Googleのアドワーズを使ってみようと思ったら、「爆発」という表現はコンテンツポリシーにひっかかってました・・・。
まあ、過大表現は引っかかるんですね。しょうがないので、爆発する!は止めました。
表現規制にひっかかるのは、会社の方向性にあいませんもんね・・・。
自分がいきあたりばったりの経営者になった気分です。家業から事業へと移行する時には、行き当たりばったりから、方針をある程度、固定的にしていく必要性が出てくるんですけどね。
それはなぜか?
関与する人間の数が増え、役割が細分化した時に、やることの変更が多発すると、無駄になる仕掛り作業が増えます。
それは、メンタルヘルスに悪影響を与えるんです。
人間は、意味を求める動物です。自分のやっていることの意味を求めるんですね。
現代思想においては、こういうことは非常によく議論されてきたことです。意味の無い行動に人間は耐えうるのか?
チャップリンのモダンタイムスでもそう。工場で単純作業をひたすら繰り返すのに耐えられますか?という問いがある。
カミュの「異邦人」でも、主人公ムルソーの周囲の人々は、ムルソーの行為の社会的意味付けを必死で行います。ムルソー1人が、自分の行為の意味を周囲が規定しようとする行為に、違和感を感じていますけどね。
人間は、自分の行為に意味を見出さざるを得ない。そういう動物なんですね。
しかも、どこかの地点から見て、その行為の意味を見出そうとする。その地点は人によって様々ですけどね。
「シンクロニシティ」という言葉があります。「意味ある偶然」という意味ですね。ある視点から見て、意味ある偶然が重なる時に、使う言葉です。ユングが好んで研究しました。
これは、なんらかの未来像を描いている時に、よく起きる現象?ですね。求めようとする結果をサポートするような事実が目の前に次々に生じているように見える。あまりに意味ある偶然ではないか!と。
そして、この状態は非常に気持ちがいいんですね。生じさせようとする結果に対して、サポートするような事実が次々に生じるように見えたら、気持ち良いですよね。神に愛されている気がする。
未来の絵をリーダーが書き、メンバーは、自分の行為がそれに沿っているように見えるようにする。それは、人のメンタルヘルスを向上させます。シンクロニシティを扱ったリーダーシップの書籍もありますね。
未来の絵を描けば、目の前の事実がそれに対してどんな意味があるのか?を中心に人は事実を見ることができます。
でも、リーダーが未来をころころと変えてしまったとしたら、自分のやった仕掛りの作業の意味が見出せなくなります。自分のやったことの意味合いが次々に変わってしまう。
つまり、シンクロニシティと逆の状況が起こる。ひたすら、自分の過去にやったことが、無意味というラベリングがなされていく。自分の行為は意味が無いことになる。そうすると、人は行動ができなくなります。会社に行く意味すら、見出せなくなります。
無意味な行為を繰り返す自分は、無価値なのではないか?という疑問がわきます。自分の無価値感を認識するほど、人を疲弊させるものはありません。
特に、疾患レベル、メンタルヘルスの下位20%の人々は、自己否定に耐えられません。しかも、デスクワークばかりでは、メンタルストレスは解消されません。肉体労働なら、まだいいんですよ。やっているうちに、体が動いて、額に汗して、メンタルストレスが解消されますから。
未だに、全社的にお掃除をしましょう、という活動が中小企業には根強く残っています。日本の商家の教えで、丁稚奉公的なものがあります。ああいうものは、メンタルストレスの解消には非常に有効な手段だと思います。
ビジネスエリートと言われるような、プランニングワーカーがそうじなんてできないよ・・・、と思います?まあ、掃除じゃなくてもいいんですよ。CSRとして、ボランティアを義務付けてもいいんです。肉体労働的なボランティアでいいんです。
また、以前に解説した、マズローの欲求階層的にも説明できる側面があります。
昔は会社に行けば安定して食べていける、という強いモチベーションがありました。安全欲求に近い欲求が優位だった時代はそれでよかった。
でも、ニート、フリーターは、家で食べていられますし。親がお金持ってますからね。無意味な行為を繰り返すために会社に行くというモチベーションは沸かない。自分の価値を否定するような行為を繰り返すために会社に行くというモチベーションは沸かないのです。
リーダーが方針をコロコロ変えてしまう、描く未来をコロコロと変えてしまうことは、社員が過去にやってきたことを否定すること、と意味づけられがちなんです。
意識が相当高ければ、経営者の考えについていけます。臨機応変に対応しないと、中小企業レベルでは、生き残れないこともわかります。
でも、たいていは、同じレベルで考えることは無理です。経営者は、社員に自分と同じレベルの努力を求めることもありますが、それは無理だと思います・・・。よっぽど、マネジメントの仕組みができていたり、天才的なマネジメントセンスがあれば別ですが。
私自身、経営者になってみて、大きな絵は変わらないですが、小さな絵はコロコロと変えていかないと、やっていけないことが非常によくわかりましたね。
多くの人を関与させて、仕掛りの作業を大量発生させて、それを突然中止するのは、すごくメンタルヘルスには悪いですね。その理由が納得がいくもの、関わったメンバーの過去を無意味にするものでないように説明する必要があります。
4回にわたって、メンタルヘルスを扱ってきましたが、いかがでしたでしょうか?まあ、自分の恥をたくさんさらしてしまいましたね・・・。
そして、自分の今のスタンスのあり方のルーツのようなものもさらしてしまった気がします。
ちょっと、足早でしたが、これで、今回のシリーズは終わりにします。読んでくださった皆様、ありがとうございました。
では、次回をお楽しみに。

まあ、過大表現は引っかかるんですね。しょうがないので、爆発する!は止めました。
表現規制にひっかかるのは、会社の方向性にあいませんもんね・・・。
自分がいきあたりばったりの経営者になった気分です。家業から事業へと移行する時には、行き当たりばったりから、方針をある程度、固定的にしていく必要性が出てくるんですけどね。
それはなぜか?
