、自分を客観視することは難しくなる。情に掉さして流される場所にいることになる。アドバイザーとしての立ち居地ではないようにも思います。ただ、それが私のスタイルではあるわけです。
向いていないことを生業にすることの苦しみというか、せつなさというか、そういうものを感じながらも、こういうかかわり方もあっていいとは思っています。そういうこともあって、下記の文章は私にはよくわかりませんが、読んでくださっている方々の何かに触れたのでしょう。その触れ方はきっといろいろあるのでしょうけれど、前を向いて進んでいける形になるならば幸いだと思っています。
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【バンコクから東京への機内にて。自分を見つめ直して】
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こんにちは。伊藤です。
今、バンコクから東京に向かっている機内でこの文章を書いています。
他にすることもなく、暇なんですね。
東京まではあと2時間もかかるようです。
万城目先生の「バベル九朔」は読み終えてしまったので、何かすることが必要なのです。
今回の出張は、いろいろと自分を見つめなおすいいきっかけになったと思いますので、
自分が社会人になってから思ったことをいろいろと書こうと思います。だから、今回はちょっとつまらないと思います。
ごめんなさい。興味がある方だけ、お読みください。
今年は空前に就職が緩いですね。多分、リーマンショックというかバリパショック以降、最高でしょう。
ここ数年で入社した人たちはバブル期と同様の扱いを受けることがどう見ても明白ですので、また罪作りな時期だよなあと思ったりはしますが、まあいいでしょう。
最近は古典的な日本企業でも本流と傍流が早い段階で分けられますので、本人たちもその自覚が全くないわけではないでしょうから、彼らはきっと自衛に励む人々になるでしょう。いい意味でも、悪い意味でもね。
私は大学で全く勉強せず、知的訓練がなされなかったにも関わらず、コンサルティングなどという知的職業についてしまい、大きな苦労をしました。大学でレポートや論文を一生懸命書いていれば、それほど苦労しなかったのですが、レポートは映画批評や文学批評ばかりでしたし、論文はまともに書いていません。
レポートとは、他人の設定した論点への解を考えるものであり、論文とは、自分で論点設定をし、その論点の必然性を論じた上で、解を出していくものです。
コンサルティングでは、クライアントの問題意識に合わせながらも、クライアントの論点設定に対して疑いをもち、論点を修正しつつ、解を出していくものです。だから、大学の論文作成とやっていることは非常に近いわけです。必要とされるスキルが近いことも理由の1つとして、彼らは高学歴を採用するわけです。
実際にどうなっているかは別として、修士課程では、自分で自分の課題設定をしないといけないはずですね。その訓練ができているはずだから、修士卒やポスドクなどがやたらとコンサル業界にはいるとも捉えられます。
新卒時の研修は、チーム間競争で、事業戦略を考えるものでした。見事に私のチームは優勝しましたし、私はストーリーをほぼ自分で考えたので、高く評価してもらえると思ったのですが、そうもいきませんでした。パートナーの人間がファクトを扱う能力があり、それが優勝に貢献したという見方だったようです。彼の評価が高く、私の評価は低かったわけです。
私は大学では、サッカーに明け暮れたし、レポートも偏ったものばかり書いていましたが、小説をたくさん書いていました。だから、文章を書くのは早い。そして、ストーリーを構築する能力も訓練はされていたのです。しかし、それを文章にせずに伝える能力が弱かったですね。ミーティングの議論では、どう考えてもおかしな相手のコンテクストに対して、なかなかおかしな点を言えない。まあ、それは今でも気を遣うとそうなると言えばそうなるので、あまり変わっていませんけどね。
それとね、相手が見えていないものが何かはすごくよくわかるのですが、そもそも相手が何が見えていないかを伝えるのは非常に難しいわけです。小説家はそれを伝えるのに1作品を費やしてしまうぐらいですからね。自分が見えていないものに気づかないのは普通のことですし、「ここが見えていないよ」と言われて、現状ではそこを組み上げる部品を持たないのですから、言われても何を言われているのかはわからないものです。
