また、一か月ブログを放置してしまいました。ごめんなさい。
なんというか、仕事で全てを絞り出しているので、ほかに湧き出てこない。いやー、凡人なんじゃないかって思っています。自称天才なんですけどね。
それでね、映画を見ました。「3月のライオン」です。もともと漫画は全部読んているはずですが、内容はけっこう忘れていて、こんな話だったっけ?と思いながら見たんですけどね。
エンドロールにヤングアニマルって書いてあって、そういえば、「ベルセルク」とか「ふたりエッチ」とか「愛人」とか「セスタス」とか「エアマスター」とか、いろんな漫画と並行して読んでいた気がする・・・、と思いました。記憶はもはや曖昧です。
最近、プロジェクトを回すことに必死になっていて、文章が書けないんですよね。Twitterで意味不明なことを相変わらずつぶやいてはいるんですが、メンタルをまともに保つことに必死で、プロジェクトクオリティを上げることに必死で、全然ブログが書けていません。すいません。映画の話題ぐらいしか書きようもない。
経営のことを書いたとして、あんまり求められてる感覚がないんですよね。私はエンタメに徹しきれない。結局、教育的なことを書いてしまう。教育を求める人って、本当は少数で。みんな都合のいい現実、どちらかというとファンタジーを求めていて。変わることは痛みを伴うのに、変わりたいと口でいいながら、それを求めてはいない。
変わらずに生きていければ、それはそれで素晴らしいのかもしれない。前例主義は確かに強力な処方箋です。でもね、私は変わりゆくことにYesと言いたい。
未熟から成熟に向かうなら、成熟後はどうすればいいんだろう?
いや、成熟はずっとしないのだろう。人は常に常に変化の中にある。終わり続けると同時に始まり続ける奇跡的な日常に暮らしていて。ちょっとした行き違いで大きな痛みが生まれる世界で。
映画を見ながら、そんなことを思いましたね。
セリフで印象に残ったのは、「将棋しかねーんだよ」でしょうか。このセリフは決して将棋しかないわけではない主人公によって放たれます。私から見るとそう見えますね・・・。
私も仕事しかない面がある。仕事の中に人生がありますよ。ええ。仕事しかねーんだよと言ったところで絵になりません・・・。他の人から見れば、仕事しかないわけじゃない。でも、人生の大半は仕事に捧げてきたんですよね。はい。それは確かです。私の仕事は私の中では受験勉強の延長にあり、大学での勉強の延長にあり、大学での研究、教育の延長にある。ええ、一生やっているに近いんですよ。
将棋一家でずっと将棋している主人公ですけど、私の家も勉強一家みたいなもんでね。母親はテレビ番組の翻訳やら英語の先生やらをしていて。父親は研究者です。まあ、アカデミックな一家ですわ。
いろいろあって、「東大に入らねばならぬ」「俺は天才であらねばならぬ」と多少無理をして勉強をして。勉強なんて好きでもなかったんですけどね。
ここも「将棋を好きだ」と素直に言えない主人公に重ねられた部分でしょうか。仕事しかなく、仕事が好きだし、勉強が好きとしか言えない選択をしているのに、「俺、勉強はあんまり好きじゃないんだ。実は」と言ってしまう感じでしょうか。
コンサルタントとして生きる覚悟を固めたのも、ここ5年ぐらいのことでして。他にもいろいろな道があるんじゃないかと夢を見たい自分がいて。でも、自分にはこれしかなかった。
自分のいろいろなものが去来しつつも、一応、ストーリーを追えたのは、もともとある程度読んでいたからでしょうか。
自分には華々しい舞台が待っているわけではないと思っています。でも、この道を究めにいくしかないかな、と思っている今日この頃です。お仕事のご依頼はいつでも。プロジェクトだとできて来年です。だから、いつご相談いただいても同じです。ごめんなさい。
それでは今日はこのあたりで。生存報告みたいになってしまいましたね。次回をお楽しみに。