関与する人間の数が増え、役割が細分化した時に、やることの変更が多発すると、無駄になる仕掛り作業が増えます。
それは、メンタルヘルスに悪影響を与えるんです。
人間は、意味を求める動物です。自分のやっていることの意味を求めるんですね。
現代思想においては、こういうことは非常によく議論されてきたことです。意味の無い行動に人間は耐えうるのか?
チャップリンのモダンタイムスでもそう。工場で単純作業をひたすら繰り返すのに耐えられますか?という問いがある。
![]() | モダン・タイムス (2000/02/25) チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード 他 商品詳細を見る |
カミュの「異邦人」でも、主人公ムルソーの周囲の人々は、ムルソーの行為の社会的意味付けを必死で行います。ムルソー1人が、自分の行為の意味を周囲が規定しようとする行為に、違和感を感じていますけどね。
![]() | 異邦人 (1954/09) カミュ、窪田 啓作 他 商品詳細を見る |
人間は、自分の行為に意味を見出さざるを得ない。そういう動物なんですね。
しかも、どこかの地点から見て、その行為の意味を見出そうとする。その地点は人によって様々ですけどね。
「シンクロニシティ」という言葉があります。「意味ある偶然」という意味ですね。ある視点から見て、意味ある偶然が重なる時に、使う言葉です。ユングが好んで研究しました。
![]() | シンクロニシティ (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ) (1999/02) F.デヴィッド ピート 商品詳細を見る |
これは、なんらかの未来像を描いている時に、よく起きる現象?ですね。求めようとする結果をサポートするような事実が目の前に次々に生じているように見える。あまりに意味ある偶然ではないか!と。
そして、この状態は非常に気持ちがいいんですね。生じさせようとする結果に対して、サポートするような事実が次々に生じるように見えたら、気持ち良いですよね。神に愛されている気がする。
未来の絵をリーダーが書き、メンバーは、自分の行為がそれに沿っているように見えるようにする。それは、人のメンタルヘルスを向上させます。シンクロニシティを扱ったリーダーシップの書籍もありますね。
![]() | シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ (2007/10/02) ジョセフ・ジャウォースキー 商品詳細を見る |
未来の絵を描けば、目の前の事実がそれに対してどんな意味があるのか?を中心に人は事実を見ることができます。
でも、リーダーが未来をころころと変えてしまったとしたら、自分のやった仕掛りの作業の意味が見出せなくなります。自分のやったことの意味合いが次々に変わってしまう。
つまり、シンクロニシティと逆の状況が起こる。ひたすら、自分の過去にやったことが、無意味というラベリングがなされていく。自分の行為は意味が無いことになる。そうすると、人は行動ができなくなります。会社に行く意味すら、見出せなくなります。
無意味な行為を繰り返す自分は、無価値なのではないか?という疑問がわきます。自分の無価値感を認識するほど、人を疲弊させるものはありません。
特に、疾患レベル、メンタルヘルスの下位20%の人々は、自己否定に耐えられません。しかも、デスクワークばかりでは、メンタルストレスは解消されません。肉体労働なら、まだいいんですよ。やっているうちに、体が動いて、額に汗して、メンタルストレスが解消されますから。
未だに、全社的にお掃除をしましょう、という活動が中小企業には根強く残っています。日本の商家の教えで、丁稚奉公的なものがあります。ああいうものは、メンタルストレスの解消には非常に有効な手段だと思います。
ビジネスエリートと言われるような、プランニングワーカーがそうじなんてできないよ・・・、と思います?まあ、掃除じゃなくてもいいんですよ。CSRとして、ボランティアを義務付けてもいいんです。肉体労働的なボランティアでいいんです。
また、以前に解説した、マズローの欲求階層的にも説明できる側面があります。
昔は会社に行けば安定して食べていける、という強いモチベーションがありました。安全欲求に近い欲求が優位だった時代はそれでよかった。
でも、ニート、フリーターは、家で食べていられますし。親がお金持ってますからね。無意味な行為を繰り返すために会社に行くというモチベーションは沸かない。自分の価値を否定するような行為を繰り返すために会社に行くというモチベーションは沸かないのです。
リーダーが方針をコロコロ変えてしまう、描く未来をコロコロと変えてしまうことは、社員が過去にやってきたことを否定すること、と意味づけられがちなんです。
意識が相当高ければ、経営者の考えについていけます。臨機応変に対応しないと、中小企業レベルでは、生き残れないこともわかります。
でも、たいていは、同じレベルで考えることは無理です。経営者は、社員に自分と同じレベルの努力を求めることもありますが、それは無理だと思います・・・。よっぽど、マネジメントの仕組みができていたり、天才的なマネジメントセンスがあれば別ですが。
私自身、経営者になってみて、大きな絵は変わらないですが、小さな絵はコロコロと変えていかないと、やっていけないことが非常によくわかりましたね。
多くの人を関与させて、仕掛りの作業を大量発生させて、それを突然中止するのは、すごくメンタルヘルスには悪いですね。その理由が納得がいくもの、関わったメンバーの過去を無意味にするものでないように説明する必要があります。
4回にわたって、メンタルヘルスを扱ってきましたが、いかがでしたでしょうか?まあ、自分の恥をたくさんさらしてしまいましたね・・・。
そして、自分の今のスタンスのあり方のルーツのようなものもさらしてしまった気がします。
ちょっと、足早でしたが、これで、今回のシリーズは終わりにします。読んでくださった皆様、ありがとうございました。
では、次回をお楽しみに。

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