だから、その見えていないものを見せるのに、通常はプロジェクト全体を費やすわけです。100枚以上になるPPTの資料は、相手が見えていないものを見せるための手段なわけです。
よく「1枚にまとめるのがいい!」とおっしゃる方がいますが、1枚で見えていないものを見えるようにする紙があるなら知りたいですね。そんなものは存在しません。背景が完全に共有され、そもそも等式変形的に至る結論が明白な場合にのみ、そのようなことが可能でしょう。いわゆる構文的ロジックのみが必要な場合というやつです。
MECEやらロジックツリーなど、小手先のコンサルティングスキルや、小手先のマーケティングなどが好きな人々は、構文的なロジックしか知りませんし、それで普段は十分ですからね。「論理的ならばわかる」みたいな主張をする人たちです。見えていないものは「論理的に」言ってもわかりません。彼らの「論理的」は間違いなく構文論ですね。
ミンツバーグの言う「認知的に遠い機会」などを認知させるには、どうしても長い時間が必要です。私はそれをクライアントに認知してもらうことで、おカネをもらっている面があるのですね。私のアドバイスは基本的にクライアントが認知できれば大きく変わる可能性があることに基づいて構成されています。
私が教育適性があるのも、上記のロジックを使っているからです。その「相手が気づいていないこと」に気づかせるための勉強をどのようにすればいいかが見えるわけです。だから、教育効果は高い。プロジェクトと同じことをやっているわけです。
そうすると、私はカネを貰わずに他人に会ってはいけないんですよね。私の特性を理解している相手は、自分がいま見えていないことは何か?と考えながら私と話をし、いろいろと勝手につかんでしまう。それを無償でやっていては食べていけないわけです。
デザインや芸術の領域では、文章とは違って、少しの時間でもいいかもしれない。雪舟の水墨画の展示を見終わってからの帰り道、木々の存在感が妙にあって不思議な気分になったというエッセイをどこかで読みましたが、高いレベルのデザインや芸術にはそれを問答無用に伝えるパワーがあるかもしれません。しかし、文章でそれをやるのはとても難しい。
そして、芸術家はそのパワーが何かは自分自身ではよくわかっていないですね。
自閉症傾向の写真家の方がいましたが、その人が撮る世界はほぼ死の世界というか、オブジェしかない世界でした。生命感というか、みずみずしさが全くない写真しか撮れない。「ご飯を美味しそうに撮るのが苦手で・・・」と言っているのを聞いて、苦手というより、生命感のない世界しか撮れないんだから当たり前でしょう?と思いました。本人は自分が自閉症の傾向がある自覚がなかったので言いませんでしたけどね。
しかし、その人の写真は強烈に怖い。生命がすべて剥ぎ取られた写真を撮るものだから、「人間の手」をとってもオブジェに見える。森を撮っても、化け物すら存在できない死の森というか、生命を削ぎ取られた、化学物質でホルマリン漬けにされたような森になる。それはそれで芸術的ですし、見た人は恐ろしさを感じるし、生命と非生命の境目って何だろう?というような問いを投げかけるような作品ですから。
その写真を見ると、世界がやや無機的に見えるわけです。ええ、それがその写真家の方の作品のパワーなわけです。そんな世界に生きている人も怖いですけどね。
さて、こんな自分の特性を初期にわかるわけもなく、それをうまく生かすこともできずに、30歳までこんなことをやっていたら死んでしまうと思い、私は事業会社に移ります。
新卒研修で大した能力がないと思った人が評価されるのにも気が滅入ったからでしょう。「あの程度の能力で評価される世界って何?」と思いました。ストーリー構築能力はあんまりあるわけではないのですが、下っ端のうちはファクトを丁寧に扱う能力が評価されますからね。
しかし、事業会社でもなかなかうまくいかない。上司とはいつもぶつかり、しまいには干されていました。しかしですね、暇そうな私に仕事をくれる人が出てくるわけです。そこで仕事をひたすらにやり続けることで、自分なりの社内でのポジションを確立していくわけですね。ジョブディスクリプションではなく、「伊藤さん」という立ち位置で仕事をやるわけです。そのうち、ご指名で仕事が来るようになっていくわけです。気づけば最年少の部門長でした。
独立は既定路線でした。そもそも独立したかった。自分の好きなようにやって、自分の気が済むようにしたかったのです。そして、事業会社時代に私の近くにいる人が、多分、独立したらみんな離れていくだろうなあという見込みを持って、独立してみました。
