久々の更新です。放置してごめんなさい。
最近は熱が下がらないのでイライラしていますが、いろいろイライラすることは尽きないので、なんでイライラするんだろう?と考えてみました。
そうしたら、学生の頃に、コンサルタントになりたいと思った動機を思い出しました・・・。みなさんにはどうでもいい話かもしれませんが、書いてみます。
学生の頃は、サッカー部でした。下手でしたけどね。でもね、マネジメントに問題がある組織でしたね。それは私がいた代の前もそうでしたし、あとにもそうでした。
学年が低いうちは違和感だったし、どうもおかしいな、といつもいつも感じていました。4年生になって、筑波のC1で全員に無視されていたコーチがやってきたことは、何度か書いたと思います。そのコーチと練習メニューの打ち合わせをするとか、本当に最低の時間で、嫌いな人間と毎日一緒にいることのストレスはすごく自覚しましたね。
そのコーチは自分がやりたいことがやりたいだけの人でして。その上、コーチとして能力的にはきつい。だから筑波では無視されたんでしょう。でもね、東大にいる人は素直なんですよ。良くも悪くもね。
コーチの言うことをとりあえず聞いてやる適性が高い。筑波のサッカー部に入る人たちは、技術的に相当高いですし、自分なりのサッカー観やコーチ観を既にもっていますからね。そして、コーチもたくさんいる。1人無視したところで、というところでしょう。
でも、東大ですからね。カネがないからコーチは一人しか雇えない。官僚養成機関みたいな学校ですから、権力者が言うことに従う適性はけっこう高いんですよ。
コーチが偉そうに自分の試したいことを、選手の適性など無視してやっていく。けが人が出ても気にならない。まあ、人格としては最低でしたわ。
その時に、バイトにせよ、学校にせよ、いろいろ感じていたことが言語化された感じがしたんですよね。無能な人が命令を出し、弱い人間にしわ寄せが行くなら、その組織は最低だ、と思ったんですね。
なんとか、現場の従業員も幸せに仕事ができないもんかな?という漠然とした想いでコンサルタントになったわけですが、現場の人がどうとか、そういうことにコンサルティングはあまり興味を持たないことは、入ってからわかりました。
ただ、儲からなければリストラが待っていますので、儲かる意思決定をちゃんと支援することが結果的には現場にいる弱い人のためになる。それはそう思ってやっていましたね。
事業会社でも、そういうことを痛い思いをして学ぶ機会に恵まれました。なんせ、メンタルストレスで人がどんどん病気になり、離脱していく職場でしたからね・・・。なんだこれは、と。
その中で自分はそれなりに生き残り、それなりに出世して、独立するわけです。その時の思いはこのブログの紹介に端的に表れています。
「ビジネスナレッジがより多くの企業に広まり、社会への提供価値が増え、社会が豊かになる。従業員もハッピーに仕事ができる。そんなビジネス社会の到来を夢見るコンサルタントがインサイトを書き連ねます。」ですね。
これは甘っちょろいですが、現場の弱い人間を傷つけるのは最低だという想いから書いているわけです。
最近ね、何でかわからないけど、なんでこんなに怒りを感じるんだろう?と思うことがけっこうあって。自分の中では理詰めで考えることでもなかったので、自分がなぜイライラするのか?過敏に反応するのか?といったことをさほど考えずにいました。
でもね、さっき思ったんですよね。「現場に下らない命令を出して、収益性が上がるわけでもないのに、関係した人間を傷つけるような意思決定を許さない」というのは、私が社会に関わる時のモチベーションなんですよね。
そういう状況を少しでも減らしたいから仕事をしているわけです。外部の人間であれば、メンツがどうとか気にせずに、一回決めちゃったこととか、覆すこともできますからね。
ここを刺激されると、私は引けないわけです。なんで、この程度のことに、こんなにお金や時間を使っているんだろうと冷静に考えてみて、ようやくわかりました。
どんな手段を使っても、間違ったことをした人間が痛みを感じて、もう二度とそういうことをしないように。なかったことにして忘れようとする連中に、痛みを刻んで、二度とそういうことをしないように、と思うのでしょうね。
弱い人間を傷つける意思決定は最低だし、殲滅すべき。と私が心の底から思っている。
そこが動機なんだなあ、と自分で思いました。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
最近は熱が下がらないのでイライラしていますが、いろいろイライラすることは尽きないので、なんでイライラするんだろう?と考えてみました。
