おはようございます。伊藤です。朝の5時ですが、目覚めてしまったので今日も生き抜こうと思います。
今年は本当にしんどい年でして、仕事がかつてなく忙しく、プレッシャーがすごいです。泣き言は嫌いですが、事実なので、事実として書いています。
これまで、文章が書けなくなったことはないのですが、今年は少しの間ですが書けなくなりました。これは私にとってはすごいことです。息を吸って吐くように、書くと言う行為は私にとって自然なことなのですが、書きたくないし書けなくなる。衝撃的でしたね。
何度も書いていますが、私は大学の頃、好きな女の子に読んでもらうために文章を書き始めたので、いつも好きな女の子をイメージして書くわけです。しかし、書けない。去年いろいろありすぎたせいかもしれませんが、とにかく書けない。混乱しましたね。どうすればいいのか?何をすれば書けるようになるのか?本当にわからない。いろいろと試みては痛い目にあいました。
最近、ようやく書けるようになってきて、ひと安心ではあるのですが、また書けなくなったらと思うと恐怖ですね。その恐怖を抱えながらも、頑張って書いていこうと思っています。
さて、今日はクレーム対応について思うことを書いてみます。Twitterでも少しつぶやきましたが、もう少しちゃんと書いてみたいと思います。
それでね、クレーム対応というのは、すごーく大変です。相手が怒りをぶつけてきますからね。その怒りが理不尽なものであったとして、担当者レベルでは対応しないといけないと思うことが多いです。最近の飲食では担当者レベルで「怒りにそもそも反応しない」というマニュアルが出てきていますが、これは離反率を高めるのでお勧めはしません。頑張って対応しようとする中で、何かを掴む機会すらなくなっていってしまいますからね。
責任と権限がある人が、このお客さんのクレームは対応しないと判断するなら、しなくていいんですけどね。現場レベルでは少なくともそんな判断はできません。あたふたしてしまったり、過剰なエネルギーを取られてしまったりします。そうすると、たちまち日常業務が回らなくなって、その他のミスを誘発したり、サービスクオリティを下げたりするわけです。
特に、ハードなクレームが発生し、確かに提供側に落ち度がある場合、どうすればいいのか?というのがあります。「怒りを全て吐き出させればいい」といった考え方もあるのですが、その怒りを全て吐き出させる対応をするうちに、担当者のメンタルヘルスが削られてしまいます。これは非常によろしくない。
それでね、ハードなクレームは、ある意味で存在をないがしろにされたとお客さんが感じた場合、自分が大切にされていないと感じた場合に発生することが多いです。まともな人がハードなクレームを言う場合、たいていこういったケースです。これは対応の必要があることが多いわけです。
まともではないというか、対応の必要がそもそもないクレームであればいいんですけどね。でも、まともなお客さんがすごく怒っている。これはとても困ったことです。怒りは時間がたてば収まる面もあるのですが、怒りが収まるのを待つのは、問題の先送りに過ぎませんよね。
それでね、問題は、「なぜお客さんがないがしろにされたと感じたか?」です。
それはたいてい、いろいろとミスが重なったり、特段の事情があったりして、お客さんを優先できなかったケースでしょう。余裕がある人は、優先されなくても怒ったりしませんが、そうでない人は自分がないがしろにされてきた経験を重ね合わせて怒り狂うことがあります。対応する人にしてみれば、これはしんどい。
ただね、極論を言えば、そういった事情が起きた時、また同じ判断をして、同じようにお客さんを優先できないだろうと思った場合は、もう「仕方ない」と割り切ることが、メンタルヘルス的には大事なことです。
「だって仕方なかったんだもん」といったところでしょうか。仕方なかったこと、これからも「仕方なくあり続ける」ことについて、貯め込んだところでどうにもなりません。担当者にとっては、仕方ないと思った上で対応することと、自分はどうなんだろうと思って対応することは、心の負荷がだいぶ違います。
マネジメントレベルではそういったクレームそのものが発生しない仕組みを考えるべきではありますが、それは長期的な施策であって、目の前の問題に処していくレベル、日々業務を回していくレベルでは、いかに現場を守り、お客さんにどう対応するか、どういう心持ちで対応するか?が大事になってくるわけです。
でなければ、日常業務に支障をきたす、サービスレベルが低下するという、最も望ましくない出来事が起こり、他のお客さんの離反を招くからですね。