なんというか、仕事で全てを絞り出しているので、ほかに湧き出てこない。いやー、凡人なんじゃないかって思っています。自称天才なんですけどね。
それでね、映画を見ました。「3月のライオン」です。もともと漫画は全部読んているはずですが、内容はけっこう忘れていて、こんな話だったっけ?と思いながら見たんですけどね。
エンドロールにヤングアニマルって書いてあって、そういえば、「ベルセルク」とか「ふたりエッチ」とか「愛人」とか「セスタス」とか「エアマスター」とか、いろんな漫画と並行して読んでいた気がする・・・、と思いました。記憶はもはや曖昧です。
最近、プロジェクトを回すことに必死になっていて、文章が書けないんですよね。Twitterで意味不明なことを相変わらずつぶやいてはいるんですが、メンタルをまともに保つことに必死で、プロジェクトクオリティを上げることに必死で、全然ブログが書けていません。すいません。映画の話題ぐらいしか書きようもない。
経営のことを書いたとして、あんまり求められてる感覚がないんですよね。私はエンタメに徹しきれない。結局、教育的なことを書いてしまう。教育を求める人って、本当は少数で。みんな都合のいい現実、どちらかというとファンタジーを求めていて。変わることは痛みを伴うのに、変わりたいと口でいいながら、それを求めてはいない。
変わらずに生きていければ、それはそれで素晴らしいのかもしれない。前例主義は確かに強力な処方箋です。でもね、私は変わりゆくことにYesと言いたい。
未熟から成熟に向かうなら、成熟後はどうすればいいんだろう?
いや、成熟はずっとしないのだろう。人は常に常に変化の中にある。終わり続けると同時に始まり続ける奇跡的な日常に暮らしていて。ちょっとした行き違いで大きな痛みが生まれる世界で。
映画を見ながら、そんなことを思いましたね。
セリフで印象に残ったのは、「将棋しかねーんだよ」でしょうか。このセリフは決して将棋しかないわけではない主人公によって放たれます。私から見るとそう見えますね・・・。
私も仕事しかない面がある。仕事の中に人生がありますよ。ええ。仕事しかねーんだよと言ったところで絵になりません・・・。他の人から見れば、仕事しかないわけじゃない。でも、人生の大半は仕事に捧げてきたんですよね。はい。それは確かです。私の仕事は私の中では受験勉強の延長にあり、大学での勉強の延長にあり、大学での研究、教育の延長にある。ええ、一生やっているに近いんですよ。
将棋一家でずっと将棋している主人公ですけど、私の家も勉強一家みたいなもんでね。母親はテレビ番組の翻訳やら英語の先生やらをしていて。父親は研究者です。まあ、アカデミックな一家ですわ。
いろいろあって、「東大に入らねばならぬ」「俺は天才であらねばならぬ」と多少無理をして勉強をして。勉強なんて好きでもなかったんですけどね。
ここも「将棋を好きだ」と素直に言えない主人公に重ねられた部分でしょうか。仕事しかなく、仕事が好きだし、勉強が好きとしか言えない選択をしているのに、「俺、勉強はあんまり好きじゃないんだ。実は」と言ってしまう感じでしょうか。
コンサルタントとして生きる覚悟を固めたのも、ここ5年ぐらいのことでして。他にもいろいろな道があるんじゃないかと夢を見たい自分がいて。でも、自分にはこれしかなかった。
自分のいろいろなものが去来しつつも、一応、ストーリーを追えたのは、もともとある程度読んでいたからでしょうか。
自分には華々しい舞台が待っているわけではないと思っています。でも、この道を究めにいくしかないかな、と思っている今日この頃です。お仕事のご依頼はいつでも。プロジェクトだとできて来年です。だから、いつご相談いただいても同じです。ごめんなさい。
それでは今日はこのあたりで。生存報告みたいになってしまいましたね。次回をお楽しみに。
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