案の定、甘い言葉ばかり言っている人々は離れていきましたね。所詮、人は利用しあうものなのだなあと思いました。それでも、私から去らなかった人や、助けてくれた人については、絶対に不義理はしてはいけないと思っています。
事業会社時代には私はものの数十分でいろいろな提案や報告を書いていました。会社のことは考え抜いていたし、事実としての数字はほとんど抑えていたので、楽勝だったわけです。それを知っている元同僚の人たちは、「飯をおごるぐらいでいいじゃん。やってよ」と独立後に言ってきましたが、そういう人たちからは離れないといけませんでした。そんな仕事をやっていては身が持たないし、食べていけません。
そういう人たちを振り切って、駒場の図書館でひたすら本を読んだり、フットサルをしたり、ブログを書いたりして過ごしました。当時の私の体重は77キロ。もはや不健康の塊でしたから。
と、そろそろ東京に到着するようです。いつかこの続きは書いてみようと思います。ご要望があれば、ですけどね。要望はこのアドレス宛にお願いします。全てに返信はできませんが、全て目は通しています。
多分、今日は面白くなかったですね。すいません。次回は「昭和経済史」をやるやる詐欺にせずに書こうと思います。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
ただ、私には、この文章のどこが、読者のみなさんに響いたのかはまったくわからないんですよね。私は文章は素でしか書けません。私がそのときに表現したいことが出てくる。それは明らかに1つの方向を志向していて、その向かう先もなんとなくわかっているのですが、それがどんな表現をとるかはまったくわからないし、向かう先とはまったく違う内容を書いているわけです。
私の文章は直せないとよく言われました。複雑に折り重なっているので、とても直しにくいのだそうです。独立したころ、「伊藤さんは食い詰めたら文章で暮らせばいいよ」と文章を仕事にしている女の子にいわれたものですが、自分の文章のどこにそれがあるのかもわからなかったし、今でもそれはわかりません。
仕事はコンサルタントというか、クライアントに対してアドバイスをする仕事のはずなのですが、私は根本的には第三者には向いていない。常に当事者でなければいけないと思っている面があるし、冷静にアドバイスするというよりは、メンバーの魂に火をつけないといけない場面のほうが多いと思っています。ただ、なるべくクライアントのリーダーの言葉が魂に火をつけるほうがいいに決まっているのですが、リーダーとなるべき人間の魂に誰が火をつけるのか?といえば、自分なんじゃないかと思ったりするんです。
だから、自分も常に極限にいないといけないと思っています。そうすると、自分を客観視することは難しくなる。情に掉さして流される場所にいることになる。アドバイザーとしての立ち居地ではないようにも思います。ただ、それが私のスタイルではあるわけです。
向いていないことを生業にすることの苦しみというか、せつなさというか、そういうものを感じながらも、こういうかかわり方もあっていいとは思っています。そういうこともあって、下記の文章は私にはよくわかりませんが、読んでくださっている方々の何かに触れたのでしょう。その触れ方はきっといろいろあるのでしょうけれど、前を向いて進んでいける形になるならば幸いだと思っています。
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【バンコクから東京への機内にて。自分を見つめ直して】
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こんにちは。伊藤です。
今、バンコクから東京に向かっている機内でこの文章を書いています。
他にすることもなく、暇なんですね。
東京まではあと2時間もかかるようです。
万城目先生の「バベル九朔」は読み終えてしまったので、何かすることが必要なのです。
今回の出張は、いろいろと自分を見つめなおすいいきっかけになったと思いますので、
自分が社会人になってから思ったことをいろいろと書こうと思います。だから、今回はちょっとつまらないと思います。
ごめんなさい。興味がある方だけ、お読みください。
今年は空前に就職が緩いですね。多分、リーマンショックというかバリパショック以降、最高でしょう。