そうしたら、学生の頃に、コンサルタントになりたいと思った動機を思い出しました・・・。みなさんにはどうでもいい話かもしれませんが、書いてみます。
学生の頃は、サッカー部でした。下手でしたけどね。でもね、マネジメントに問題がある組織でしたね。それは私がいた代の前もそうでしたし、あとにもそうでした。
学年が低いうちは違和感だったし、どうもおかしいな、といつもいつも感じていました。4年生になって、筑波のC1で全員に無視されていたコーチがやってきたことは、何度か書いたと思います。そのコーチと練習メニューの打ち合わせをするとか、本当に最低の時間で、嫌いな人間と毎日一緒にいることのストレスはすごく自覚しましたね。
そのコーチは自分がやりたいことがやりたいだけの人でして。その上、コーチとして能力的にはきつい。だから筑波では無視されたんでしょう。でもね、東大にいる人は素直なんですよ。良くも悪くもね。
コーチの言うことをとりあえず聞いてやる適性が高い。筑波のサッカー部に入る人たちは、技術的に相当高いですし、自分なりのサッカー観やコーチ観を既にもっていますからね。そして、コーチもたくさんいる。1人無視したところで、というところでしょう。
でも、東大ですからね。カネがないからコーチは一人しか雇えない。官僚養成機関みたいな学校ですから、権力者が言うことに従う適性はけっこう高いんですよ。
コーチが偉そうに自分の試したいことを、選手の適性など無視してやっていく。けが人が出ても気にならない。まあ、人格としては最低でしたわ。
その時に、バイトにせよ、学校にせよ、いろいろ感じていたことが言語化された感じがしたんですよね。無能な人が命令を出し、弱い人間にしわ寄せが行くなら、その組織は最低だ、と思ったんですね。
なんとか、現場の従業員も幸せに仕事ができないもんかな?という漠然とした想いでコンサルタントになったわけですが、現場の人がどうとか、そういうことにコンサルティングはあまり興味を持たないことは、入ってからわかりました。
ただ、儲からなければリストラが待っていますので、儲かる意思決定をちゃんと支援することが結果的には現場にいる弱い人のためになる。それはそう思ってやっていましたね。
事業会社でも、そういうことを痛い思いをして学ぶ機会に恵まれました。なんせ、メンタルストレスで人がどんどん病気になり、離脱していく職場でしたからね・・・。なんだこれは、と。
その中で自分はそれなりに生き残り、それなりに出世して、独立するわけです。その時の思いはこのブログの紹介に端的に表れています。
「ビジネスナレッジがより多くの企業に広まり、社会への提供価値が増え、社会が豊かになる。従業員もハッピーに仕事ができる。そんなビジネス社会の到来を夢見るコンサルタントがインサイトを書き連ねます。」ですね。
これは甘っちょろいですが、現場の弱い人間を傷つけるのは最低だという想いから書いているわけです。
最近ね、何でかわからないけど、なんでこんなに怒りを感じるんだろう?と思うことがけっこうあって。自分の中では理詰めで考えることでもなかったので、自分がなぜイライラするのか?過敏に反応するのか?といったことをさほど考えずにいました。
でもね、さっき思ったんですよね。「現場に下らない命令を出して、収益性が上がるわけでもないのに、関係した人間を傷つけるような意思決定を許さない」というのは、私が社会に関わる時のモチベーションなんですよね。
そういう状況を少しでも減らしたいから仕事をしているわけです。外部の人間であれば、メンツがどうとか気にせずに、一回決めちゃったこととか、覆すこともできますからね。
ここを刺激されると、私は引けないわけです。なんで、この程度のことに、こんなにお金や時間を使っているんだろうと冷静に考えてみて、ようやくわかりました。
どんな手段を使っても、間違ったことをした人間が痛みを感じて、もう二度とそういうことをしないように。なかったことにして忘れようとする連中に、痛みを刻んで、二度とそういうことをしないように、と思うのでしょうね。
弱い人間を傷つける意思決定は最低だし、殲滅すべき。と私が心の底から思っている。
そこが動機なんだなあ、と自分で思いました。
それでは今日はこのあたりで。次回をお楽しみに。
- 関連記事
-
- 映画「3月のライオン」を見ました・・・。 (2017/05/02)
- コンサルタントになった動機を思い出しました (2017/03/31)
- 「ぼくは明日、昨日の君とデートする」を一人で見たんですが、あけましておめでとうございます。 (2017/01/02)
スポンサーサイト