サービスレベルの維持なのか?、ハードクレームへの対応か?という二者択一なのであれば、間違いなくサービスレベルの維持が優先されることはわかるでしょう。日常業務を回していく上で、メンバーが気持ちよく仕事を回していけるということが、サービスレベルの維持に対して最も優先すべきことではあるわけです。
このあたりの精神論を適当にしてしまうと、ちゃんとしたマネジメントというかメンタルヘルス管理のできない職場、マネジャーだということになります。
ええ、私はこういうの、不本意ですが上手なんですよね。前を向いてもらうのが。自分がいろんな苦しみを味わってきたというのもあるかもしれません。メンバーから事情を聴いたうえで、「それは「仕方ない」と捉えた上で誠心誠意対応しなさい」と言えば、メンバーもだいぶ楽になるんですよね・・・。ええ、真面目な人たちにはマネジャーからのそういう背中押しが大事だったりするんですよ。
ええ、私は心に火をつけるのも上手なので、その責任を個々のメンバーに取り続けるうちに、こんなに心が真っ黒な人になってしまったというのもあるんですよね。せつないことです。サラリーマンを辞める時、一番信頼していた10歳以上年上の部下の女性に、「俺もう辞めるから、ごめんね。あとはよろしくね。」と言ったら、「酒がまずくなるから黙ってくれますか」と座った目で言われたことは痛々しい思い出ですが、人の適性を見たり、育てたりすることはとっても上手なんですね。
若いころはピュアに他人を斬りつける人でした。今はお腹の中は真っ黒ですが、それほど人を斬りつけないようになってきました。どちらかと言えば、包み込める人になってきたのかもしれません。相変わらず、会議では涙目で、相手に正面からぶつかっていくスタイルではあるんですけどね。ピュアな自分と真っ黒な自分と、どちらが良いのかは、今でも全くわかりません。
対応の精神論は上記に書いたような感じで、詳細はもっといろいろと決めうる問題だと思っています。ただ、現場のサービスレベルを保ったうえで、仕事を回していく時に、欠けてしまいがちな視点だと思ったので書いてみました。
でも、やっぱり誠心誠意、嘘なく、真心で対応するのが一番大事だと私は思いますけどね。それは「お客さんに」というだけではなく、社内のメンバーにも、プライベートであってもそうだと思います。それが一番気持ちよく生きられると思っています。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
今年は本当にしんどい年でして、仕事がかつてなく忙しく、プレッシャーがすごいです。泣き言は嫌いですが、事実なので、事実として書いています。
これまで、文章が書けなくなったことはないのですが、今年は少しの間ですが書けなくなりました。これは私にとってはすごいことです。息を吸って吐くように、書くと言う行為は私にとって自然なことなのですが、書きたくないし書けなくなる。衝撃的でしたね。
何度も書いていますが、私は大学の頃、好きな女の子に読んでもらうために文章を書き始めたので、いつも好きな女の子をイメージして書くわけです。しかし、書けない。去年いろいろありすぎたせいかもしれませんが、とにかく書けない。混乱しましたね。どうすればいいのか?何をすれば書けるようになるのか?本当にわからない。いろいろと試みては痛い目にあいました。
最近、ようやく書けるようになってきて、ひと安心ではあるのですが、また書けなくなったらと思うと恐怖ですね。その恐怖を抱えながらも、頑張って書いていこうと思っています。
さて、今日はクレーム対応について思うことを書いてみます。Twitterでも少しつぶやきましたが、もう少しちゃんと書いてみたいと思います。
それでね、クレーム対応というのは、すごーく大変です。相手が怒りをぶつけてきますからね。その怒りが理不尽なものであったとして、担当者レベルでは対応しないといけないと思うことが多いです。最近の飲食では担当者レベルで「怒りにそもそも反応しない」というマニュアルが出てきていますが、これは離反率を高めるのでお勧めはしません。頑張って対応しようとする中で、何かを掴む機会すらなくなっていってしまいますからね。
責任と権限がある人が、このお客さんのクレームは対応しないと判断するなら、しなくていいんですけどね。現場レベルでは少なくともそんな判断はできません。あたふたしてしまったり、過剰なエネルギーを取られてしまったりします。そうすると、たちまち日常業務が回らなくなって、その他のミスを誘発したり、サービスクオリティを下げたりするわけです。
特に、ハードなクレームが発生し、確かに提供側に落ち度がある場合、どうすればいいのか?というのがあります。「怒りを全て吐き出させればいい」といった考え方もあるのですが、その怒りを全て吐き出させる対応をするうちに、担当者のメンタルヘルスが削られてしまいます。これは非常によろしくない。