ここ数年で入社した人たちはバブル期と同様の扱いを受けることがどう見ても明白ですので、また罪作りな時期だよなあと思ったりはしますが、まあいいでしょう。
最近は古典的な日本企業でも本流と傍流が早い段階で分けられますので、本人たちもその自覚が全くないわけではないでしょうから、彼らはきっと自衛に励む人々になるでしょう。いい意味でも、悪い意味でもね。
私は大学で全く勉強せず、知的訓練がなされなかったにも関わらず、コンサルティングなどという知的職業についてしまい、大きな苦労をしました。大学でレポートや論文を一生懸命書いていれば、それほど苦労しなかったのですが、レポートは映画批評や文学批評ばかりでしたし、論文はまともに書いていません。
レポートとは、他人の設定した論点への解を考えるものであり、論文とは、自分で論点設定をし、その論点の必然性を論じた上で、解を出していくものです。
コンサルティングでは、クライアントの問題意識に合わせながらも、クライアントの論点設定に対して疑いをもち、論点を修正しつつ、解を出していくものです。だから、大学の論文作成とやっていることは非常に近いわけです。必要とされるスキルが近いことも理由の1つとして、彼らは高学歴を採用するわけです。
実際にどうなっているかは別として、修士課程では、自分で自分の課題設定をしないといけないはずですね。その訓練ができているはずだから、修士卒やポスドクなどがやたらとコンサル業界にはいるとも捉えられます。
新卒時の研修は、チーム間競争で、事業戦略を考えるものでした。見事に私のチームは優勝しましたし、私はストーリーをほぼ自分で考えたので、高く評価してもらえると思ったのですが、そうもいきませんでした。パートナーの人間がファクトを扱う能力があり、それが優勝に貢献したという見方だったようです。彼の評価が高く、私の評価は低かったわけです。
私は大学では、サッカーに明け暮れたし、レポートも偏ったものばかり書いていましたが、小説をたくさん書いていました。だから、文章を書くのは早い。そして、ストーリーを構築する能力も訓練はされていたのです。しかし、それを文章にせずに伝える能力が弱かったですね。ミーティングの議論では、どう考えてもおかしな相手のコンテクストに対して、なかなかおかしな点を言えない。まあ、それは今でも気を遣うとそうなると言えばそうなるので、あまり変わっていませんけどね。
それとね、相手が見えていないものが何かはすごくよくわかるのですが、そもそも相手が何が見えていないかを伝えるのは非常に難しいわけです。小説家はそれを伝えるのに1作品を費やしてしまうぐらいですからね。自分が見えていないものに気づかないのは普通のことですし、「ここが見えていないよ」と言われて、現状ではそこを組み上げる部品を持たないのですから、言われても何を言われているのかはわからないものです。
だから、その見えていないものを見せるのに、通常はプロジェクト全体を費やすわけです。100枚以上になるPPTの資料は、相手が見えていないものを見せるための手段なわけです。
よく「1枚にまとめるのがいい!」とおっしゃる方がいますが、1枚で見えていないものを見えるようにする紙があるなら知りたいですね。そんなものは存在しません。背景が完全に共有され、そもそも等式変形的に至る結論が明白な場合にのみ、そのようなことが可能でしょう。いわゆる構文的ロジックのみが必要な場合というやつです。
MECEやらロジックツリーなど、小手先のコンサルティングスキルや、小手先のマーケティングなどが好きな人々は、構文的なロジックしか知りませんし、それで普段は十分ですからね。「論理的ならばわかる」みたいな主張をする人たちです。見えていないものは「論理的に」言ってもわかりません。彼らの「論理的」は間違いなく構文論ですね。
ミンツバーグの言う「認知的に遠い機会」などを認知させるには、どうしても長い時間が必要です。私はそれをクライアントに認知してもらうことで、おカネをもらっている面があるのですね。私のアドバイスは基本的にクライアントが認知できれば大きく変わる可能性があることに基づいて構成されています。
私が教育適性があるのも、上記のロジックを使っているからです。その「相手が気づいていないこと」に気づかせるための勉強をどのようにすればいいかが見えるわけです。だから、教育効果は高い。プロジェクトと同じことをやっているわけです。
