今日は下記書籍のレビューです。


ガンダムの「アフターコロニー」みたいなネーミングですが、アフターデジタルという本が出ていて、読んでみた感想、というより、書いてあったレビューを見ていろいろ思うことがあったので書いてみます。
気になったレビューは下記にあります。

これらのレビューを読めば、内容の見当はつくと思います。中国でのデジタライゼーションがどうなっていて、それは人々の暮らしのどのような変化をもたらしているか?というお話ですね。
この本を読むと、中国における社会問題の解決にも、デジタライゼーションが役だっているというようなお話が出てきます。いわゆる社会的厚生が上がったわけですね。
で、気になるレビューコメントは「中国のアフターデジタルユートピアを既に持っていた国はどうすべきか?」という星2つのレビューです。
これね、いわゆる日本的均衡というか、日本的社会システムがそれなりに社会問題に対応していた、というお話を前提としています。どこから説明すると伝わるかは分かりませんが、社会的な問題について語ってみましょう。
人が集まれば争いが起こります。人々が殺しあっていては社会形成ができませんから、それは法的に制約され、暴力は罰則により規制される。暴力は軍事力、警察力に一元化されるわけです。隣の人にいきなり殴られたりすると、そもそも暮らしていけないですからね。
暴力を禁じたところで、盗みなどは起こります。国家は所有権を保証して、窃盗などを抑止します。それでも、所有権に対する争いは日常的に起こりますけどね。「これは俺のだ!いや、俺のだ!」と。
そういう人々の係争を抑止するシステムがなければ社会が立ち行かないわけです。
それを道徳教育でなんとかしよう!というのも一つの発想ではあります。自民党守旧派がいいとは全く思いませんが、道徳教育でなんとかなる面が全くないとは言いません。が、ほぼ無意味だとは思っています。念のため。
それでね、争いが起こらないようにどうするか?と言えば、デジタル様に監視させようというのが、中国で起きているデジタライゼーションと捉えてもいいでしょう。タクシーは日本では運輸省が管理していて、タクシー近代化センターというものが存在し、タクシー運転手は近代化センターに通報されないようにひどい態度はとらないようにするわけです。
中国だと、UberやDiDiのような配車アプリで、ライドシェアができます。車を持っている人が登録して、連れて行ってくれるわけです。では、ヒトの車に乗るという、ある意味で安全、安心上の問題が起こりそうな状況にどう対処するのか?
東欧にボランティアに行った女子大生が、空港でタクシー運転手に強気の営業をかけられて、断り切れず、暴行を受けて死亡するという事件がありました。要は、他人の車に乗るのは身の危険があるわけです。それに対するソリューションとして、日本はタクシーを国交省が管理しているということになっています。なっているという意味は、本当に管理できてるの?と私が思っているからですね。
その、安心安全をどのような監視システムで実現するか?という論点に対して、中国はデジタライゼーションに依存して、相互監視システムを構築した、ということです。
UberやDiDiといった民間企業のサービスの中で、相互レビューの仕組みがあり、悪いことをする人は退場させられるし、いい運転をする人は高く評価され、引っ張りだこになるわけです。
そもそも犯罪をしようと思って入ってくる人はなかなか抑止できませんが、それもデジタル機器でなんとかできるようになると私は思っています。
では、日本の国交省が管理するタクシー会社の認可システムと、中国のUberやらDiDiの提供するシステムのどちらが安全かということがあります。
私はもはや日本の国交省的なシステムはいたずらに労使の対立をもたらし、タクシー運転手の低賃金を招くだけでは?と思っております。ええ、もう日本的システムは持続可能ではないと思っているわけです。
「中国のアフターデジタルユートピアを既に持っていた国はどうすべきか?」と言ったところで、今後、人々がバラバラになっていく中で、旧来の村社会的な人々の行動均衡を前提としてくみ上げられた日本の行政機構自体が時代遅れだと思っています。それを更新していく過程で間違ってほしくないですけどね。
実は、スタバでコーヒーを飲みながら書いていたのですが、スタバのWifiが短時間で切れまくるので、長文が半分ぐらい消えて心が折れています・・・。ええ、夜警国家の成り立ちから中国の国としての管理やら、日本の管理の考え方を書いたのですが、全部消えました。乾いた笑いさえ浮かんできます。
ということで、心が折れたのでこのあたりでやめましょう。それでは次回をお楽しみに。
ガンダムの「アフターコロニー」みたいなネーミングですが、アフターデジタルという本が出ていて、読んでみた感想、というより、書いてあったレビューを見ていろいろ思うことがあったので書いてみます。
気になったレビューは下記にあります。