それでね、ハードなクレームは、ある意味で存在をないがしろにされたとお客さんが感じた場合、自分が大切にされていないと感じた場合に発生することが多いです。まともな人がハードなクレームを言う場合、たいていこういったケースです。これは対応の必要があることが多いわけです。
まともではないというか、対応の必要がそもそもないクレームであればいいんですけどね。でも、まともなお客さんがすごく怒っている。これはとても困ったことです。怒りは時間がたてば収まる面もあるのですが、怒りが収まるのを待つのは、問題の先送りに過ぎませんよね。
それでね、問題は、「なぜお客さんがないがしろにされたと感じたか?」です。
それはたいてい、いろいろとミスが重なったり、特段の事情があったりして、お客さんを優先できなかったケースでしょう。余裕がある人は、優先されなくても怒ったりしませんが、そうでない人は自分がないがしろにされてきた経験を重ね合わせて怒り狂うことがあります。対応する人にしてみれば、これはしんどい。
ただね、極論を言えば、そういった事情が起きた時、また同じ判断をして、同じようにお客さんを優先できないだろうと思った場合は、もう「仕方ない」と割り切ることが、メンタルヘルス的には大事なことです。
「だって仕方なかったんだもん」といったところでしょうか。仕方なかったこと、これからも「仕方なくあり続ける」ことについて、貯め込んだところでどうにもなりません。担当者にとっては、仕方ないと思った上で対応することと、自分はどうなんだろうと思って対応することは、心の負荷がだいぶ違います。
マネジメントレベルではそういったクレームそのものが発生しない仕組みを考えるべきではありますが、それは長期的な施策であって、目の前の問題に処していくレベル、日々業務を回していくレベルでは、いかに現場を守り、お客さんにどう対応するか、どういう心持ちで対応するか?が大事になってくるわけです。
でなければ、日常業務に支障をきたす、サービスレベルが低下するという、最も望ましくない出来事が起こり、他のお客さんの離反を招くからですね。
サービスレベルの維持なのか?、ハードクレームへの対応か?という二者択一なのであれば、間違いなくサービスレベルの維持が優先されることはわかるでしょう。日常業務を回していく上で、メンバーが気持ちよく仕事を回していけるということが、サービスレベルの維持に対して最も優先すべきことではあるわけです。
このあたりの精神論を適当にしてしまうと、ちゃんとしたマネジメントというかメンタルヘルス管理のできない職場、マネジャーだということになります。
ええ、私はこういうの、不本意ですが上手なんですよね。前を向いてもらうのが。自分がいろんな苦しみを味わってきたというのもあるかもしれません。メンバーから事情を聴いたうえで、「それは「仕方ない」と捉えた上で誠心誠意対応しなさい」と言えば、メンバーもだいぶ楽になるんですよね・・・。ええ、真面目な人たちにはマネジャーからのそういう背中押しが大事だったりするんですよ。
ええ、私は心に火をつけるのも上手なので、その責任を個々のメンバーに取り続けるうちに、こんなに心が真っ黒な人になってしまったというのもあるんですよね。せつないことです。サラリーマンを辞める時、一番信頼していた10歳以上年上の部下の女性に、「俺もう辞めるから、ごめんね。あとはよろしくね。」と言ったら、「酒がまずくなるから黙ってくれますか」と座った目で言われたことは痛々しい思い出ですが、人の適性を見たり、育てたりすることはとっても上手なんですね。
若いころはピュアに他人を斬りつける人でした。今はお腹の中は真っ黒ですが、それほど人を斬りつけないようになってきました。どちらかと言えば、包み込める人になってきたのかもしれません。相変わらず、会議では涙目で、相手に正面からぶつかっていくスタイルではあるんですけどね。ピュアな自分と真っ黒な自分と、どちらが良いのかは、今でも全くわかりません。
対応の精神論は上記に書いたような感じで、詳細はもっといろいろと決めうる問題だと思っています。ただ、現場のサービスレベルを保ったうえで、仕事を回していく時に、欠けてしまいがちな視点だと思ったので書いてみました。
でも、やっぱり誠心誠意、嘘なく、真心で対応するのが一番大事だと私は思いますけどね。それは「お客さんに」というだけではなく、社内のメンバーにも、プライベートであってもそうだと思います。それが一番気持ちよく生きられると思っています。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
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