そうすると、私はカネを貰わずに他人に会ってはいけないんですよね。私の特性を理解している相手は、自分がいま見えていないことは何か?と考えながら私と話をし、いろいろと勝手につかんでしまう。それを無償でやっていては食べていけないわけです。
デザインや芸術の領域では、文章とは違って、少しの時間でもいいかもしれない。雪舟の水墨画の展示を見終わってからの帰り道、木々の存在感が妙にあって不思議な気分になったというエッセイをどこかで読みましたが、高いレベルのデザインや芸術にはそれを問答無用に伝えるパワーがあるかもしれません。しかし、文章でそれをやるのはとても難しい。
そして、芸術家はそのパワーが何かは自分自身ではよくわかっていないですね。
自閉症傾向の写真家の方がいましたが、その人が撮る世界はほぼ死の世界というか、オブジェしかない世界でした。生命感というか、みずみずしさが全くない写真しか撮れない。「ご飯を美味しそうに撮るのが苦手で・・・」と言っているのを聞いて、苦手というより、生命感のない世界しか撮れないんだから当たり前でしょう?と思いました。本人は自分が自閉症の傾向がある自覚がなかったので言いませんでしたけどね。
しかし、その人の写真は強烈に怖い。生命がすべて剥ぎ取られた写真を撮るものだから、「人間の手」をとってもオブジェに見える。森を撮っても、化け物すら存在できない死の森というか、生命を削ぎ取られた、化学物質でホルマリン漬けにされたような森になる。それはそれで芸術的ですし、見た人は恐ろしさを感じるし、生命と非生命の境目って何だろう?というような問いを投げかけるような作品ですから。
その写真を見ると、世界がやや無機的に見えるわけです。ええ、それがその写真家の方の作品のパワーなわけです。そんな世界に生きている人も怖いですけどね。
さて、こんな自分の特性を初期にわかるわけもなく、それをうまく生かすこともできずに、30歳までこんなことをやっていたら死んでしまうと思い、私は事業会社に移ります。
新卒研修で大した能力がないと思った人が評価されるのにも気が滅入ったからでしょう。「あの程度の能力で評価される世界って何?」と思いました。ストーリー構築能力はあんまりあるわけではないのですが、下っ端のうちはファクトを丁寧に扱う能力が評価されますからね。
しかし、事業会社でもなかなかうまくいかない。上司とはいつもぶつかり、しまいには干されていました。しかしですね、暇そうな私に仕事をくれる人が出てくるわけです。そこで仕事をひたすらにやり続けることで、自分なりの社内でのポジションを確立していくわけですね。ジョブディスクリプションではなく、「伊藤さん」という立ち位置で仕事をやるわけです。そのうち、ご指名で仕事が来るようになっていくわけです。気づけば最年少の部門長でした。
独立は既定路線でした。そもそも独立したかった。自分の好きなようにやって、自分の気が済むようにしたかったのです。そして、事業会社時代に私の近くにいる人が、多分、独立したらみんな離れていくだろうなあという見込みを持って、独立してみました。
案の定、甘い言葉ばかり言っている人々は離れていきましたね。所詮、人は利用しあうものなのだなあと思いました。それでも、私から去らなかった人や、助けてくれた人については、絶対に不義理はしてはいけないと思っています。
事業会社時代には私はものの数十分でいろいろな提案や報告を書いていました。会社のことは考え抜いていたし、事実としての数字はほとんど抑えていたので、楽勝だったわけです。それを知っている元同僚の人たちは、「飯をおごるぐらいでいいじゃん。やってよ」と独立後に言ってきましたが、そういう人たちからは離れないといけませんでした。そんな仕事をやっていては身が持たないし、食べていけません。
そういう人たちを振り切って、駒場の図書館でひたすら本を読んだり、フットサルをしたり、ブログを書いたりして過ごしました。当時の私の体重は77キロ。もはや不健康の塊でしたから。
と、そろそろ東京に到着するようです。いつかこの続きは書いてみようと思います。ご要望があれば、ですけどね。要望はこのアドレス宛にお願いします。全てに返信はできませんが、全て目は通しています。
多分、今日は面白くなかったですね。すいません。次回は「昭和経済史」をやるやる詐欺にせずに書こうと思います。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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