これらのレビューを読めば、内容の見当はつくと思います。中国でのデジタライゼーションがどうなっていて、それは人々の暮らしのどのような変化をもたらしているか?というお話ですね。
この本を読むと、中国における社会問題の解決にも、デジタライゼーションが役だっているというようなお話が出てきます。いわゆる社会的厚生が上がったわけですね。
で、気になるレビューコメントは「中国のアフターデジタルユートピアを既に持っていた国はどうすべきか?」という星2つのレビューです。
これね、いわゆる日本的均衡というか、日本的社会システムがそれなりに社会問題に対応していた、というお話を前提としています。どこから説明すると伝わるかは分かりませんが、社会的な問題について語ってみましょう。
人が集まれば争いが起こります。人々が殺しあっていては社会形成ができませんから、それは法的に制約され、暴力は罰則により規制される。暴力は軍事力、警察力に一元化されるわけです。隣の人にいきなり殴られたりすると、そもそも暮らしていけないですからね。
暴力を禁じたところで、盗みなどは起こります。国家は所有権を保証して、窃盗などを抑止します。それでも、所有権に対する争いは日常的に起こりますけどね。「これは俺のだ!いや、俺のだ!」と。
そういう人々の係争を抑止するシステムがなければ社会が立ち行かないわけです。
それを道徳教育でなんとかしよう!というのも一つの発想ではあります。自民党守旧派がいいとは全く思いませんが、道徳教育でなんとかなる面が全くないとは言いません。が、ほぼ無意味だとは思っています。念のため。
それでね、争いが起こらないようにどうするか?と言えば、デジタル様に監視させようというのが、中国で起きているデジタライゼーションと捉えてもいいでしょう。タクシーは日本では運輸省が管理していて、タクシー近代化センターというものが存在し、タクシー運転手は近代化センターに通報されないようにひどい態度はとらないようにするわけです。
中国だと、UberやDiDiのような配車アプリで、ライドシェアができます。車を持っている人が登録して、連れて行ってくれるわけです。では、ヒトの車に乗るという、ある意味で安全、安心上の問題が起こりそうな状況にどう対処するのか?
東欧にボランティアに行った女子大生が、空港でタクシー運転手に強気の営業をかけられて、断り切れず、暴行を受けて死亡するという事件がありました。要は、他人の車に乗るのは身の危険があるわけです。それに対するソリューションとして、日本はタクシーを国交省が管理しているということになっています。なっているという意味は、本当に管理できてるの?と私が思っているからですね。
その、安心安全をどのような監視システムで実現するか?という論点に対して、中国はデジタライゼーションに依存して、相互監視システムを構築した、ということです。
UberやDiDiといった民間企業のサービスの中で、相互レビューの仕組みがあり、悪いことをする人は退場させられるし、いい運転をする人は高く評価され、引っ張りだこになるわけです。
そもそも犯罪をしようと思って入ってくる人はなかなか抑止できませんが、それもデジタル機器でなんとかできるようになると私は思っています。
では、日本の国交省が管理するタクシー会社の認可システムと、中国のUberやらDiDiの提供するシステムのどちらが安全かということがあります。
私はもはや日本の国交省的なシステムはいたずらに労使の対立をもたらし、タクシー運転手の低賃金を招くだけでは?と思っております。ええ、もう日本的システムは持続可能ではないと思っているわけです。
「中国のアフターデジタルユートピアを既に持っていた国はどうすべきか?」と言ったところで、今後、人々がバラバラになっていく中で、旧来の村社会的な人々の行動均衡を前提としてくみ上げられた日本の行政機構自体が時代遅れだと思っています。それを更新していく過程で間違ってほしくないですけどね。
実は、スタバでコーヒーを飲みながら書いていたのですが、スタバのWifiが短時間で切れまくるので、長文が半分ぐらい消えて心が折れています・・・。ええ、夜警国家の成り立ちから中国の国としての管理やら、日本の管理の考え方を書いたのですが、全部消えました。乾いた笑いさえ浮かんできます。
ということで、心が折れたのでこのあたりでやめましょう。それでは次回をお楽しみに。
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